5−2「想起」

(…キミは子供の頃にどんな夢を持っていたんだい?)


 それは、ポップの頼み事を聞いていた最中さなかのこと。

 不意にかけられた質問に亮は「…えっ」と、戸惑ってしまう。


「いや、どうも話を聞いているとキミは以前からしたかったことと、今やっていることが噛み合ってないような気がしてね」


 そう言って、ユニセックスのロングスカートのすそを直すポップに「噛み合っていない…とは?」とたずねる亮。


「それって、ポップさんが俺と似ていると言っていた人と関係ありますか?」


 その質問にポップは答えず「アーティスト系の子をプロデュースしているときに、ときおり感じることがあるのだけれどね」と話を続ける。


「本人が一生懸命作ったとしても作品がうまく表現できていなかった場合にね、当人と本心とにズレが生じてしまっていることがあると僕個人は思うんだよ」 


 そう言って、窓の外を見るポップ。


「まあ…そういう場合に当人に話を聞くと周りの要望に無理に合わせようとしてしまっていたり、自分でも無理をして仕事をしてしまったりしていることが多いのだけれどね。正直、本人の問題というよりはこちらの落ち度なんだけれどさ」


 困ったようにポップはそう言うと「そういう時にはこちらも相手と話し合って、長く仕事を続けられるように本人の気持ちと体調をおもんぱからなければならない」と続ける。


「それができない経営者が、僕は一番ダメだと思うのだけどね」


 そう言って静かになるポップ。


 亮も相手が話さないためにしばらく黙っていたが、ふと質問に答えていなかったことに気がつき「…俺の場合は」と話し始める。


「最初は大学まで行って写真家を目指していたんですけれど…挫折ざせつして」


 そこまで言って黙る亮に「何かあったのかい?」と優しくたずねるポップ。


「いや、大したことじゃあないんですけど」と目を泳がせる亮。


「ある時、写真を撮っているときにこれは本当にしたかったことなのか。自分が今していることは正しいことなのかと感じてしまって。そしたら急に自分のしていることに自信が無くなってしまったんです」


 話しつつ、なんとなくうつむいてしまう亮。


「でも、回数を重ねていけば自信を取り戻せるか思ったんですけど、日に日にその違和感は大きくなるばかりで…そのうち、ゼミの先生にもキミは別の道を探したほうが良いとアドバイスをされてしまって。それからどうしようもなくなって」


 いつしか、その手は右目の眼帯へと伸びていく。


「でも、その違和感はどこにいっても同じで…」


 その下には【ウィンチェスター】で負傷した目。


「仕事に就いてからもその感覚は抜けなくて。でも、稼がなくてはいけないから必死に仕事に打ち込もうとはするんですけど。どうしてもそれが態度に出てしまうようで…そのうち、周りからもうとまれるようになって」


 右目を手で覆いながら顔があげられなくなっていく亮。


「仕事なんか、好き嫌いで選べるものではないことぐらい、分かっているのに。そうやって日々を暮らすために割り切っている人が大勢いるのに…なのに俺にはそれが出来なくて。違和感が顔に出て、医者も薬も、なんの役にも立たなくて」


 正直、そこまで話すつもりはなかった。

 しかし亮は、初対面であるはずのポップにそこまで打ち明けていた。


「だから、だから俺は…!」


「…それは、今までキミが本心からしたいことをできる環境にいなかったということなのだろうね」


「え?」


 ポップの唐突とうとつな言葉に亮は顔を上げる。


「教育、体質…ともかく諸々の要素によってキミは無意識のうちに自分の本心を抑えつけるクセがついてしまったんじゃないのかな?」


 そう答えるポップには亮の【何か】が見えているようにも見えた。


「そうして長い年月を経て、溜め込んだストレスが徐々に体や心をむしばんでいき、最終的には体調を崩してしまった。多分、そう言うことなんだろう」


 そんなポップの発言に「いや、そんなことはないはずですから!」と思わず声を荒らげてしまう亮。


「だって、俺が写真家になると決めたのだって、俺の母さんが写真家だったから。俺もそうならなきゃと思って。カメラを手に取るようになって…そうだ。小さいけれど昔は賞にも入っていたし、それなりに自信もあって」


「では、キミは」と続けるポップ。


「親が写真家ではなくとも、キミ自身がそうなりたいとは思ったかい?」


 ポップの指摘に「え…」と、絶句する亮。


(いや、俺が最初に写真を撮り始めたのも、隣にいた母親が俺の写真を見て喜んでくれたのが最初で…けれど、その時に口にした言葉は確か)


「すまないね、厳しいことを言ってしまって」


 亮の顔に何か感じ取るものがあったのか、目を伏せるポップ。


「ただ、キミは自分より他者をおもんぱかり過ぎるような気がしてね。それがいつしかキミ自身のストレスとなり、キミの将来を歪めてしまっている気がしたから」


 それに「いえ、違います…!」と再び声を荒げ、亮は反論する。


「当時の俺としては、すぐにでも金を稼がなくてはいけないと思っていたんです。親は少ない稼ぎで大学に行かせてくれたし、兄妹も生活も…」


「そのために、労基法に触れるほどの残業をさせる会社で働くことや、生活ギリギリの手取りのパートで身体を壊していく生涯を、キミ自身が許せたかい?」


 ポップの鋭い指摘に「それは…」と亮は目を泳がせる。


「でも、でも。じゃあ…俺は。どうしたら」


 戸惑う亮に「一概いちがいには言えないけれどね」とポップは静かに続ける。


「まずは自分は何が一番楽しく感じられて何がしたかったかを知ること。そして自分の気持ちを受け入れ、伝える事こそ、初めの一歩だと僕は思っているよ」


「…では、ポップさん」


 亮は顔をあげ、恐るおそるポップに聞く。


「アナタの最初は?」


 それを聞くと、ポップは少し遠い目をして「自然の中でつまびいたギターの音。遠くで聞こえる聖歌隊の合唱…」とうたうように口にする。


「子供の頃だったけれど。それらの物事に僕はひどく心惹かれてね。どうして惹かれるのか。どうすればこの気持ちを表現できるか。そればかりを考えていたら…いつしか音楽をこころざすようになっていたんだ」


「そうですか…」と頭を下げる亮。


「でも、俺には分かりません。これから見つけられるかも。どうすれば良いかもわかりません。情けない話ですが」


 そう、うなだれる亮に「いや、おそらく今のキミには見えていないだけだね」とポップは指摘してきする。


「ふとした時に子供の頃の記憶が顔を出すように、自分の気持ちに嘘偽りなく、本当の気持ちに気づける瞬間が必ず人には訪れる。必要なのはその時をつかみ、自分の人生のベースにすること…作品づくりもそこに完結するからね」


 ポップはそう締めくくると「それとね」と困ったような顔をする。


「実は、妹と双子との約束については僕も詳しくは聞いていないんだ」


「え、そうなんですか」と驚く亮。


 そこに「…ただし、ね」とポップは続ける。


「もし、キミがこの先したいことが見つかったら、それをサポートできるように手配をしてくれと頼んできたのも妹なんだ…だからね。妹が双子と交わした約束も、そこに関係していると思っている」


(その為にも、まずはキミがキミ自身を見つめ直すことが大切だと思っているよ)


『ブラックホールは小さな重い質量の物質が中心となり、周囲の星を巻き込んでいくと言われる現象で…』


 それは、録画された授業動画。


 ホワイトボードの前で説明するのはマーゴであり、リモートワークなのか画面端には亮の兄妹である双子の姿が映っていた。


(自分自身を見つめ直すこと…そう言えばアミさんも、落ちていく幽霊のような存在が俺の願望だとか言っていた気がする)


 亮の手には花火のシールの付いたタブレット。

 それは、二年前に双子が亮に渡してきたもの。


 中には双子の実況の動画が入っているとは聞いてはいたが、普段から忙しい亮にとっては確認するひまもなく、つい先ほどまでケースに入れたまま保管していた代物しろものでもあった。


 …しかし、今やそれは二年もの時を経てもバッテリーが残っているのか起動し、あらかじめ録画されていた動画を再生し続けている。


『天文学者の中には私たちの生活する圏内けんないでも目には見えないけれど、同様の事象が起こっていると指摘する人もいるわ。ただし、それを確認した人は未だいないのが現状だけれど』


 動画の中で教鞭きょうべんを取るマーゴ。

 彼女と亮は数分前に別れわかれとなっていた。


「ねえ、亮くん。このタブレットじゃあ、外部と連絡できないの?」


 そう、たずねるのは亮の家の近所に住む二児の母である原さん。

 彼女は二階の亮の部屋に避難し、寒いのか毛布をかぶって震えていた。

 

「すみません、動画は再生できるようなんですけれど。一応、さっきまでは電波が届いていたのは確認済みで…ただ、これで連絡が取れるかどうかは」


 そう、マーゴと別れたのもそれが原因。


 数分前に彼女の元に届いたのはグランマと思しき、たどたどしい通信。

 そこで電波を探そうと外に出た彼女と亮は離れ離れになってしまっていた。


(でも、こんなに狭い家なのに)


 亮は顔をしかめつつ、探した末に原さんと出会った自分の部屋を見渡す。


 …タンス、机。そして急にタブレットの音声が流れ出して、開けた押入れ。

 そのほか、変わったところは特に見受けられない。


「ねえ、何か匂いがしない?」


 ついで、亮の腕を取る原さんに「え?」と顔を上げる亮。


 そのとき、ふと鼻をかすめた匂い。

 甘ったるいような、ほんのりと苦味の混じった匂い。


 なぜか、それは先ほど来た場所から。

 亮の部屋と廊下をへだてるふすまから漂ってくることに、亮は気がついた。

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