『苦味』

5−1「食卓」

「ごめんね。夕食代わりがこんなものしかなくて」


 そう言って、亮がトースターから取り出したのはパンの上にリンゴとチーズを載せて焼いた簡易的なトースト。


 先ほどまでカフェオレを飲んでいたマーゴはそれを受け取ると「ありがとう」とサクリとかじりつき、驚いた顔をする。


「何これ。まるで出来立てのアップルパイみたいな味なんだけど」


 その言葉に亮は粉コーヒーを淹れつつ「ああ、砂糖で煮たリンゴの下にバターを敷いてチーズで焼くとこんな味になるんだ」と答えた。


「冬の安いときに袋買いしておいて。冷たいままだと食べにくいから、こうして砂糖で甘く煮て。冷蔵庫に保管しておいたものを各自食べたい時に作って食べるのがウチ流のやり方なんだ」


 そう言いつつも、そろそろと熱いコーヒーを飲む亮。


「でも、各自と言っているのに、兄妹は俺の顔さえ見れば『つくれ、つくれ』の大合唱。そんな感じで掃除、洗濯、料理と家事全般が俺の仕事になるんだよな」


「あー、双子たちに良いように使われてしまうと」


 それにマーゴはクスクスと笑いつつ、トーストを美味しそうに食べ進める。


「…あ、急がない方が。中のリンゴが熱くて口の中を火傷することもあるし」


 そう言って、亮も自分の分のトーストにかじりつき「でもなあ」と、窓の外を見るなりため息をつく。


「いつ、この雪は止むのだろう」


「それね」とマーゴも答えつつ、未だ吹雪く外を見る。


 外は、今や大荒れとなっていた。


 降りしきる雪のせいで視界は数メートル以上も先が見えず、亮の家に入ってからすでに一時間以上経過していたが、まるで収まる気配がなかった。


「【ウィンチェスター】から【方舟】に移行して、季節がズレてしまっているのかもね。空間内の異変は少なくなっているようだけれど、このまま足止めを食ってしまうのも考えものだわ」


 そう言って、皿の代わりに使っていたキッチンペーパーを丁寧に四つ折りにしてゴミ箱に捨てるマーゴ。


 壁に掛けられたカレンダーは一月。

 年度は去年となっていた。


「幸いだったのは亮の家にあったものが【方舟】の影響下にあっても無事に使えたり飲み食いできることね。空間の影響下にある食べ物が変異して体に害をなすことを私たちは【ヨモツヘグイ】と呼ぶのだけど、そうならなくて良かった」


「…その点では、俺の【目】も役に立てたというわけだ」


 そう言って、亮は自宅にあったガーゼとマスクで作った簡易的な眼帯を外し、右目を露出する。


 【目】で見渡す限り、細やかな空間の異常は見られるものの、冷蔵庫内の食品や果物カゴに異常は見受けられなかった。


「まあ、時間経過によっては汚染区域も拡大する可能性があるから…眼帯はなるべくつけたままにしておいて。アミ姉さんから事前に話を聞く限りだと、空間内で曝露ばくろした箇所をそのままにしておくとあまり良く無いそうだから」


「…ああ、わかった」


 マーゴの言葉に従い眼帯を戻す亮。

 …結局、亮はあれから【ラム】のことをマーゴには話していなかった。


 いくどか話そうとは試みるものの、自身の【目】が空間異常を検知できること以外は話すことにためらいを覚え、マーゴもそれ以上話を聞く素振りが無かったため、結局そのままとなっていた。


「…というか。ショッピングモールのときからそうだったけれど。グランマと通話できない状況ってのは、かなり厄介よね」


 そう、今や亮のスマホには老婆の姿はなく、画面には普段テンプレでそのまま使っている風景写真だけが表示されている。


「私のスマホもそう。多分、空間が折り重なっているせいでノイズが発生して、グランマの通信を妨害しているんだわ」


 おもむろに椅子から立ち上がり、天井あたりにスマホを向けるマーゴ。


「グランマもスパコンと繋がっている以上、高度な解析能力と補正機能を使ってすぐに復帰すると思っていたのだけれど。半日以上もこのままなら家から出て通信ができる場所を探したほうが良いかもしれない」


 そんな電波を探すマーゴの様子を見て、ふと「キリンが逆立ちしたピアス」とつぶやいてしまう亮。


「なに?」と顔を向けるマーゴだが、その耳と手元のスマートフォンの画像には同じピアスが写っていた。


「ああ。この、マグネットピアスのこと?」


 ついで、電波を探すことをあきらめたのか。

 椅子から降りて耳につけていたピアスを外し、亮に見せるマーゴ。


「これね。麒麟きりんっていう空想上の生物を模した、私のお気に入りのピアスなの」


 手の中で転がされるピアスはかなり小ぶり。


 金メッキのほどこされた麒麟のピアスは下に降りているとも、逆立ちしているとも取れるような格好をしていた。


「最初に麒麟を見たのはグランマの書斎。少女漫画の雑誌で中国もののコメディだったのだけれど、その主人公の少女が乗っていた生き物が麒麟だったんだ」


「…え、麒麟って上に乗れるの?」


 それにマーゴは「うーん、よくわからないけれど」と首をかしげる。


「グランマの話では、善い皇帝とか指導者の前に現れる神獣だと聞いているわ。鹿の角に鱗の生えた体。蹄の足で生物を傷つけないようそらを駆ける…のだけど」


 マーゴはそこまで話すと含みのある言葉で「その、漫画だと駆けているときの擬音が変わっていてね。どうも、蹄同士が触れ合う音らしいんだけど」と何かをこらえるような仕草で肩を震わす。


「え、なんだよ。思わせぶりに」


 それにマーゴは唇を振るわせながら「ス…スチャラカって音がするの…!」と言うと、とうとう我慢できずに噴き出す。


 それに亮は思わず「いや、無くね?」と言ってしまうもマーゴも「いや、普通は無いから」とガクガクうなずく。


「何それってカンジ。でも、本当にそういう音が書かれていたの。なんだったら、実家にその雑誌があるから読んでみて、マジだから」


「スチャラカ?」


「うん、スチャラカ」


 ついで、二人は噴き出し、ひとしきり笑う。


「…っあー、ヤバ。お腹痛い。ひどい」


「だって、マーゴがいけないんじゃないか。そんな話するなんて」


「でも、でも。グランマがそれを見て、その後にこのピアスを作ってくれてね」


 マーゴはそう言うと未だに笑いの抜けきらない顔で再びピアスをつける。


「…あれは、私が十一歳の誕生日の時だったかな。大人になる私にとグランマがこれをプレゼントしてくれたの。でも、片方だけでね。対になるものは三年後。私が、十三歳を迎えた花火大会の日に渡してあげるとグランマは言っていたわ」


 それを聞き、亮は思い至る。


「もしかして、そのピアスの対になるものが」


 それにマーゴは「多分、これ」とポケットに入れていた箱を取り出す。


「でも、中に何が入っているかはわからないし…今は、中を見れないわ」


「…どうして?」


 亮がたずねると「今の状況で開けるのは違うなって」と、マーゴ。


「グランマがね中に入っているものをアナタが見る時には私たちの生きる時代が安定したものになったときだと聞いていたから。だから今みたいに均衡の崩れた世界の中で開けるのは…何か、違う気がしてね」


 それでも、手にした箱を開けるか開けないか。

 マーゴは少し迷っているようにも見えた。


 だが、やがて首を横に振るとマーゴは箱をポケットにしまう。


 静かになる台所。そんな雰囲気にいたたまれず、亮は「そういえば服はどう?」とマーゴにたずねる。


 それにマーゴも「あ、これ?」と、セーターを軽く引っ張り「うん、サイズもちょうど良いし。あったかいよ」と答えてみせた。


 …マーゴの着ている服。

 それは今は亡き、亮の母方の祖父のお下がりのセーター。


「タンスに長いことしまっていたから、虫除けの匂いがきついかもしれないけど、半袖でそのままいるよりはマシかと思ってね。じいちゃん以外に背の高い家族がいなかったから、マーゴにあげられる服が無いかもって一瞬ヒヤッとしたよ」


 それに「まあ、それほど長居はしないつもりだったし」とマーゴ。


「いざとなったら毛布を借りると言う手もあるでしょうから…というか、これ、私にくれるの?遺品でしょうに?」


 あきれた様子のマーゴに、亮は首を振ると「まあ、一緒に暮らした期間も無い人だったから」と、居間の天井にかけられた祖父の写真へと目をやる。


 そこには趣味だったと聞くゴルフ姿で立つ祖父の姿。


「…俺たちが、この家に越してきたのも、祖父母が亡くなった後だったから」


 そう言いつつも、しみじみ昔の祖父母を思い出す亮。


「二人とも病気でね。祖母が癌で亡くなった後に祖父も後を追うように亡くなってしまって。一人っ子だった母親がそのまま家を所有することになったんだ」


「…でも」と、しだいにかげる亮の顔。


「親父は、そんな中でもこの家を売りたがっていた。少しでも生活費にしようと母親が受け取った保険金もろとも…あの男は、金を欲しがっていたんだ」


 それにマーゴは「そう、ごめんね」と答え、亮はハッと顔をあげる。


「あ、ごめん。そんなつもりじゃ無かったんだ。暗い話にするつもりじゃあ」


 ついで亮は話を逸らすために「でも、マーゴが幼い頃に漫画好きだったなんて意外だな」と言葉を続ける。


「だって、良いところのお嬢様って感じだしさ。漫画なんてバカにする立場かなって気がして。学者だからってわけじゃあないけど、フィクションの世界にも興味がないって言うか、目の前にある本物が一番って感じだと思っていたよ」


 それにマーゴは「そんな。アミ姉さんじゃ、あるまいし…」とため息をつく。


「あと、フィクションだからって全ての情報が偽物ってわけじゃあないのよ?」


 ついで腕を組んだマーゴは窓に目をやり「これ、ポップ兄さんの受け売りなんだけどね」と続ける。


「創作をする人間は、まずベースになる知識を調べるんですって。図書館の本からだったり学術書だったり…そこから、情報を集めて自分なりに消化して。ようやく完成したものが自分の作品となるんだって」


「つまり、私が言いたいのはね」と続けるマーゴ。


「どんな創作物にも、その元となりうる下地や土台があるってこと。昔話や伝説のように実際起きた出来事が口伝えされていくうちに形が変わったパターンだってある。だから一概いちがいに全てをフィクションだというべきじゃあ無いって…」


 そこまで話し、マーゴはふと亮の顔を見る。


「っていうか。亮は午前中に説明がどうだの言ってポップ兄さんと席をはずしていたじゃない。何を話していたの?」


 それに亮は「あー」と目をそらし「…大した話じゃないよ」と答えてみせた。

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