5−3「過剰」

『…ねえ、キミたち。ちゃんと私の話聞いてる?』


『うん、それなりに』


『先生ぇ。ノート書き終わったから質問して良い?』


『いや、先生はやめてって。マーゴって呼んでって言ってるじゃん』


 タブレットから流れるのは双子とマーゴの授業中の会話。


「…このタブレットの音声って止められないの?」


 流れる映像に不愉快ふゆかいそうに目をやる原さん。


 亮は「それが、どうにも」と答えつつ、必死にタブレットを操作しようと試みるも、音量調整はおろか画面を消すこともできず、音と映像はそのまま垂れ流しとなってしまう。


「でも、何も聞こえないよりはマシかもしれないわね」


 そう言って、壁に手をつき通路を歩く原さん。 


「壁、触らないほうが良いですよ」


 思わず注意する亮に「なんでよ」と原さんは再び不機嫌な声を出す。


「…上司の話だとこういうときには空間が歪んでいる状態だと聞いているので。うかつに触れたりすると俺の目みたく見えなくなってしまうかもしれません」


 それに「そう?でも、かなり暗いし。こうしていないと不安なのよ」と原さんは周囲を見渡し、亮もつられて後ろを見る。


 その背後は深いやみ

 戻るべき道は見えず、背の高い壁はどこまで続いているかもわからない。


(どうして、歩き出してしまったのだろうか…)


 一応、原因はわかっている。

 襖の向こうから匂いがした時、原さんが外へと走り出したのだ。


(子供たちが、向こうにいるかもしれない!)


 駆け出した原さんを亮は止めることができず、ここまで来ていた。


(まあ、こういう状況で原さんを責めても何の意味もないからなあ)


 どこか、諦めにも似た気持ちで足元を見る亮。

 靴を玄関先に置いてきてしまっているがゆえに足元は靴下。


(でも、不思議だ)


 それに「でも、不思議ね」と同じことを思ったのか原さんも声を上げる。


「こんなに暗いはずなのに、私は亮くんが見えるし、亮くんも私の姿が見えるのでしょう?」


「ええ、俺も不思議です」

 

「それに…向こうのほうからただよってくるこの匂い」


 ついで、息を吸い込む原さん。


「なんだかね、いつも使っているお酒とおんなじ匂いがしてね」


「酒…ですか」


 ほんの少し、嫌なことを思い出しそうになる亮。


 そこに原さんは「そうそう。地元産の美味しい日本酒でね」と続けようとするも、再び手元のタブレットの声が大きくなり話をさえぎる。


『…そう。それで代わりに授業を受けたいと思ったのね?』


『そうなのー』


『ダメだったー?』


 何を言ったのかのかまでは聞き取れなかったが、双子の言葉を受けてかマーゴは何かを考えるように『うーん、だったら』と声を上げる。


『その件については、私が請け負ってあげる』


『え?なんで?』


『ボクらでするんじゃダメ?』


『うーん、ダメというわけじゃないけれど』と、マーゴ。


『人を支えるためには、まず自分の足元を固めておくことが大事だから。本当は二人ともしたいものや、なりたいものがあるんじゃない?もしあるのなら、話してみて?相談に乗るから』


 二人はそれに顔を見合わせると『そんなの』『決まってるよね』と前を向く。


『人気者ー!』


「…これ、どうにかならないのかしら?」


 半ば途方に暮れつつ画面へと目をやる原さんだったが、やがて気を取り直したように「ああ、そうそう。お酒の話題だったわね」と話を続ける。


「以前、大きな神社で厄払いを受けたらびんごともらっちゃって。煮物や炒め物に使うと最高なのよ…そういえば、亮くん得意じゃなかった?」


 そんな原さんの言葉に「いえ、得意というほどでは」と視線を逸らす亮。


「料理はどちらかと言えば掃除や洗濯と同じ、片付けるものだと思っているので。なので、買ってきた食材を綺麗に使い切ることは好きなんですけれど、何かを作るということ自体はそんなに…」


「何ごちゃごちゃ言ってるのよ、お母さんも喜んでいたじゃない!」


 そう言いながらも亮のバンバンと背中を叩く原さん。


「私、聞いたのよ。亮くんが、お母さんの代わりに掃除や洗濯を手伝ってくれるようになって助かっているって。特に料理なんて一年ほどでコツを飲み込んじゃって、今じゃあ前にあったレシピを改良してさらに美味しくしているって」


「いえ…」と亮は、半ば会話の行き場を失いつつ前へと進む。


「なにぶん作れば双子もウマイ、ウマイというもので乗せられただけで…まあ、料理ぐらいなんですよね。自分がマトモに出来るなって感じられるのって」


 それに「…そうよね。食はだものね」と目を細める原さん。


「え?」


 顔を上げる亮。

 それに「え、聞いたことない?」と原さんは首を傾げてみせる。


「人ってあらゆる趣味が消えると、最後に残るものが【食】なんですって」


 再び壁に手をつき、話を進める原さん。


「けれど、食の価格が上がる今の時代。節約のコンテンツのほうが喜ばれるのよね。今も夫の仕事は回らないし、子供を養うのに市の制度を利用したり、パートで相談員もしてみたりはしているけれど、なかなか稼げないのが現状だから」


「はあ」と、どこまで話を聞いていいか迷う亮。


 そこに「亮くんもそうだったじゃない?」と原さんは聞いてくる。


「だって、前に勤めていた福祉の窓口。大変だったものね」


「まあ…確かに」


 目を逸らしつつも、亮は耳を傾ける。


「働きつつもお母さんのご両親の死亡保険を切り崩しながらの生活。それなのに窓口にイベントの処理とてんてこ舞いで残業も多くて…最後は過呼吸まで起こして、精神的なものだから病院に行くよう同僚に勧められたりもしたしね?」

 

 悪びれた様子もなく、指折り話を続ける原さん。 


「仕事のし過ぎでお母さんも疲労骨折で療養中。貯金は残りわずか。双子の兄妹もいて、そんな環境を変えるように亮くんはお医者さんに言われて…その診断書から医療費の割引を申請するために窓口に来たのが最初の出会いだったものね」


 懐かしげに当時のことを振り返る原さんに、亮は複雑な気持ちになる。


(大丈夫、大丈夫)


 それは、当時原さんから聞いた言葉。


(全部、私たちに任せてくれれば良いから。手続きも、こちらが用意するから…ただ、あなた達は書類を書いてくれれば良いから)


「そのときに私、亮くんとお母さんに言ったわよね?」


 亮の方を向き、笑顔で答える原さん。


「【アナタ方は、身の丈に合った生活を送ったほうが良い】…って」


 瞬間、なぜか亮の背中にザワりとした感触ものがよぎり、ついでタブレットの音が大きくなる。


『…お化け?』


『そう。家の外をいつもお化けが歩くの』


「そう。だって、それが普通だもの」


 もはや、タブレットの音声を気にしていないのか話を続ける原さん。


「一生懸命に働いても困窮状態こんきゅうじょうたいで職を追われて、ライフラインもギリギリ状態。だったら一家全滅をする前に家や車を手放して、何もかも軽くしたほうが良い。確かに、私はそう提案したわ」


『三年前から、家の外をうろつくようになったの』


『夜から早朝にかけて、はなし声が聞こえるの』


 以前、聞こえる双子の声。


(それが、必要な制度を受けるための条件)


 それは、以前に聞いた原さんの言葉。


「そうなれば、亮くんはもちろんのこと家族もバラバラにしたほうが良い。療養はしているけれど、お母さんはお母さんの人生が待っているし。亮くんは、亮くん自身の生活をした方がずっと楽になると私は言ったわ」


『怖い』


『怖い』


 原さんと双子。

 双方の会話を耳にしつつ、亮の手の中にはいつしか汗が浮かんでいる。


『でも、気づいていない』


『お兄ちゃんは気づいていない』


 さらに、原さんは亮に近づく。


「人間関係も何もかも整理しましょうとも言った。ゼロからのスタート。小さな部屋で。ひとりぼっちで。遠縁とおえん親戚しんせき保証人ほしょうにんになってもらって、最低限の保証で生活する…それが今のアナタにぴったりなスタイルなのだとは言った」


 冷や汗を流す亮。

 タブレットから流れる双子の声。


『お兄ちゃん、そのお化けさんと話しているもの』


『ボクらは怖いの』


「そう、誰もがそうなるべきなのよ」


 原さんは両手を広げてそう語る。


「みんな平等。社会状況が悪化しているのならなおさら。分不相応ぶんふそうおうな願いなんて持ってはいけない。夢なんて叶わないし、向上心なんか必要ない。それがアナタのための生活。制限をして、軽減をして、我慢をする…そう、それが今のにできる最善の好意であり、アナタたちに提供できる最低限の生活なのだから!」


『そのお化けを、兄ちゃんはこう呼んでいたの』


『市役所の相談員の原さん…って』


 ついで、タブレットの中に老婆が映ると亮に叫ぶ。


『今すぐ、眼帯を外しな!』


 顔から脂汗を流しながら、とっさに眼帯を外す亮。

 同時に足元が崩れ、空中へと放り出される。


「え?あ…ああ!」


 瞬間、亮は見る。


 地面と思っていた足元。

 それは無数に折り重なった繊維せんいの塊。


 糸のように絡まり合ったそれは先ほどまで亮がいたであろう施設の上空や壁面を覆い尽くし、ところどころ瘤状こぶじょうとなった部分が弾けると、花火のように苦味と甘みの混じる胞子を空中にばらいていく。


「市役所にここまで蔓延はびこるとは…厄介な【根】だな」


 その声は自分の隣から聞こえ、みれば、防護服姿の見覚えのある男性が片手にスーツケースを持って立っていた。


「立てるか?運が良いのか悪いのか。繊維質のクッションで助かったな」


 みれば、倒れていた亮の足元にも大量の繊維質が蔓延っており、長男のマインは彼の手を取り立たせる。


「まあ、あまりのんびりもしていられないがな…ほら、本体が顔を出した」


 …ついで、亮は見る。

 

 上空にぶら下がる一番大きな瘤。

 その一部が割れ、手が伸び、巨大な顔が覗く。


「亮くん、なんで…私の話を聞いてくれないの?」


 バキバキと周囲の菌糸を巻き込み、降り立とうとする身体。

 無数の菌糸によって市役所の天井からぶら下がるいびつなたこのような物体。


「三年以上も一緒にいたのに…どうしてに合わせてくれないの」

 

 そこにうかぶ面影おもかげは、亮のよく知る原さんのもの。


「それはな」


 マインは言うとスーツケースの蓋を外す。


「普通なんて普遍性ふへんせい、誰も信用しないからだよ」

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