『障り』
4−1「避難」
『すっかり忘れていたよ。ここは第二次世界大戦時に大量の焼夷弾が落とされた土地だったことを』
駅は、今や黒煙の上がる火災現場へと変わっていた。
窓の外は火の海となり、赤い空には戦争ものの映画のようにプロペラのついた爆撃機が飛んでいる様子が見える。
「煙を吸い込まないように…とにかく、外に!」
袖で口元を覆いつつ、マーゴは叫ぶ。
エスカレータこそ止まっているものの、幸い下には構内へと続く階段が見え、亮もマーゴにならって姿勢を低くしつつ階段を降りる。
「あ、煙が…」
しかし、その先は上の階よりも一層煙が充満しており、視界がほとんど見えない中でスマートフォン越しの老婆の声が響く。
『私の誘導に従いな。位置によっては思わぬものに当たっちまうかもしれないが、このまま
意味もわからぬままに助言に従い、マーゴと手を繋いで先に進む亮。
しかし、予想した以上に視界は
「くそ…こうなることは、薄々分かっていたのに」
余裕がなくなっているせいか、悪態をつくマーゴ。
「早く出口に、せめて煙の無いところに」
そんなとき、亮の耳に子供の声が届く。
(ぐす、ぐすっ)
(大丈夫。すぐに終わるからね)
見れば、通路のはしで母親が子供を抱えるような形でうずくまっていた。
「マーゴ…親子が、保護しないと!」
咳き込みつつ、亮は先に進もうとするマーゴを引き留め、親子を指さす。
しかし、彼女はチラリと通路を見るなり首を横に振り(…行きましょう)と逆に亮の腕を引く。
「なんで、どうし…」
そこで亮は気づく。
彼らの服装が明らかに現代のものとは違うことに。
名前の
それを肩に下げる二人が防空頭巾とモンペ姿だということに。
(母さん、喉が
(…わたしも身体中が痛いわ)
顔を上げる親子。
その瞬間、思わず亮は叫びそうになった。
焼け
鞄のずれた先に見える大きくえぐれた腹。
そう、彼らはただうずくまっているのではない。
下半身を失った状態で。
おびただしい血の海の中で彼らは身を寄せ合っており…
『まあ、ねえ。若いモンには刺激の強い光景だったよ』
駅前のベンチで、ゼイゼイと息をつくマーゴと亮。
…そこは、花火の筒と土器を模したレプリカのあるタクシー乗り場。
当初、亮はここだけ空間の影響を受けていないのかと考えるも、周囲の花壇に群がる羽虫が移動しては瞬時に焼け落ちていく様を見て、たまたま、ここだけが安全地帯でしかないことを知る。
『それにしても、おぞましい光景さね』
老婆の視線の先には、駅と市役所を結ぶ空中通路。
そこには防災頭巾を被った女子供や
『その土地に存在する人や物の記憶が形を成そうとした姿。されど、一定のあいだしか形状を保てない上に物質同士が重なり合うと放電し、消滅するから、厄介なことこの上ない』
「時間軸のズレによって起こる記憶再現…【
必死に呼吸を整えつつ、マーゴは説明する。
「【ウインチェスター】の拡大版で、地域まるごと、
『【ウインチェスター】で五割、【方舟】で一割』
「ともかく、ここから先は慎重に行かないと。通常の空間異常もそうだし、土地のどこで何かあったか当時の地理や事件性も知っておかないと。それに無理でしょうけれど、再現されるのは今に限ったことじゃなくて…」
そう、続けようとするマーゴの前に一台のタクシーが止まる。
「…ここは足が必要な気がしまして。良かったら乗っていって下さい」
見れば、ドアを開けたのは先日亮に話しかけてきたタクシー運転手。
マーゴはその顔を見るなり「アナタ、ライフ・ポイントの社員ね」とあからさまに嫌がる顔をする。
「こんなときに都合よく来るタクシーなんていないから。きっと、マイン兄さんの差し金ね」
「…ま、ご想像にお任せしますよ」
それに運転手は肩をすくめ、ついで後ろに目をやる。
「どちらにしろ、歩きで街を進むのは
「それは」と言いよどむマーゴに、亮が「ここは、乗ったほうが良いと思う」と声を上げる。
「車なら、いざというときの機動力にもなるし。必要なら俺が運転する」
そう言って、
マーゴはその様子に「そこまで言うなら」と、しぶしぶ後に続く。
「っていうか、右目の眼帯落としちゃってるじゃない」
マーゴの言葉に「あ、本当だ」と亮は片目に手をやる。
「でも、眼帯くらいどこでも手に入れられるだろう?それに歩くよりは車の方が危険が少ないのは確かだし。運転手に行き先を告げて、後でゆっくり探そうよ」
その提案に「そう、じゃあ、近くのドラッグストア…とか?」とマーゴは候補を上げるも、それに亮は「いや」と答え、焼夷弾の降り始めた空を見る。
「実は午前中にポップさんから聞いたのだけれど。マーゴはおばあさんの贈り物を見つける目的でここに来ていたんだろ?これ以上、事態が悪化する前に先に用事を済ませてしまった方が良いと思うんだ」
マーゴはそれに「まあ。確かにそうだけど…」と迷うように視線を動かす。
「本当なら一番最後に回そうと思っていたんだけど。でも、亮がそう言うのなら、そうしようかしら」
ついで「川向こうの大型ショッピングモールに」と運転手に告げるマーゴ。
「…でも、亮がそこまで積極的に言うタイプだなんて思わなかったわ」
座席の後ろで半ばふてくされつつ、窓にヒジをかけるマーゴ。
「そこまで判断できるぐらいなら、もういっそソッチに任せても良いくらい」
(…良かったじゃないか。そこまで信用されているようで)
だが、その声に反して「いや、それは困るよ」と亮の口が動く。
「それに、ショッピングモールなら何でもあるからね。着いたら俺は、眼帯を。マーゴはおばあさんの贈り物を探せば、目的は早めに達成できるさ」
それに「そうね」と同意するマーゴ。
「いざとなったら、グランマのGPS機能があれば迷子になることはないだろうし。用事が一括で済むのならそれに越したことはないわ」
「ああ、そうしよう」
そう言う亮の口元が、運転手と連動する。
(気づいてくれ。マーゴ!)
心の中で亮は必死に呼びかけるも、声はマーゴに届かない。
…そう、彼の右目には確かに見えていた。
口を開ける運転手。
玉虫色の煙を上げる舌先が動き、亮の口元を動かしている様を。
(では、二名様ご案なーい)
消えた舌で、亮にだけ聞こえるよう話す運転手。
ゆるりと動くタクシーの中。
何も知らないマーゴと動けぬ亮。
二人は運転手に導かれるまま、焼夷弾と火災の街を進んで行った。
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