『聞き取り』

3−1「動向」

「…知っているかもしれないが、これが世界の現状だ」


 市内のビルの一角にある、ドラムやギターの並んだ音楽スタジオ。

 その奥の部屋、巨大スクリーンに映し出されるのは世界各地の異常な光景。


 ハサミに似た金属の頭部。

 高層ビルを追い越すほどの長身で街を闊歩かっぽする、ねじくれた布の化け物。


 河川から湧き上がり、上空へと立ち昇っていく半透明の人間の群れ。

 軍事基地に空いた巨大穴から湧き上がり、周囲を飛び交うネジやバネ。


「異常はこの三年。おさまるどころか増加の一途さ」


 マーゴの四番目の兄にあたるポップは映像を流し、形の良い眉をひそめる。


「まったく。こうなってしまえば、正直お手上げ…そも僕は臆病者だからね。早々にこの街から退散させてもらおうと思っているよ」


 長くウエーブのかかった髪を揺らし、丸いサングラスの奥で亮とマーゴを見るポップ。


「君たちも僕と一緒に避難するかい?」


(…いつから、この異常が起きるようになったかを知りたい?)


 ホテルの一階にあるレストラン。オウム返しに問うマーゴに、亮は朝食のロールパンをちぎりながら小さくうなずく。


「ああ、少しでも知識があったほうが良いと思って」


 昨晩の出来事からかんがみても、亮は基本巻き込まれるばかりで何一つ行動ができなかったことは確か。


「備えがあれば、また何かしらの現象に巻き込まれても自衛できるかと思って」


『自衛。ねえ』とテーブルに置かれたスマートフォン内の老婆がため息をつく。


『あまり穏やかな表現とは言い難いね…まあ、少なくとも無知で事態を悪化させる行動をとられるよりはマシだとは思うけれどね』


「…でも」と、それにマーゴは続ける。


「正直。いつ、どこを起点として現象が発生したかについては未だ研究中なの。下手をすると何一つわかっていないし、それこそ発生のメカニズムを見つけること自体がノーベル賞を総なめできるレベルなことは確かよ」


 ついで皿の上のオムレツを突くマーゴに『そうだね…ただし』と思案げな顔を見せていた老婆が亮を見る。


『空間で起きる異変について、いつ頃から私らが関わりを持つようになったかの説明はできるね。なんなら、そのときに立ち会った人間とも話はできる』


 マーゴはそれを聞くと「え、ポップ兄さんがまだ街にいるの?」と、どこか嬉しそうに声をあげ、老婆も『ああ、まだ市内からは出ていないね』と返事をした。


『話すなら今のうち、今日中にでも連絡すれば対応してくれると思うよ』


「…そうね、グランマのことも兄さんが教えてくれたからね」とジャムを塗った最後のパンの最後のかけらを口に入れるマーゴ。


「話をすれば、何かしら助言をしてくれるかもしれない」


 ついで、砂糖を入れたコーヒーを飲みつつ「でも、本当に良いの?」と亮の顔をうかがうマーゴ。


「昨日のこともあるし。いっそ兄さんのところには私が行くから、今日はホテルで休むのも手だとは思うけれど?」


 亮はそれに首を振ると「…大丈夫だから」と短く答える。


「少しでも情報を集めておきたいんだ、今の俺は」


 その頭に昨晩【ラム】と接触したときのことがよぎる。


(彼らの正体はわからねど、監視されているようなら備えるに越したことはない。下手なことも話さない方が良いだろう)


 そうして、亮はパンの最後のひとかけらを口に入れると普段よりも重く感じる食事をコーヒーで無理やり胃の中へと流し込んだ。


「カフェインのとり過ぎは身体に毒だからね。エアコンも効いているし、ここはホットミルクにしておくよ」


 ドアの開いた無人のスタジオをチラリと見るとポップは飲み物が入ったお盆を白一色の広いテーブルの上へと置く。


「そういえば、マーゴに直接会うのは半年ぶりだったね。最後は確か…ニューヨーク公演のときだったか」


 それにマーゴは「プロデューサーに作曲家。ポップ兄さんは忙しいからね」と四男からマグカップを受け取り、そろそろとホットミルクを飲む。


「でも、いろんなところを飛び回っているわりには、いつでもリモートで相談に乗ってくれるし。離れている感じはしないんだよね」


「それなら良いのだけれど」


 そんな内輪話を始める兄妹に亮は席をはずそうか迷うも「でも、危なかった」というポップの言葉で顔を上げる。


「今日、明日中には荷物をまとめて国外に行くことを検討していたから。マーゴから連絡が来たのが今日で、本当によかった」 


「…まあ、するつもりも無かったから」


 そう言って「兄さんを、心配させたくなかったから」とつぶやくマーゴ。


(長男と会ったときとは、ずいぶん態度が違う感じがするな)


 仲むつまじい兄弟の前で、どうしようかとミルクをすする亮に「…で、マーゴ。僕と一緒に国外に出る気はないのかい?」とたずねるポップ。


「それに対しては一択」と、マーゴ。


「街ですることが、少なくとも二つはあるから」


「…だと思った」と返事を聞くなり、ため息をつくポップ。


「マーゴの意志の強さは兄弟の中でも一番グランマ似だからね。僕がいくら言ったとしても最期には押し切られてしまう」


 マーゴはそれに「でも、顔が一番グランマ似なのは兄さんのほうだからね」と不敵に微笑み、机に置かれたポップの持つスマートフォンをタップする。


「ほらやっぱり。未だに昔のグランマの写真を待ち受けにしている」


 画面に映るのはポップそっくりの背の高い女性。


 整った顔立ちの日本人女性はどこか勝気な表情で、中東系の女性たちの中心に立ちつつ、ジープの前で赤十字に花火の描かれた手作りの旗を掲げていた。


「…仕方ないんだよ。この写真にうつる人たちが未だに僕をグランマと間違えて話しかけてくることが度々あって」


 先端を赤く染めた髪をいじくり、ため息をつくポップ。


「こうして髪を染めていても間違えられることには変わりなくて。紛争地帯から亡命した彼女らの話す祖母の武勇伝は面白いのだけれど、逐一説明をしなくてはならないから、こう見えても大変なんだよ」


『…そりゃあ、御愁傷様ごしゅうしょうさまとしか言いようがないねえ』


 ポップの言葉を受け、スクリーンの一角に出現する老婆。


『あの頃はヤンチャしたからね。ゲリラの乗ったヘリから逃れるためにジープの屋根でバズーカ砲をぶっぱなしたときは爽快だったけど、話を聞くかい?』


「いや、知ってるし」と、ため息をつくポップ。


「それ、政府のもみ消しがあって公式の書類に載っていない話でしょ。彼女たちから話を直接聞いて、かなり驚いたよ」


 そう言ってホットミルクをすすると「でも、ここまで記憶が鮮明だとグランマが三年前に亡くなったなんて未だに信じられないな」と静かに続ける。


『まあ、私も事故前後の記憶はハッキリしていないからねえ。気づけばアプリとしてパソコン内にいたから、自分で自分が信じられないのはこちらも同じさ』


「…え?」


 そんな亮の声に応えるかのように、スクリーンの投影機が下向きに傾き、白いテーブルの上に玉虫色に霧がかった深い谷の映像が投影される。


「亮くん、ここが何処だか分かるかい?」


 ポップの言葉に映像をマジマジと見る亮。


「…わかりません」


 それに「ここはアメリカのメリーランド州にあったNASAの元・研究施設よ」と、マーゴは答えてみせた。


「三年前まで宇宙研究としては最大規模の施設として運用されていたのだけれど、空間異変に土地ごと飲み込まれて、一夜にしてこうなってしまったわ」


『…ここでは宇宙開発の補助となる人工知能の開発も行われていてね』と老婆。


『その、プロトタイプとなる人工知能が私だったというわけさ』


「…まあ、正確に言えば、実用化まであと一歩のところだったらしいけど」と、続けるのはソファに腰掛けたまま、映像を見るポップ。


「ともかく、事故現場に一番近い場所にいた僕は兄さんに連れられて、ここまで来ていたのさ…正確には、現場から一キロ以上離れた立入禁止区域の手前でね」


 ついで、映像の横に小窓のようなものが現れ『どうして、中に入れないんだ』と警備員に止められるマインの姿が映る。


「これは僕が撮った動画だ。当時学生をしていた僕は少しでもこの状況を残しておきたくて、とっさにスマートフォンのカメラを回していた」


 そう言いつつ、静かにミルクをすするポップ。


『…ですから。ドローンから高濃度の放射線が計測されて、政府と本部がここを立入禁止区域にすることを決めたんです。今後の調査を待ってください』


 それにマインが『ワシントンが?』と警備員にたずねる。


『だったら、どうして俺たちに連絡をよこした。これほどの規模の災害を知ったのは匿名通話からだったぞ。ラジオを聴いても情報は入ってこないし…』


『ですから、それは何かの間違いで。とにかくお引き取りを』


『私が呼んだのさ。息子らが動けない以上、孫に動いてもらうしかないからね』


『ばあ…ちゃん?』


 声を頼りにポケットに入れていたスマートフォンを取り出すマイン。

 その画面には一人の老婆の姿が映し出され、マインは息を呑む。


『どうして…今、研究所はどうなっているんだ?』


 それに老婆は答えず『お前たちには、現状を見てもらいたかったのさ』と声を上げる。


『直接現場を見てもらったほうが、下手な情報に惑わされずにここから先のことを決められると思ってね』


 ついで『マイン、そしてポップ』と声をかける老婆。


『ここまでの経緯を含め、この研究所で開発された設計図とバックアップデータが近くの大学のパソコンに保存されている。それを持って政府とかけ合うんだ。きっと、お前たちの将来にもこの先を動かす役にも立つはずさ』


「そして、僕たちは人工知能であるグランマを大学にあるスーパーコンピュータの中から発見し、彼女の協力のもとで会社は発展を遂げた」


 ポップはそう説明するとすでにぬるくなったホットミルクをすすった。

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