2−3「問診」

「三年前にアナタは医者に通うのをやめたそうね」


 再びの問診。診察室でカルテを見ながらそうたずねてくるアミに、亮は乾ききった喉で「…薬が、俺には必要が無いと思ったので」とかすれた声で答える。


 白っぽい診察室の蛍光灯。 

 その明かりはアミの顔に影を落とし、高身長ゆえの威圧感が亮を押す。


「そう。急に薬をやめるとリバウンドが起こるのだけれど、聞いていない?」


 どこか、とがめ立てするようなアミの質問。

 亮はそれに「…すみません」と素直に頭を下げる。


「以前、別の薬と一緒に飲んだ時に副作用が起きて。その薬は医師に飲まなくて良いと言われたのですが…どうしてもその先に出された薬が飲めなくなって」


 それにアミは「怖い?薬が?」と興味深そうにカルテをタップする。


「以前の職場で起きた過呼吸…それが職場に行くたびに度々確認されて、飲んでいた薬も効果が薄く、医師の勧めで受けたテスト結果から処方された薬を併用しての副作用。それ以降、病院に通うのを辞めたと?」


 つぎつぎと詰問するようなアミの質問に「…それは」とだんだん答えることに苦しくなっていく亮。


 アミはそんな亮の顔を見もせずに「アナタは」と矢継ぎ早に質問を続ける。


「大学を卒業してすぐ、職を転々としていたそうね。新卒で入ったデザイン事務所を一年。鬱を発症した役所の電話窓口で一年。さらに福祉の受付を六か月勤めたところで、症状が悪化してリタイアしたと」


 事務的に淡々と報告を読み上げるアミ。


「デザイン事務所は超過勤務で上司に勧められて辞職。発症が起きた役所の電話窓口はクレームの対処係。福祉の窓口では、たびたび給湯室に呼び出されて同僚から病院に行くよう叱責されていたそうだけれど…それで、間違いない?」


 アミの質問に胸がえぐられるような感覚を覚える亮。


(早く辞めろよ、お前の作業でどれだけ迷惑かかっているんだよ?)


(いつまで待たせるんだ、お前どこかおかしいんじゃないのかよ?)


(病気だよね、あの子)


(受付もロクにできてないようだし、いろんなところをたらい回しにされているって話だし…病院に行ったほうが良いって。キミ、そういう人間っぽいし)


 思い出されるのは当時の上司や同僚たち言葉。

 それでも答えねばと亮はヒューヒューと鳴る喉を我慢し「…はい」と続ける。


「では、根本的な話だけど」とカルテから顔を上げずに続けるアミ。


「聞いているとは思うけど、これは薬の問題じゃないの。もっと性質的なモノだとアナタは知っている?」


 それに亮は倒れそうになる体を必死に支え「ええ」と答える。


「医師からは、事前に話を聞きました。でも…」と口を開けるも「待って、話が済んでいないわ」とその先をアミに遮られる。


「その性質が遺伝要因の可能性があることは?」


 その言葉を聞いた瞬間、亮の視界は点滅を始め、酸っぱいものが喉元までせりあがってくる。


「アナタの両親は六年前に離婚している。原因は父親の気性によるもので、入院履歴を見るとアルコール依存症であることがわかっている。けれど、その先の検査を見るとご両親の経歴と気質からして…」


『アミ!お前は何をしているんだい!』


 診察室に広がる怒号。


「おばあちゃん?」


 その声にカルテから顔を上げるアミ。

 同時に亮の喉から胃液が飛び出し、ビチャリと床を汚す。


「あ!」


 ついで仕切りのカーテンが開き「私の助手になんてことするの、姉さん!」と、怒り狂ったマーゴが亮のもとへと駆け寄り、腕を取る。


「ダメだ、いま俺は…」


 しかし、抵抗する亮をマーゴはそのまま立ち上がらせると卓上のケースに入れたスマートフォンをつかみ出し、診察室を後にする。


「…まったく、アミ姉さんはダメね。何年経っても、あのぶっきらぼうさは治らない。だから医者にはなれても患者に嫌われちゃうのよ」


『まあ、元々の性分だからねえ。昔から勉強は得意だったけれど、あの子はひとの顔を見ることをしないから』とスマートフォンの老婆が大きくため息をつく。


『まあ、カルテ伝いにこっちもアミを叱っておくから、許しておくれ…亮くん』


 それに「…いえ、大丈夫ですから」とトイレから出てきたのは柄物のシャツに黒の長ズボン姿の亮でマーゴがコンビニで買った服を着心地悪そうに直す。


「俺が悪いこともわかっていますし、そもそも目さえダメにならなければ…」


『あれは事故さ。自分を責めるものではないよ』


「…いえ、でも」と答えようとする亮に「気にしないで。アナタの気分を害したは姉さんのミスなんだから」とマーゴは続ける。


「あの人、昔から確認したい事柄があると相手の顔を見ようともせずに責めるような口調で質問をするのよ。そのせいでアナタは体調を崩して、私たちの信用も失った…自業自得よ」


 それに『明日には、自分のしたことに反省してくれれば良いんだけどね』と、老婆も続ける。


『なにぶん相手との距離感をつかむのが下手な子だから。経験を積んでいけば、良くなるかもしれないけれど、まだまだ医者としては半人前さ』


 ついで、マーゴは外に出ると病院の外に停まっているタクシーを拾い「駅前のホテルへ」と告げる。


「あなたの兄弟はすでに検査を終えて、今は駅前のホテルで休んでいる。【ウィンチェスター】に家が飲まれてしまった以上、当面は兄弟ともどもホテル暮らしになってしまうけれど、しばらくのあいだは我慢してちょうだい」


 タクシーでタブレットを持ち出し、タプタプとメモをするマーゴ。


「生活に十分なポイントがあるから費用面は問題ないとして、服とか生活用品を効率よく調達するには…」と計画を立てるマーゴに「あの、俺」と亮。


「これから、どうなるんだ。今後はあの病院に入院をさせられるのか?」


 マーゴはそれにしばらく黙った後「なんで?」と首を傾げて見せる。


「どうして、そんな結論になるの?」


 それに亮は「ええと…」と言いよどみ、少し息を吸い込んで眼帯を外す。


「おかしいだろ、こんな状態で。それともこれが異常には見えないのか?」


 亮は、マーゴたちに自分の右目…暗くなった眼窩を見せる。


「こんな状態で仕事ができるわけもないし、昨日の仕事ぶりからしても俺にできることなんて何ひとつとして無いじゃないか…なのに」


 しだいに亮の目には涙があふれ、声は嗚咽おえつへと変わっていく。


「いられるわけがない、このまま仕事を続けられる資格なんて俺には無いんだ」


 静かになる車内…そこに老婆の言葉が重なる。


『大丈夫。あんたは片目を失いながらもあの場所から生きて出てきた。それだけで十分価値があるってものさ』


「え?」

 

 顔を上げる亮。そこに、マーゴがすかさず「すみません。ここで一旦下ろしてください」と手を挙げ、一行は車を降りる。


『お前さんは、上から落ちてきた異物と接触し、目を空間にさらしてしまった。それは意思を持ってしても容易に防げるモノでは無いし、偶然に偶然が重なって起きてしまったことに等しい』


『…だからこそ、生きているだけで運が良いのさ』と老婆は続ける。


 そこに「まあ、責任の所在については私にもあるからね」とマーゴ。


「もっと早めにアナタたち兄弟と合流できていれば、あんな事態にならなかったはずだもの。喧嘩けんかさえなかったらという点では、マイン兄さんに請求を求めてもおかしくないくらい」


「…いや、それはさすがに」と困る亮に「それにね」とマーゴ。


「もし、アナタが辞める時が来たら、それはアナタたち家族が安心して暮らせる環境が整った時だと私は思うわ」


 夜間の街中。花火大会の垂れ幕の下がるアーケードを歩きつつ、続けるマーゴ。


「そもそも私はね、アナタたち兄弟のことを以前から知っていた。もっと早くに会っても良かったのだけれど、当時の私にはまだ立場も覚悟も足りていなかった」


「…え?」


 しかし、そこから先の言葉は聞き取れない。

 口を動かすマーゴの声に被さるかのように別の人物の声が聞こえてくる。


(…聞こえる?見える?こちらの姿が)


 同時に自分が引き伸ばされるような感覚を覚える亮。


 それは先ほど眼帯を外した右の目を中心として起きている感覚であり、視野はみるまに広がり、今や亮の視線は自分とマーゴを上から俯瞰ふかんして見ていた。


(いや…でも何かがおかしい)


 そう、周囲の光景が見慣れた駅前のものとはどこか違う。

 

 …蒸気のように煙をあげ、大きく左右に揺れ動く街路樹。


 地面も空気もグニュリ、ギュルリと渦を巻くように空間が曲がり、その穴からは黒く長い尾のようなものや、ねじくれた電球にも似た物体が道路に身を横たえている様子が広がっている。


(開いたのは【目】だろ?こちらを見なよ)


 その声に従うかのように亮は上から


 先ほどまで乗っていたタクシー。

 車内にいる運転手が口を開け、舌を出していた。


 その舌先は暗闇。先ほど病院で見た男や亮の右目と同じく、運転手の欠けた舌からは渦巻く玉虫色の煙がかすかに見えた。


(気づいたか?そうだ…)


 俯瞰の視界。距離の離れた車内で運転手は口元をほころばせる。


(【ラム】として、キミが早くも自分の能力に気づけたことが嬉しいよ)


 忍び笑いをする運転手。

 その声は亮の耳元でのみ、聞こえている。


(きっと、この街にいるそう思っているはずだ)


 そして、亮は気がつく。


 …ビルの中、駅の構内、飲み屋、マンションのベランダ。


 至る所で彼らは見ていた。

 体の一部から玉虫色の煙をかすかにくゆらせ、こちらを見ていた。


 【ラム】が、すでにこの街のあらゆるところに潜んでいることを亮は知った。

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