2−2「待合室」

「では、亮くん。ここまでの経緯を確認させてもらっても良いかしら?」


「…はい」


 ベージュ色の壁紙とカーテンの引かれた部屋。

 右目に眼帯をつけた亮と白衣を着た眼鏡の女性。


 女性の顔はマーゴと似ているが冷たい印象のほうが上回る。

 彼女は電子カルテに目を落とすと流暢りゅうちょうな日本語で質問を始めた。


「アナタは【ウインチェスター】に一時間ほど滞在し、頭上から落ちてきた落下物によって保護用に使っていたメガネを破損。そのさいに右目を数秒間、空間に曝露ばくろしたということでよろしいかしら?」


「はい」


 卓上に置かれた三面のデスクトップパソコン。

 そこに映るのは、亮の顔をサーモグラフィーとレントゲンで撮影した写真。


 レントゲンに異常は見られないがサーモグラフィーの右目は暗くなっており、表示された温度からしても亮の眼が異常なほど低温化にあることが見てとれる。


「マーゴの報告とも一致するわね」


 眉根一つ動かさず、そうつぶやく女性。


「…結論から言いましょう。アナタの目はもう元に戻らないわ」


 カルテから目を離さず、女性は画面をタップする。


「今まで、戻った事例が無い。この三年のデータから導き出した答えよ」


「そう、ですか…」と顔を伏せる亮。


「キミの今後については妹と相談して決める。問診はここまで。結果については、また話をするから待合室に戻ってちょうだい」


 女性は無表情でそう告げるとドアの方へと目をやる。

 亮はそれに「…はい」と答えて立ち上がる。


「ああ、それと」


 ついで女性はパソコンの前に置かれた箱…今はケースに入れられた、数時間前に亮が使っていたスマートフォンへと目をやった。


「位置情報を詳しく調べるため、キミのスマホは一時預かりをさせてもらうわ。最後に受付で返却するから、それまでこちらに置かせて」


「わかりました…ありがとうございます。アミ先生」


 そう言って、亮は頭を下げると診察室を後にした。


「…アンタも大変だねえ。企業の兄弟令嬢のワガママに付き合わされたあげく、片目を負傷するなんて」


 市内有数の大手病院。夜間ということもあってか、待合室は閑散としており、院内で営業しているコンビニの明かりが周囲をぼんやりと照らしていた。


 亮に声をかけてきたのは作業着姿の男。

 軍手でつかんだマンガ雑誌から顔を上げ、男は亮に笑いかける。


「そんな顔するなよ。俺もお前さんと同じ。上の指示に従うライフ・ポイントの雇われ社員さ」


 そう言いつつ、待合室の椅子に腰かけ直す男。


「ほら、お前さんが嬢ちゃんにくっついて出てきたときに、防護服の連中にここまで運びこまれただろう?俺も、その一人だったってわけさ」


 そこまで聞いて、亮は合点がいく。


(ああ、あのときは動転していて気づかなかったけど、防護服の中の人か)


「で、俺らは件の兄弟にくっついて世界各地で怪我人の回収だの雑用だのを日々こなしているというわけだ」


 ついで男は雑誌のページをめくると「…クソ。またこの話、休載になっちまったのかよ」と悪態あくたいく。


「実はさあ。俺はこの雑誌のテーマが死ぬほど嫌いなんだよな…読んでいる手前で言うのもなんだけど?【友愛】とか【頑張り】とか【栄光】とか。全部運任せにもほどがあるとは思わねえか?」


 ついで男は「ん、意味がわからないってか?」と亮の顔を見る。


「たとえば、同等の価値観を持つライバルがいなければ【友愛】なんて成り立たないし。評価される環境下にいなければ【頑張り】なんて無駄な足掻あがき。そも、【栄光】なんて、生きているうちに味わえる人間なんてほんの一握り」


「文字通り、ここに書かれているのは絵空事えそらごと。フィクションなんだよ」と、男は雑誌を閉じてため息をつく。


「まあ、早い話。生まれついた環境で人生は決まっちまう…それは今や社会を牛耳ぎゅうじるライフ・ポイントの兄弟連中と、俺たち一般人との関係も似たようなモノ。不条理ふじょうり極まりない社会の中に生きているのが現状さ」


「それはさすがに…」と思わず反論しかける亮に「本当にそう思うか?」と雑誌をつかみ、亮のもとに詰め寄る男。


「金持ちの家に生まれつき。良い大学に行って。今や一流企業の経営者をしている人間と、貧しい家庭で中学まで行き、学費が足りずに高校を中退して、低所得の働き口で糊口ここうをしのぐ人間は同じ人生だといえるか?」


「それは…」


「お前さん、目が泳いでいるぜ」と男。


「そう、スタート地点から俺たちと連中には差が大きく開いちまっている」


 男はそう言うと大きく両手を広げる。


「金持ち連中は富を増やし、貧しい連中は貧しいまま。その差が開き、次世代にまでその間隔が広がると…次に何が起こるか知っているか?」


「え?」


「同じ時代に生きようとも、同じ人間とは見られなくなっちまうのさ」と男。


「そこに、弱みなんぞ見つけたら日には…そら!」


 ついで男は素早く亮の顔に手を伸ばし、眼帯をむしり取る。


「あ…!」


「その弱みから、違いから、差別が生まれる。その右目のようにな」


 眼帯を取られた右目。


 そこから現れたのは暗い眼窩がんか

 花火のシールが貼られている中庭の窓ガラスに反射する亮の右目。


 その目はどこまでも暗く、穴の奥からほのかに渦を巻く煙は玉虫色でとっさに亮は片目を隠す。


「そうなっちまった人間を連中は放って置かない」


 男は静かに…だが、周囲を警戒するように言葉を続ける。


「入院を勧めてくるようになったら要注意。大量の薬を投与され、最悪、協力という名目で繰り返し実験に付き合わされる。それでダメになっていく連中を俺は山ほど見てきたよ」


 そう語ると男は軍手をするりと外す。


「俺も、同じ立場の人間だからな…ただ、運良くバレていないだけさ」


 みれば男の腕は手首から先が消えており、付け根あたりから亮と同じ玉虫色の煙がゆるりと立ち上っていた。


「お前さんはどうする?このまま、連中にされるがままになるかい?」


 軍手をはめ直し、亮に眼帯を返す男。


「いや、それ以前に顔色が悪いな…さては兄さん、昔に何かあったかい?」


 それに亮は「…いえ、ちょっと」と言葉を詰まらせる。


 男はそれに「ほーん」と何か思いついた顔をし「以前、似たようなことを受けた覚えがある…とか?」と口にする。


 瞬間、亮の喉元で「ヒュッ」と音が鳴る。


(前と変わらずですか。薬の量を増やしてみましょう)


(…あんた、それ実験されたのよ)


(おや、このテスト。前はできていたのに。亮くん、ひどい汗ですね?)


 自分にかけられる嘲笑、嘲笑、嘲笑の嵐…


「…まあ。それこそ、どこでも聞くような話だからな」


 男はそう言うと手にした雑誌をコンビニの雑誌置き場の上へとポンと置く。


「子供の頃に教育機関の実験に付き合わされたか?はたまた、就職先で過剰労働をさせられたあげくに病院行きにされたか」


 男の言葉に亮のアゴを汗がパタパタと落ちる。


「図星か、まあよく聞く話さ」と適当な文庫本を手にとりパラパラめくる男。


「少しでも平均から外れた行動をすれば、理解のない人間はそれを病の仕業だと決めつける。医者で治すよう勧め、治らなければ自分に合う場所に行けと、組織から追い出すものだからな」


 男はさらに本をめくりつつ、言葉を続ける。


「医者は医者とて、自分たちの基準で作り上げたテストを受けさせて、望む結果が出ようものなら嬉々として大量の薬を投与し、専門機関と名のついた自分好みの収容施設にぶち込んで点数稼ぎをする」


 本の内容が面白くなかったのか、早々に本を棚に戻す男。


「あとは連中にされるがまま。大量の薬の投与で呆けさせ、従順になったところで安価な給料で企業に引き渡す…それ以降も大量の薬とカウンセリングという名の治療費を永遠に払い続ける地獄のリレーの始まりさ」


 男の舌は止まらない。


「もはや、魔女狩りの時代への回帰。規定からはみ出た時点で社会からの…引いては人生からのリタイアが決まっちまう。それこそお前の生き方だと。身の丈にあった生活だと。弱者と判断した人間に対し、口を揃えてそう言いくるめるのさ」


 亮に近づき、同情するように肩を叩く男。


「心中、お察しするよ」


(…やめて!)


 それは、誰の言葉だったか。


(これ以上、私たちから…!)


「違う。俺は、ただ…」


 脂汗を流しつつ、必死に言葉を探す亮に「ただ、その状況を打開する手だてが、俺たちには残されているんだぜ」と男。


「え?」

 

「知りたいか?」


 そう言って男は亮に笑いかける。


「群衆の中の羊…名前こそ【ラム】と弱くも、俺たちはお前さんのような体質の人間を見つけてはその【特性】を活かして独自の空間探索を行っている」


「活かす…何を?」

 

 亮の言葉に男は彼の右目を指さす。


「俺は【手】をお前さんは【右目】をあの空間に置いてきた。それをうまく使うことで、連中並みの…いや、連中以上に世界をひっくり返せる可能性があることが、最近になって分かってきたのさ」


 そのとき、廊下の向こうからアミがやってくるのが見え、男は「じゃあ、折りを見てまた話そう」と亮から離れる。


「…【ラム】は。必要があれば、いつでも相談に乗ってやるよ」


 立ち去る男。

 ついで、入れ替わるようにしてアミが口を開く。


「亮くん、少し話があるの」


 手にした電子カルテをチラリと見るアミ。


「アナタが。その過程で少し気になる点があるから、詳しい話を聞かせてもらえないかしら?」


 ズシリとのしかかる重い感覚。

 その言葉が亮の胃をキリリと締め付けてきた。

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