『資格』
2−1「ウィンチェスター」
『空間が歪み、部屋が無数に繋がったこの場所を私らは米国の有名なお化け屋敷になぞらえて【ウィンチェスター】と呼んでいるのさ』
スマートフォンから聞こえる老婆の声。
サーモグラフィー状の画面のはしには半径三メートル範囲の地図が表示され、亮たちが進む方向を矢印がさし示している。
…しかし、視線の先は奇っ怪そのもの。
人型のシミが、湧いては消えを繰り返す書斎。
床板が蠢き、隙間から赤黒い紐のようなものが見えるリビング。
悪趣味極まりない光景がいくつも展開され、ドアを開けるたびにそれが続いて行く。
『ここでは裸眼は禁物さ。数秒もそのままにしていれば、たちまち視力に異常が生じる…どうしてそうなるかは未だに解明できていないがね』
老婆の声が響く、不気味な室内。
亮が玄関から家族を連れ出して二十分。
それは無限に続く室内を歩いた時間とも同じ。
「うーわ、でもネットが繋がる分まだましだね。世界中で起きているなら、いつウチが巻き込まれてもおかしくなかっただろうしさ」
「おお、本棚を撮ったら奥に砂漠が見える。壁に触れた途端に飲み込まれたって体験談もあるようだし、ボクらも気をつけないとね」
いつ出られるかもわからない状況なのに、どこか楽しそうな双子。
彼らは家から持ち出したタブレットを使い、情報収集と称しつつ、あちこちを撮影したりまとめサイトに投稿された記事を読んだりしていた。
「言っておくが、渡したものを外すなよ。視力に問題が起きるみたいだからな」
亮の注意に家から出したスキーと水泳用のゴーグルを身につけた双子は仲良く「「はーい」」と声をあげる。
「大丈夫だよ、僕らも気をつけるし」
「そうそう。出不精だったぶん、好奇心を発散させているわけじゃあないから」
(なんか…緊張感が無いな)
頭を振れば亮の花粉用サングラスがずれそうになり、慌てて亮は「あと、どれくらいになる?」と位置を直しつつも老婆にたずねる。
『もう、間もなくだね』
ついで『あ、繋がった』とスマホからマーゴの声。
『位置情報はちゃんと機能しているみたい。計算では、あと数部屋進めば互いに合流できるはずだけれど…あ、ちょっと待って。こっちも野暮用ができたから』
ついで、スマホ越しに男性の声が聞こえ、同時に老婆が『ここは先に進もう。孫の会話が終わるまで待っていたら日が暮れちまうよ』と答えてみせた。
「…危ないんだぞ、どうしてわざわざ」
「兄さんもひとりで来ているじゃない!私だけ行かない理由にはならないわ」
コンクリートの階段をのぼった先…見れば、大量のまな板のぶら下がる室内で保護メガネをかけたマーゴと防護服の男性が口論しており、フェイスガード越しに見ても男性の顔がマーゴとよく似ていることに亮は気づく。
「あ、ちょうど亮が来た…ほら、マイン兄さん。私は彼らを迎えに来たの。こっちは助手の亮、後ろにいるのは彼の家族で双子の瑠衣と流羽よ」
「どうも…」と頭を下げる亮に対し「こんちわ」や「よろしくー」と双子は呑気な声をあげる。
だが、マインと呼ばれた男は亮たちを見るなり小声で「こんなところ、防護服もなしで…」と日本語でボヤくと「すぐに出ていってくれ」と近くのドアを指をさす。
「妹にも言ったが、ここは危険なんだ。裸眼もそうだし場所によっては体に影響が出るところもある。私はライフ・ポイントの会社責任者であると同時にNASAに代わってここの管理も担っているんだ。早急に退去願いたい」
スマートフォンで名刺を見せながらそう警告するマインに「
「グランマと地図の機能がなければそっちだって迷うくせに」
それにマインは「…グランマ?まだ、そんなことを」と眉をひそめてみせる。
「いいか、俺たちの婆さんは三年前に亡くなっている。今、使っているツールはあくまで彼女の記憶をベースとした人工知能なんだ。グランマ本人じゃないことはわかっているだろう?」
それに「わかっていないのは兄さんの方じゃない!」と叫ぶマーゴ。
「グランマはモノじゃない!あの事故で体こそ無くなってしまったけれど、今でもこうして私たちを助けてくれている…なのに、兄さんは…!」
シンと静まり返る部屋。
息を切らすマーゴ。
マインもスマートフォンの老婆も何も答えない。
そこに『スケジュールが混み合っています、次のタスクをこなしてください』と機械的な女性の声が流れた。
「…時間が押してる。そろそろ俺も行かないと」
そう言うと音声を流したスマートフォンを持ち、近くのドアに歩き出すマイン。
マーゴはそこに「兄さんは頭が固いよ!」と、叫んだ。
「早々にグランマの機能もアンインストールしちゃうし、私がここにいるだけで文句を言うんだ…もう、知らない!」
ついで、亮の腕を取るマーゴに「…ああ、それと」と振り向きもせず声をかけるマイン。
「アミに連絡を入れた。出口のポイントに防疫班を待機させているから、連れの三人と一緒に検査を受けろ」
「はあ!?何勝手にしてくれてんのよ!」
再び声を荒らげるマーゴに「じゃあ、俺はレッドを探しに行くから。寄り道はするなよ」とマインはドアを開ける。
「ここ最近は頻繁に地形が変わっているし、危険な生物も見つかっている。早めに出て、もう二度とここに来るな」
「うるさい、私はもう子供じゃあ…!」
しかし、マーゴが続ける前にマインは扉の向こうへ姿を消し、彼女の言葉だけがタイルの室内でワンワンとこだました。
『…長男のマインは、三年前から私に代わって会社の代表になってね。マーゴは六人兄弟の中で一番年の離れた末の子だから、心配でたまらないのさ』
狭い坂道を下りつつ、兄弟の事情を説明をする老婆に「レッドは、三番目の兄さんの名前よ」と、
「【ウィンチェスター】を中心とした
坂の天井には不明瞭な文字の書かれた紙があちこち垂れ下がり、亮たちの頭上で風もないのに揺れていた。
『将来的にエネルギーとして活用できそうな素材の発見。安定供給できるならと産業利用を考える連中もいたりするくらいさ』
「もっとも…それまで、生きていられたらの話なんだけれど」と老婆の話に皮肉交じりに応えるマーゴ。
「【ウィンチェスター】が起きている以上、広範囲での空間異常が発生しやすくなるから、街全体が崩壊する可能性が高いの」
『大量に穴が空いた地盤は支えきれずに崩壊するからね』と老婆。
『マインもそれは十分承知しているはずだし、街の住民にも避難を呼びかけているはずさ。あと二、三日で街は空っぽになるだろうね』
(二、三日…花火大会はどうなるんだろう)
老婆の話を受けて、亮の頭にそんな考えがよぎる。
…そう、明日は花火の日。
例年であればホテルも店も人でごったがえすはずである。
(毎年見る活気が、これからは見られないのかもしれない)
そんな一抹の寂しさを覚える亮に「アミ姉さんはね…」と続けるマーゴ。
「元は医者だったけれど、今は空間の医療専門家をしているの。最近はこの辺りの犠牲者が多かったから、兄さんの頼みもあって近くの病院に派遣されたのでしょうね…でも、早々にバッティングなんて」
だが、そこから先の言葉を亮は耳にすることができない。
(プツリ…ジュッ!)
亮の頭上。垂れ下がった幕の一枚が切れ、彼の顔を覆っていた。
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