1−4「理由」

介護疲かいごづかれね。ご主人ひとりで寝たきりの奥さんを世話していたのだけれど、そこに痴呆ちほうが加わって、暴れたときに、とっさに手を上げてしまったそうよ…部屋の写真は証拠として警察に提出したからポイント精算をお願い」


『はいよ。そうなれば主人のポイントから弁護士の紹介と生活を支援するために必要なぶんを振って…』


「え、罪を犯した人でもポイントって使えるんですか?」

 

 モダンな雰囲気のレストラン。


 昼食に注文したエビフライカレーを食べるマーゴに、亮は思わずカツカレーを食べる手を止める。


『ああ、使えるし、生きている限り増えていくよ』


 それに当たり前のように答えてみせる、スマートフォンの中の老婆。


『人は人さ。どのような道を歩もうとも、人である限りライフ・ポイントの価値は変わらない』


 邪魔にならないよう、中央の花瓶へと立てかけられたスマートフォン。

 食事に集中し始めたマーゴに変わり、老婆は淡々と言葉を続ける。

 

『人が事件を起こすには必ず背景がある。孤立、虐待、貧困、知識や理解の不足からくる思い込み。それらを調べ、個人とまわりのシステムを見直していくのもアタシらの仕事さね』


「…課題を浮き彫りにすることは企業の需要にも繋がるし、ひいては社会全体の成長にも繋がるからね」


 カレーについたエビフライを尻尾まで食べ終え、デザートのかぼちゃプリンへと手を伸ばすマーゴ。


「課題を提示した個人にも解決する企業側にもポイントの加算がされるわ。罪を犯したのちに社会に復帰した人間も将来の生活費として使えるし、サポート側である企業も資金源としても活用できる」


『もちろん、こうして食べた分の代金としてもね…どう使うかは本人次第さね』


 ついでマーゴは「ごちそうさま。お会計はそれぞれのポイント支払いで」と、亮と自分のスマートフォンをレジ横に置かれた機械へとかざす。


『ポイントが貯まるのは一秒につき一ポイント。三十分も店にいれば、無一文であろうともポイントで十分に食事代をまかなうことができる…故郷の街で、気軽に食事ができればと思って開発した面もあるからね』


 帰りのタクシーの中でそう言いつつ、老婆はクツクツと笑う。


 その横で耳元のピアスに手を当てていたマーゴは「グランマ。あとで、別の場所に寄ることになるけれど良い?」と老婆の方を見る。


『ああ、もう【ウィンチェスター】が来たのかえ』


 老婆はそれに訳知り顔でうなずくと『では、亮くん。今日のところはゆっくり休みな』と小さく微笑む。


『昨日はせっかくの半休を潰してしまったからね。明日も土日だし、家族仲良くするためにもオフの時間は大切にしておかないとね?』


「…で、兄ちゃんは昨日の分の早帰りができたと。良かったじゃん」


 ポロシャツに半ズボン。


 ラフな室内着で棒アイスをかじるのは双子の片割れであり、今しがた風呂から出たばかりの亮の話を耳にしつつ、背中に届くほどの三つ編みを揺らす。


「コッチは編集後のひと休み中。ムコウは視聴者さんリクエストの最新ゲームのリアル配信中だから、あと一時間ほど二階には近寄らない方が良いよ」


 それに亮は「わかった。夕飯に間に合うなら、いいぞ」と答え、汗をぬぐったタオルを洗濯機に放り込む。


「こっちは空いた部屋の掃除をするから、用事があったら母さんか、じいちゃんばあちゃんの部屋に声をかけろよ」


「はあーい…」と答える片割れ。


 しかし、後ろを向いて歩き出すと「なあ、兄ちゃん」と、ふと足を止める。


「ん、なんだ?」


 思わず聞き返す亮。


 しかし、双子の片割れは「ううん、何でもない」と、そのまま歩き出し「もうすぐ通信教育の時間だから」と居間で充電されているタブレットを指さす。


「勉強してくる。兄ちゃんも、新しい職場に早く馴染めると良いね」


「あ…ああ」


 そう答える亮に片割れは三年前から学校で配布されている家庭用タブレットの電源を入れ、向こうの講師に「ハロー」と挨拶をはじめた。


(新しい、職場…ねえ)


 双子に言われたことを考えつつ、母親の部屋に掃除機をかける亮。


 八畳ほどの広さの部屋。母親が亡くなって三年になるが、亮が頻繁に掃除をしているため、部屋は比較的キレイに保たれていた。


(今までの職場でさえ、長続きしなかったからな)


 壁に飾られているのは、コンテストの賞状と夜空と風景の写真。


 ガラス棚に入れられているのは生前母が大切にしていた高価なカメラであり、六年前に亮とともに住んでいたアパートから出て行くときにも、これらの機材を後生大事にケースに詰め込んで車で運んでいたことを思い出す。


(俺は美大まで行ったけれど、そこまでカメラに思い入れはなかったし…)


 そう考えつつ、ひときわ目立つ花火の写真の前で掃除機をかける亮。


双子あいつらだって、学校には行っていないけれど動画配信でそこそこ収入があるようだし…何の才能もない俺には何も残っていないんだよなあ)


 ため息をつく亮。

 その脳裏に昨日見た夢がよみがえる。

 

 …そう、亮が市役所に行った日。


 あの日、亮は母親を事故で亡くしていた。


 詳しい経緯こそ分からないが、ともかく亮が目を離した隙に母は事故で死んでしまい、突然身内を失い呆然とする中で母親の知り合いだと言う原さんに手伝いをしてもらいながら怒涛のように諸々の手続きを済ませていた。


 死亡手続きに遺産の相続。

 職業安定所から先日まで勤めていた市役所の仕事にありつくまで。


(短期間だったけれど、原さんがいてくれたからこそ無事に済んだんだよな)


 そこまでの記憶は途切れ途切れでも、彼女への感謝は忘れない。


 …そんな思いでため息をつく亮に背後から声がかけられる。


「兄ちゃーん、五時だけど夕飯どうするー?」


 みれば、そこにはストレートにカチューシャをつけた双子の片割れ。


「あ、もうこんな時間か?あー悪い、もう一時間かかるかもしれん」


 それに片割れは「別に良いよ」と言って、部屋を見渡す。


「昨日が母さんの命日だったものね。部屋くらいは綺麗にしたいだろうしさ」


 その言葉に亮は「…ああ」と言って、掃除機のコードをそそくさと巻き取る。


「花火大会の二日前だったしな…そうだよな。当時のポスターよりも部屋に飾ってある母さんの花火の写真のほうが綺麗だものな」


 双子にそう聞く亮に、うつむく片割れは何も言わない。


(…まあ、わかっているよな。俺たちの母さんはもう二度と戻ってこない。命日に近いなら尚更それを感じずにはいられないものな)


「わっ、何するんだよ」


 とっさに片割れの頭に手を置いて、髪をくしゃくしゃに撫でる亮。


 ストレートにカチューシャをつけた片割れは、一瞬だけそれに驚くも、やがて「やーん」と猫のような声をあげて逆に亮にすりよってくる。


「…ん。ありがとう、気が済んだ」


 そう言って、手を離す亮に「どういたしまして」と、瑠衣か流羽。


(そうだよな、いま大切なのは、この生活を大事にすることだよな)


 夕食に作った夕顔のそぼろ煮を食べつつ、亮はうなずく。


(兄弟を少しでも助けられるように、俺も仕事を覚えていかないと…)


 そして翌朝、亮は顔を洗いに洗面所へと向かう。


 夏特有の湿気をまとった空気。


 玄関へと続く廊下。


 やや長いとも思える距離を歩く亮に声がかかる。


『おやおや、もう【ウィンチェスター】に飲まれちまったか』


 それは、スマートフォンから聞こえる老婆の声。


『すぐに双子を叩き起こしな。さもないと、身体がバラバラになっちまうよ』


 見慣れた窓の外は、いつしか極彩色の玉虫色へと変化していた…

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