1−3「出先」

 …その日、亮は夢を見た。


 市役所にある福祉課の受付。人気のないフロアには赤黒い色が飛び散り、机や受付、壁に貼られたポスターが見えないほど周囲は血に侵食されていた。


(母さんはどこに?)


 同伴していたはずの母親を探すため、亮は隣の席を見る。

 そこには細かく千切れた書類の束。


(この書類は…?)


 思わず、見覚えのある書類に手を伸ばそうとした瞬間、見る間に紙の束は接合し、それは人の形…口を開け、包帯に巻かれた女の姿を取り…


『産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった、産まなければ良かった…』


「亮くん、顔色が悪いけど…大丈夫?」


 気がつけば、早朝のゴミ捨て場。


 亮の顔を心配そうに覗き込んでいたのは近所に住む相談員のはらさんで、現実に引き戻された亮は「…あ、すみません」と額の汗をハンカチで拭う。


「そう?くれぐれも無理しないでね」と原さんはゴミ出しをしつつ、近くにある亮の家を見上げる。


「弟さんたちも三年以上家から出ていないようだし、相談事があったらいつでも言ってね。職場も変わってしまったから前みたいに部署内の相談は受けられないけれど、話し相手くらいはできるから」


「ありがとうございます…というか、やっぱ本庁内で俺の話出ていました?」


 亮の言葉に、原さんは周囲を見渡すと「ちょっとだけ…ね」と、困ったように微笑んでみせる。


「ここも田舎だから、この手の噂ってあっという間に広がるのよね。小耳に挟んだ感じでは、企業から引き抜きがあった…とか」


 その言葉に「すみません、挨拶も無しに」と、亮は頭を下げるが「いいのよ、気にしなくて」と原さんは微笑んで見せる。


「急な話だったみたいだしね。安定したところに就けたのなら、それで良いわ」


 そう言いつつ原さんはゴミ箱の蓋を閉めると「…何しろ、キミのお母さんの頃からの付き合いだもの」とため息をついてみせる。


「本当ならもっと家族ぐるみで面倒も見てあげたいのだけれど…あ、いけない。子供を送らなきゃ」


 言うなり、原さんは近くに止めていた自転車に飛び乗り、亮に手を振る。


「じゃあ、またね」


「ええ、原さんもお気をつけて」


 去っていく自転車…その一本先の道をパトカーが通り過ぎていく。


「あれ、事件か?」


『うんにゃ、どっちかっていうと仕事だね』


 気づけば、亮のスマートフォンに昨日の老婆が映り、こちらを見上げていた。


「…場所は駅から橋一本渡った先の高層マンション。部屋に居ながらにして花火が見えるのが売りらしいけれど、こんなに風が強いと大変よね」


 そう言うとマーゴはためきそうになるスカートの裾を押さえてため息をつく。


「くっそ、今日はズボンでくれば良かった…そうは思いませんかね、奥さま」


 その先には今しがたインターフォンを押して顔を出した女性の顔があり、突然の来訪者の様子に女性は目を丸くする。


「えっと、どちらさまでしょうか?」


 マーゴはそれに「こちらは警察の関係でして」と曖昧な返事をしながら女性にメールの表示されたスマートフォンを見せる。


「ご主人から警察に通報があったので詳しい事情を伺いに参った次第でして」


 しかし、女性は差し出されたスマートフォンの画面に目をやると困惑した様子で「…ちょっと、思い当たりませんね」と首を振る。


「ここに書かれているの、自分の奥さんを殺してしまったからどうしたら良いっかって内容でしょ?住んでいるのは私だけですし、それにこの機械…」


 そう言ってスマホへと目を移す女性に、マーゴは「では、ライフ・ポイントはご存知ですか?」と、やや体を奥に押し込み気味に早口で説明を続ける。


「もし、入っておりませんのでしたらこの機会に。買い物から福利厚生まで生涯幅広く利用できる公共ポイント制度でして、無料で加入できるのですが」


 ついでパシッと何かが弾けるような音が聞こえるも「…それ、保険の勧誘?」と女性はうさんくさそうな顔でマーゴを見つめる。


「でしたら保険も押し売りもお断りです。こちらも忙しい身ですし、すぐに…それでは!」」」」


 言うなりバタンとが一斉に閉まり、亮は絶句する。


 …そう、マーゴと会話をしていた女性。

 彼女らはフロア全体のドアから顔を出し、同じタイミングで話をしていた。


『見たとこ、ここと同じ部屋がフロアに連続しちまっているようだね。中の人間の記憶もずいぶんと混濁しているようだし…まあ、それが良いかどうかはわからないがね…どうだい、撮れたかい?』


 そう問う老婆の声に「ええ、グランマ」と答えるマーゴ。


「留置所に行ったご主人の話は本当みたい…見て、家の中にも奥さんがいる」


 ついで、彼女の差し出すスマートフォンには室内を撮った画像。

 

 同一の顔をした台所や掃除をする先ほどの夫人…複数いる彼女らの中心には、ハエに覆われ、介護用ベッドにシミを広げる老女と思しき遺体が覗いていた。

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