第七話 壊れた天秤

 因果応報、そんな言葉が頭をよぎった。仕方なかったのだ、牛頭の巨人があそこまで近くにいたのだ、助けられる可能性は低かった。

自分の中の暗き感情を隠すために自分に言い聞かせた。


 否、手が届き、助けられたであろう。なぜ、助けを求めぬ者を救い、助けを求めた者を見殺しにした。なぜ、なぜ、なぜ、区別した、いや、差別か。命の尊さに変わりは無いはずだ。

感情が爆発した。今まで考えてはいなかったが心の底で、人の命、命の価値に私は物差し、天秤を作っていたのだ。


 命の価値とは、平等では無い。見捨てられる者、たまたま、救われる者。そこに違いはあるのか。

自問自答しているうちに、感情が闇に飲まれていくのがわかる。私の中の天秤は壊れてしまっている。


 うぅ…。

言葉にならない言葉が漏れる。


 そんな中でも、牛頭の巨人はこちらに気付いており、歩みを進めてくる。


 あ、あ、もう辞めよう。問題はあれど、答えなど無いのだ。考えを放棄した。今まで向き合うことをしなかった、濁った感情だけを心に残して。


 牛頭の巨人が大きな雄叫びを上げた。


 うるさい…、お前さえいなければ…。消えてくれ。

私は牛頭の巨人の方に虚ろな目を向けた。


 大地から闇が噴出し、牛頭の巨人の足元に広がった。その闇は音もなく、匂いもなく、何も無い闇だけが広がっている。


 牛頭の巨人は身動きが取れず、もがき叫んでいる。闇に触れた部分が、腐敗している。腐敗し崩れていく様は闇の沼に呑まれていくかのようであった。使うことすらままならなかった闇魔法が今になって発現した。


 そして、何も無くなった。牛頭の巨人、男の亡骸、そこには何かがあったであろう痕跡すら残っていない。違和感があるくらい綺麗である。


 …。

感情に蓋をして、人の声がまだ聞こえる方へ向かった。


 奥に向かうにつれ、不思議なことに血生臭さが薄れていく。ところどころに血染みはあるものの、血塊、屍の数は少ない。


 理由はすぐにわかった。牛頭の巨人を双頭の魔狼が追い立てている、いや、統制している。牛頭の巨人が人間を捉えて、潰す。その潰された肉塊を双頭の魔狼が綺麗に食べている。


 先程の牛頭の巨人ははぐれだったのか。

まるで、牧羊犬のと羊のような洗練された行動に感心した。

 

 知恵がある魔獣と対峙するのは厳しい。どうしたものか。瓦礫の中に身を隠しながら思考を巡らした。


 今ここですぐに動くのは得策では無いと感じ、皇子宛に町の現状をしたためた皮紙を風魔法で送った後に、魔獣の観察を始めた。


 魔狼は3匹、牛頭は1匹か…。数はそんなに多くは無いが、複数戦は避けたいところだ。双頭は非常に厄介だぞ…、死角がかなり少ないから奇襲も困難だな。

そう考えているうちに、皇子からの手紙が届いた。


 ”状況は芳しくなさそうだな、こちらには二足歩行の魔猪が流れていている。弱点も人間と同じでそんなに苦戦はしていない。お互い踏ん張りどころだな。帰ったら、この魔猪の肉で祝いだな。その時は兄弟子ではなく友と呼ばせてくれ”

最後のあたりは急いで書いたのか文字が乱れていた。


 向こうの状況もあまり芳しく無さそうだな。ここは攻めるしか無さそうだな。

覚悟を決めた。


 ”石槍(ストーンランス)”

瓦礫から生成した身の丈程ある鋭利な岩を風魔法で打ち出した。


 パンッという破裂音と共に発射された石槍は牛頭の巨人の胴体に命中した。牛頭の巨人はもがく間も無く倒れ込み、穴の空いた体から臓物や人であったであろう何かが流れ落ちた。


 魔狼には避けられたか…。発射音ですでに反応されていたな。瞬発力、知能も優れている魔獣を前にどう立ち回ったものか…。

妙案は浮かばず、焦った。


 あの魔狼たちの落ち着きが無くなった。いつ飛びかかってきてもおかしくは無い状況だな。

私はいつでも反応出来るように、魔狼を注視しつつ、瓦礫を土魔法で棍棒のような形に成形した。


 魔狼の群れは獲物を逃さんとばかりに私に詰め寄り、周囲を回りはじめた。


 先頭の魔狼は口から粘液を撒き散らしながら、後ろの二匹はなぜか歯軋りをしている。


 魔狼の粘液からは硫黄のような匂いがする。


 まずい。

私は察した。


 その硫黄の匂いがする粘液に歯軋りによって生み出された火花が引火し、火の壁となり私を取り囲んだ。


 やられた、ここまで知恵が回るとは。

牛頭を統制することが出来る程度の知恵だと思っていたが、見当違いであった。


 魔法も万能では無い、一部例外を除き無から有を生み出すことはできない。火を消そうにも水が足りない。空気中の水分を使おうにも、この火の勢いでは、消し尽くすことは難しだろう。逃げたとて不意の一撃をもらえば致命傷になる。


 ”空気壁(エアウォール)”

私は自分の身体に空気の膜を纏わせると同時に、火に空気を送り始めた。


 少しの辛抱だ。

火の勢いは増し炎の壁となった。火の粉が魔狼に飛び散るが、魔狼達はケロッとしている。それよりか、いっそう一心不乱に走っている。


 獲物を急所を確実に捉えるように、私の周りをグルグルと走り回っている。


 目を逸らすと負けだな。

そう思いつつ、私は火に空気を送り続けた。


 皮膚が熱さで爛れ、少しふらついた時に、一匹の狼が飛びかかって来た。


 あ、かぁ。

痛みに声が出た。


 なんとか咄嗟に急所は避けたが、双頭の牙が肩と腕に食い込み、血が流れ出した。


 あぁぁぁ!

気合いを入れて、手に持つ棍棒で魔狼の頭を砕いた。その代償は大きかった…、魔狼の牙が深く食い込み腕は折れ、肉がえぐれた。


 畜生め。

今までにない、恐怖、痛みにおそわれ、我を忘れたように感情に任せて、倒れた魔狼を殴り続けた。


 魔狼は骨が飛び出し、肉と臓物は混ざりミンチのようになった。肉片が四方に飛び散り、あたりは血の花が咲き乱れた。私自身もどす黒く色づき、その姿は私の中の怨嗟の声を体現したようであった。それを見た残り二匹の魔狼はたじろんだ。


 ここからは根比べだ。

そう言うと、私は胃から上がって来た異物を吐き捨てた。


 視界がかすみ、足元がおぼつかない。しかし、それは魔狼も一緒であった。


 この場所の酸素は燃やし尽くされるだろう、その時どっちが最後まで立っていられるか。

朦朧とする中、血走った目を見開き魔狼を睨みつけていた。


 その時は一瞬だった、二匹の魔狼は痙攣し倒れ込んだ。


 空気壁で体を覆っていたので、なんとかなった…。しかし、これは…危険な賭けだった、早く脱出しなければ…。

朦朧とする意識の中、自分の身に纏った空気壁を足元に向かって打ち出した。


 ”空気砲(エアバレット)”

マントを広げ、動かない片手には括り付け、もう片手でしっかりと握り、空気砲の圧を利用して少し飛び上がった。そして、熱で膨張した空気をうまく利用し火の壁を越える高さまで浮かび上がった。


 なんとか…なったのか…。

急に笑いが込み上げて来た。緊張が緩和されて笑みが出るとは、よほどの緊張であったようだ。


 このまま、進めば海の方に抜けるな。町民達はそちらに追い詰められたのであろうか。

そんなことを考えながら、滑空し地上に降り立ち、歩みを進めた。


 片腕は動かず、歩くたびにゆらゆらと揺れる。焼け爛れた皮膚は風を感じるたびにチリチリと痛む。進むにつれて、身体は軋み、私にもう良いのではないか?と訴えかける。自分を犠牲にしてまで町民達は救う価値が本当にあるのか?そんな、考えが頭をよぎる。それでも、歩み続けた。


 海がよく見える丘に着いた。そこからの眺めは今までの殺伐とした雰囲気は全くなく、ただただ広く、終わりが見えない青く暗い海が広がっている。


 ここからだと、よく見渡すことが出来るな。人が隠れていそうな場所は…。

あたりを見渡すと、そこには古い灯台があった。


 あの灯台は逃げ隠れするには良い場所だな、と思い灯台に足を進めた。


 海は穏やかで、波の細波の音が心地よい。このままここで一眠りしたくなるような穏やかさである。しかし、砂浜に残された多くの逃げ惑うような足跡や血染みは一刻を争うと言うことを告げていた。


 やはり町民達は灯台へ逃げたようだな。

灯台に町民がいると言うことが確信に変わった。


 灯台に近づくにつれて、波の音に混じりカチャカチャという金属音が混じっている事に気が付いた。


 灯台の前に3人の人影が見えた。私はその人影に手を振った。


 町の魔獣は討伐した、安心してくれ。

私は3人の人影にそう告げたと同時に、背筋に悪寒が走った。


 3人の人影は3人では無かった。首が3つあり胴体1つから手が6本、足が6本生えている。それは人らしき姿をしているが魔の物であったのだ。


 それはこちらの言葉を理解しているようで、嘆き悲しんでいるように見えた。


 魔の物なのに人のように鎧を着込んでいる…。

私はほかの魔獣などにない異質さを感じた。同時に、勝てるビジョンが全くわかなかった。


 この満身創痍の体でどこまで出来るか。逃げるなら今かも知れん…。そんなことを考えていた矢先、灯台から声が飛んできた。

 

 町の魔獣をやっつけたなら、そいつも早く退治してくれ!

 来るのが遅いんだよ、何をやっていたんだ、私の家族は…。

町民達からの罵詈雑言、嘆き悲しみの声であった。


 そうか…。

心が闇に呑まれる音が聞こえた気がした。心のどこかで、求め、感謝されると思っていたからである。


 ありがとう、家族の仇を取ってくれて!

顔中煤や泥にまみれの少女がそう叫んだ。両親を失い悲しみに暮れて泣いていたのであろう、目の下には綺麗な肌がみえている。

 

 まだ、救われるべき命は残っている。

私の中の壊れている命の価値の天秤が少しだけ傾いた気がした。


 魔の物は私が片付ける、安心してくれ!

そう言うと、心なしか身体が軽くなった様に感じた。しかし、口では大ごとを言ったものの、片腕は動かず、満身創痍なことには変わりはない。


 なんとか短期決戦に持ち込みたいところだ。

嘆き悲しんでいる魔の物に先手で魔法を打ち込んだ。


 ”炎の矢(フレイムアロー)”

魔の物に目掛けて放ったが、鎧により攻撃は阻まれた。


 魔の物は完全に私を敵と見なし、血走った目で睨みつけてきた。まるで、子どもを殺されて憎悪に染まったかの様に見える目に私は身震いした。


 その剛腕で隠し持った槍をこちらに向けて投擲してきた。槍はその速さから、悲鳴をあげているかの様な音を纏っている。


 な…。

 ”岩壁(ストーンウォール)”

間一髪であった、音すら置き去りにして飛んでくる槍を岩壁で軌道を咄嗟にずらした。岩は抉り削られていた。


 魔の物は警戒を強め、盾で身を守り始めた。まるでそれは、重装歩兵が集まり密集した陣形をとったかのような姿である。


 あそこまで身を固められると、こちらからの攻め手がない。防御、攻撃もあの6本の腕でお手のものである。


 魔の物は盾を構えて突進して来た。6本の足を巧みに使い、轟くような大きな音を発してこちらに突っ込んでくる。


 止めることはできそうにないな。

私は直線的な動きを見切り、回避に集中した。


 真っ直ぐに突っ込んできたので回避は容易であった。しかし完全に回避したと思ったが、衝撃が身体を突き抜け、私は吹き飛んだ。鼓膜は破れ、地面に叩きつけられ折れた腕はから骨が飛び出した。それは、カトーの修行で空気砲(エアバレット)を受けたときと同じ衝撃であった。


 がぐぁ。

あまりもの衝撃で出してもいない声が漏れる。息が詰まる。


 これはまずい、回避のしようがない…。

脳裏に死の言葉が浮かんだ。


 あの速度だと、魔法攻撃も当てる事も難しい。なんとかして活路を見出さなければ、死はそこまで迫って来ている。


 海が近いので、水魔法は容易に使えるが、どうする…。当たらなければ意味がない。そう考えている内に次なる突進の準備をしているのが見てとれた。


 まずい、このままでは。

咄嗟に海水を使い、水の壁を直線上に作った。


 ”水壁(ウォーターウォール)”

この水壁でなんとか速度を落とせれば。


 そんな考えを打ち砕くように、パンッという音と共に水の壁は弾き飛ばされた。再度、衝撃が私を襲った。


 海水は衝撃で蒸気となり空に登っていく。魔の物の身体には傷一つつく事なく、海水で少し光っている程度である。


 私はここで死ぬんだなぁ。そう思っていると、時間の流れる速度が遅くなり走馬灯のように、カトー、皇子、チェスカ、ガロンと暮らした日々が脳裏に流れた。


 あぁ、楽しかった…、もっと長く続けばよかったのに…。そう思っていた時に、町に向かう際に聞いたカトーが出したであろう雷轟を思い出した。


 最後の力を振り絞り、空に登っていく蒸気に魔法を込めた。


 頼む…。

 ”雷電(サンダーボルト)”

蒸気は雲となり、大きな稲光は轟音を携え、雷電となり空から落ちて来た。


 大地は抉れ、衝撃で私は吹き飛んだ。大地には、雷電の印のみが残されており、魔の物の姿はどこにも残っていなかった。


 救うべき命を救うことができたと私は安堵した。


 英雄だ!

 やった、助かったぞ!

そんな町民達の声が聞こえた。


 先程まで、悪態をついていた人達も今は喜びに満ちている。


 英雄殿、大丈夫ですか。

町民達が寄ってくる。


 ありがとう、あまり大丈夫ではないな。

笑みが溢れた。救った命に感謝される、英雄と呼ばれる事に嬉しさを感じた。


 すまない、今から私は皇子がいる小屋まで帰らねばならん。もし、私とともに戦ってくれる者がいれば助けて欲しい。

満身創痍の体では満足に步けもしないので、なんとか町民達に小屋に帰るまでの手伝いをしてもらいたかった。


 誰も名乗りを上げなかった。

自分の命を優先したのであろう、それが普通である。


 私が行きます。

みかねて名乗りを上げたのは、あの顔中煤まみれの少女であった。


 大の大人が名乗りを上げず、恥ずかしくないのかい?私も行くよ!

そう言ってくれたのは、少しふくよかな女性であった。


 そこまで言われたら、行くしかねぇよな!なぁ、お前達!

腕っぷしが強そうな男が、3人男を引き連れ名乗りを上げた。


 皆、ありがとう。ここから半日ほどの場所にあるので、準備ができたら出発しよう。

私は応急の手当を行い、町民達5人と皇子たちのいる小屋に出発した。



 

 


 

 




 





 



 


 



 

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