第三章 『今日できることは明日に残してはいけない。 時間は有限である』



僕とゼロ先輩はナナミさんの図書館に来ていた。


ゼロ先輩はただ何をするでもなく、宙を眺めている。 僕も窓から見えるゲオルタワーをじっと眺める。 そしてナナミさんも椅子に座り項垂れて床を見ていた。

傍から見れば非常にシュールな光景だろう。 でも別に誰かを笑わせようとしてそうしているわけではない。 ただ動いたり何かを話したりする気力が無いのだ。


昨日はあの後すぐに神社に警察が来た。 

しかしだからといって何かが解決したわけではない。 ハスミ姐さんが再び動く事は無かったし、ゼロ先輩が追った謎のコート姿の人物も行方をくらました。 

お母さんは僕たちが神社を後にするまでハスミ姐さんの傍から離れる事は無かった。 

結局何が起こったのか……何もわからない。


昨日の光景が、頭から離れない。 あのハスミ姐さんの恐怖に歪んだ顔。 

一日経っただけでは到底忘れる事ができない。


「そういえばリュウジ君」

沈黙を破ったのはゼロ先輩だった。


「昨日包丁の刃の部分を握っていたけど、怪我してない?」

僕は右の手のひらをゼロ先輩に見せる。

「幸い何にもなっていません」

「そう。 それはよかった。 けっこうガッツリ掴んでたからびっくりしたよ」

「僕もザックリいったかなって思いましたけど、大丈夫でした」

「……」

沈黙が室内を包む。 それ以上の話題は出ない。


「リュウジさん」

このまま、また沈黙が続くかと思ったが意外にも口を開いたのはナナミさんだ。


「そのコート姿の怪人物は……何者ですか?」

「うーん、分からないな」

僕が知っていたら今頃こんな雰囲気になっているわけがない。 ゼロ先輩は「ふう」とため息を吐く。

「私が追いかけて、後ろ姿を見た時にはもう神社の階段の下の方に居たよ。 必死に追いかけたけど……見失った」

ゼロ先輩の顔には後悔の二文字が浮かぶ。

「ゼロ先、仕方ないっス。 突然の事だったからそんなに自分を責めないでください」

「ありがとうナナミ。 しかし……」

ゼロ先輩は拳を震わせる。

「あのコートの野郎……何者なんだよ。 アイツがハス姐や、津田家を襲ったのか? アイツが元凶?」

「人間……なんでしょうか?」

二人が僕の顔を見る。 圧を感じてちょっとだけ体を後ろに倒す。

「いや、仮にそいつが元凶なのだとしたら……何か得体の知れない道具を使ったか、人間じゃなくて怪物……なんて事は――」

「リュウジ君。 世の中には得体の知れない事象は確かにある。 でもそれは私たちが知らないだけで、トリック……仕組みは必ず存在する」

ゼロ先輩の語気が荒くなる。 あれ、もしかして今説教が開始されてる?

「怪物ならなぜ逃げるの? 私たちのことも石みたいに動かなくさせてしまえばよかったのに」

「す、すいません。 そうですよね……」

「ごめん」

ゼロ先輩は頭を抱える。

「そうね……確かに怪物……得体の知れない『怪人』である事は確か……問題は、なぜ人が石のように動かなくなってしまったのか」


「あ……」

ナナミさんが思い出したように言う。

「二人とも、そのコートの怪人の顔は見ました?」

「……? いや、僕たちが後ろを向いたら、そいつはフードを深々と被っていて顔は見えなかった」

「それに夕陽の逆光だったからね。 コートを着ているのは分かったけど、全体像は本当に不鮮明」

「もしかしたらハス姐は、そいつの顔を見たんじゃないでしょうか?」

「どういうこと?」

「メデューサですよ」

「メデューサ?」

「そうっス。 先日話したギリシャ神話の怪物、メデューサです。 奴に顔を見られると石になるっていう」

僕は先日の会話を思い出す。

「もしかしたらそいつ、フードを取ると頭が蛇になってるかもしれませんよ?」

「ナナミ」

ゼロ先輩が嗜めるような口調で言う。

「ギリシャ神話は創作だよ? 誰かが創ったお話に過ぎない」

「ゼロ先、私ギリシャ神話にはちょっと詳しいんス」

ナナミさんは立ち上がると、キリッとした表情になる。 なんだなんだ? ここで図書館ムスメの本領発揮なのか? ちょっとドキドキしてしまう。


「ギリシャ神話の発祥は遥か昔の紀元前、古代ギリシャに遡ります。 あらゆる文献から紐解き、恐らく紀元前十五世紀頃には既に口伝により伝えられていたとされていますね。 ほら、昔は吟遊詩人といって、語り伝えられてきた物語を周りの人に語る存在が居たのはご存じですか? そういう存在が伝え続けたからこそ、後に文字として記録されて今日に至ります。 口伝ですからね。 果たして原初の神話が如何にして変遷していったかは定かではありませんが、そんな太古の昔から伝わる話の始まりは往々にして実話がベースになっている例もあります」

「実話がベースに? 例えば?」

「洪水伝説ですよ。 もっともポピュラーなのは旧約聖書の創世記ノアの方舟が有名です。 ギリシャ神話にももちろん大洪水による崩壊を描く話はありますよ。 洪水伝説は話は違えど世界中に存在します。 この事から専門家の中には洪水は実際に起きた話ではないかといわれる事も――」

「ナナミ?」

ゼロ先輩が熱弁するナナミさんに口を挟む。

「つまりこう言いたいの? メデューサの話も、もしかしたら実話をベースにしてるんじゃないかって?」

「そうっス。 長い歴史の中には暗黒時代と言われている期間があるのはご存じですか? あらゆる文明を記す文献が著しく少ない時代の事をこう呼ぶんですが、太古の紀元前にもそういったものがあり、まあ戦乱や独裁といった可能性もあるんですが、大災害による影響も無きにしもあらずであり――」

「ナナミ」

再び熱く語るナナミさんへゼロ先輩が口を挟む。

「つまり、その暗黒時代前に変遷される前の初期のメデューサの話が真実なのではないか? て事が言いたいわけだね?」

「そうっス」

語り足りないのか、ナナミさんはショボンとした顔をしながら椅子に座った。


ゼロ先輩は軽いため息を吐くと、僕とナナミさんを交互に見ながら言う。

「じゃあこうしよう。 あの謎のコートの怪人は、これから『メデューサ』と呼ぼう。 理由は人を石にするから。 当面、奴の所在を探る事が、犠牲者たちの……そして元雑誌部の一員であったハス姐のせめてもの手向けでもある!」

ゼロ先輩はそう力強く宣言する。

「ホラホラどうした二人とも! そんなアホみたいな顔をして?」

別にアホみたいな顔をしていたわけではないが、そんな事を言われてもまずどこから手をつけて良いのか分からない。 

それに、こういうことは警察に任せておいた方が良いのではないだろうか。 

まさか本当に人を石にする能力をもった怪物が居るなんて信じたくはないが、得体の知れない相手だ。 

下手に動いてミイラ取りがミイラになったなんて事になればそれこそ洒落にならない。

ゼロ先輩にとってハスミ姐さんはとても大事な繋がりのある人物だ。 

だから熱くなってしまう気持ちもわかる。 しかし僕たちに何ができる?

危険な相手なのかどうかも現時点では分からないが、関わってもしもの事があったらと思うと、あまり気乗りのする案件ではないと思った。


「ゼロ先、私もメデューサが何の目的があってこんな事をしてるかわからないっス。 でもこれはもはや事件っスよ? 人が……死んでるか生きてるのかは判断できませんが、恐ろしいことになっている……私は正直怖いっスね」

よくぞ言ってくれたナナミさん! そう、これは僕たちが介入するべき問題ではないのだ。 部長であるゼロ先輩には何かと頭が上がらなく、半ばヤケクソになってやってきた案件が幾つもあった。 だが今回のこれは明らかに規格外、レベルが違う『事件』だ。

一般人の僕たちが関わって良いものではない。 口に出しづらい事をよくぞ言ってくれた! ナナミさんに拍手! パチパチパチ!

「そうかナナミ……わかった、強制はしないよ。 無理強いしてもしもの事があっても、私たちには責任が取れないかもしれない。 そう、各自の自己責任だ」

うんうん、ゼロ先輩もわかってくれたようで安心した。 ん? 『私たち』?


「リュウジ君」

ゼロ先輩は僕の目をまっすぐ見つめる。 

それは吸い込まれそうなほどに純粋で真剣な眼差しだった。

「今まで君には無理をさせてきたかもしれない」

「い、いや、そんなことは」

「いっぱい危険な目に遭わせてきたと思う。 ホラ、例えばスズメバチの巣を突くと本当に蜂が飛び出して襲ってくるのかとか、職質してきた警察官から全力で逃げるとどうなるかとか、熱湯だと思わせておいて冷水の入ったバケツを頭からぶっかけると火傷するのかとか、野生のミミズを食べてみた! とかね……」

改めて思い返すと、アレ? これイジメじゃね? とか思うのもあるというかほぼ全部イジメだな、うん。

「でもそれと今回の件は毛色が違う。 人間がことごとく石のように固まる怪事件。 首謀者が居るのか? 自然災害なのか? 何もわからない状態だけど、起きている事は紛れもない事件。 危険な案件だと思う。 生半可な気持ちで協力してくれるなら今の内に手を引いてくれた方が私も安心して一人で動く事ができる」

「ゼロ先輩……」

「でも、もしもそうじゃないなら、君ほど心強い助っ人は居ないと思う」

う、うう……。 僕の良心がガタガタと震える。 でもここは断固として……! そもそもそんな危険な真似をゼロ先輩にしてほしくないというのもあった。

「でもゼロ先輩、どうやってその……メデューサの所在を掴むんですか? 僕たちには有益な情報も無いし、警察みたいに独自の捜査手法みたいなものもありません」

初っ端からゼロ先輩を否定するのも少し可哀想……というか、しづらいのでまずは一つ目にジャブを打っておこうかと思う。

「それは……」

言い淀むゼロ先輩。 そう、打つ手が無ければ動きようが無いのだ。 

それを改めて自覚してもらえれば、ゼロ先輩も変な気は起こさないはず――。


「手掛かりはある」


突然、後ろから声がした。

振り返ると、そこに居たのはあの新聞部の佐竹拓也。 何故ここに?

「ふ、不法侵入!?」

ナナミさんが叫ぶ。

「玄関で呼んだけど誰も出てこなくて。 裏口が開いてたから入っちまった。 悪いな」

言葉通りには悪びれていない様子で佐竹が言う。


「それより、お前たちの会話を盗み聞きしていたんだが――」

超ストレートに言うなコイツ。

「今この街はそんな不法侵入だとかには構ってられないほどの異常事態が起きている」

「どういう意味?」

ゼロ先輩がシリアスムード全開にして聞く。 頭を抱える僕。

「お前たちが見たコートの怪人……メデューサ? そいつの目撃情報が至る所から出てきている。 そしてお前たちが見た犠牲者以外にも、さらに多くの犠牲者が居る……」

「僕たちが見た以外にも、もっと?」

「そうだ。 奴に石にされた者は津田家やハスミさんだけじゃない。 俺が知っている情報だけでも、二十人以上は居る」

「に、二十人!?」

「ああ、ここ数日で数多くの犠牲者が出ている……」

「待って」

ゼロ先輩が言う。

「犠牲者って言うからには……やはりメデューサが?」

「そうだ。 彼らを石にしているのはお前たちも見たコートの怪人、メデューサに他ならない」

「どうしてそう言える? 確かな証拠は?」

「俺の新聞部の部員……俺の目の前で石にされたからだ。 俺を除いて、全員な」

「……そんな」

ナナミさんが口を手で覆う。

「お前たちとゲオルタワーで会った翌日、俺たちはゲオルタワー外周を撮影していた。 俺は他の部員から少し離れた所に居た。 すると真夏なのにコートを着た人影が他の部員たちに近づいていくのを見つけたんだ。 不審がって見ていると、奴は被っていたフードを上げて顔を部員たちに見せた。 そして奴の顔から急にカメラのフラッシュのような閃光が一瞬だけ放たれた! 奴が満足して去っていった後……事の異常さに気づいた。 俺の後輩たちは全員……恐怖に満ちた表情で固められていた……石のようにな」

その光景を思い出したのか、佐竹は目を瞑りながら辛そうな表情になる。

「俺は奴の顔を見ていない……だからここに居る。 いや、居れる。 何故奴が俺の顔を見なかったかはわからない。 でもお陰で俺は奴に復讐をすることができる」

「それは……辛かったね」

ゼロ先輩は佐竹の肩に手を置く。

「私も奴に何もできなかった。 この惨劇を止められなかった……私も同じ気持ちだよ」

「そうだろ!? 奴を野放しになんかできない! このままだと更に犠牲者が増える! 警察も動いているが、このまま指を咥えて待つ事なんてできねえ! だが、俺一人で動いてもしもの事があったらそれまでだ。 だからお前たちに協力を頼みたい! もしも俺と同じ気持ちなら、協力してくれ!」

「タクヤくん、私も同じ。 協力するよ」

「それなら――」

ナナミさんが椅子から立ち上がる。


「私も佐竹に協力するっス」

あれ、ナナミさん?


「ありがとうナナミ。 そうか、お前も元は新聞部だったな」

佐竹は涙ぐむ。

ゼロ先輩は僕を見る。

「リュウジ君は――」

「もちろん協力します。 端からゼロ先輩を一人で行動させようなんて思ってませんし」

ああ、言ってしまった。 佐竹め……。 しかし事情が事情だ。 今この街の危険度が改めてわかってきた。 つまり、正真正銘ヤバい案件だ。


「リュウジ君!」

ゼロ先輩はそう言って僕に抱きついてきた!

「ぜ、ゼロ先輩!?」

「ありがとう! さすが私の助手! それでこそ雑誌部の特攻野郎!」

助手のつもりも特攻野郎のつもりも無いわけだが、少なくともゼロ先輩を危険な目に遭わせないよう僕が全力でサポートすると自分自身に誓う。




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