2 『過去も未来もなく』


【翌日同時刻】


僕とゼロ先輩はハスミ姐さんの居る神社で落ち合った。 一昨日の津田家の事件をハスミ姐さんにも聞いてもらうためだ。 怪異アドバイザーとしては心強い味方だ。

石段を登りながら、僕は横に居るゼロ先輩に話しかける。

「ハスミ姐さんの神社、初めて来ますね」

「初めて尽くしだねえリュウジ君! 私は何回か来てるヨ。 リュウジ君は初詣とかはどこでやってるノ?」

「僕ん家、初詣とかしないんですよ」

「あ、そうなの? 私はいつもここでやってるヨ。 普段はあんまり参拝客も居ないけど、やっぱり初詣となると違うよねエ。 ハス姐も普段は手伝ったりしないけど、その時だけはハス姐の巫女さん姿も見れちゃうヨ。 気になるでしョ?」

「え、いや……」

気には……なるかも。 普段のクールなハスミ姐さんがどう様変わりするのか、うん、気になるぞ。 非情に気になるぞ!


「あー!? そんな鼻の下伸ばして! まさかよからぬ事を考えているなお主!」

 僕は鼻を手で隠す。

「いやいや! そんなこと無いですよ! てか伸ばしてません!」

「うんうんわかるよ。 全青少年の気になる所だもんねエ? あのハス姐がどんな巫女さん姿を披露してくれるのか……ふーむ、ムッフッフ!」

「気になってませんし! いつから僕は全青少年を代表するようになったんですか!」

「いやホラ君、雑誌部の黒一点ですから。 あ、ちなみに黒一点は紅一点の反対の意味ね」

「理由になってませんし!」

「本当かなあ? 実際のところどう思ってんの? わあ! ハーレムだワッショイ! とか思ってんでしョ?」

「ワッショイじゃないですよ! そんなことは断じてありまっせん! 僕は健全にみんなにエンターテインメントな雑誌をお届けしようと日々――」

「怪しい! 怪しいゾ! その反論するところ! いい加減認めたまえ君ぃ! ……ん? 何そのぐぬぬって顔は?」

「もう何を言っても無駄だって顔です」

「しょうがないなア。 そんなにハス姐の巫女さんを見たいならこの私ゼロ先輩が初詣一緒に行ってあげるよオ」

「いや、ですからハスミ姐さんの巫女さん姿は別に興味が――」

「何だお前!? この私のせっかくの愛の手を跳ね除けるのかア!? それでも青少年か貴様ァ!」

「ゼロ先輩、勘弁してください……」

そうこうしていると石段の最上段を登り、僕たちは鳥居をくぐる。

境内に入ると蝉の声が一際大きく聞こえ、植えられた木々の葉の揺れによる音が涼しさを呼び。 夏の蒸し暑さを少しだけ忘れさせてくれた。


ゼロ先輩は目の前にホウキで境内を掃除している巫女服姿のおばさんを見つけると、「おばさーん」と呼びながら駆けていく。 僕も慌てて後を追った。


「あらゼロちゃん! こんばんは!」

「おばさんこんばんは! リュウジ君、こちらハス姐のお母さん」

僕は頭を下げる。

「どうも。 以前ハスミ姐さんが居た雑誌部の部員の赤井竜司と申します」

「うわ! 丁寧な挨拶!」

ゼロ先輩が横から茶々を入れる。 ホントにこの人は。

「いえいえご丁寧に。 ハスミの母です。 いつも娘がお世話になってます」

お母さんもペコリと頭を下げて挨拶をしてくれた。 ハスミ姐さんに似て綺麗な方だ。

僕はハスミ姐さんの巫女姿を想像する。 

バチーン! そして顔を自分で平手打ちする。

ええいナチュラルに何を考えている僕! そんな妄想には屈しないぞ!

「どうしたのリュウジ君? 自分の顔なんかぶっ叩いて?」

「いえ、蚊がちょっと……」

僕は自分の頬をさすりながら言った。

「今日はハスミに会いに来たの?」

「ええそうです。 ちょっと聞きたいことがあって……」

「そう……実はハスミね……」

お母さんは言いにくそうに言葉を濁す。

「ハス姐がどうしたんですか?」

「数日前から様子がおかしくて……」

「え」

数日前……少なくともゲオルタワーでのハスミ姐さんはいつも通りだった、といっても僕はあの日初めて会ったのだが、ゼロ先輩との接し方からそう判断できた。


「数日前というと……ゲオルタワーから帰ってきた辺りからですか?」

ゼロ先輩が訊く。

「そう、なのかしら。 うんたぶんその後ね。 帰ってからしばらくして、自室に籠るようになっちゃったのよ。 でね、私や夫にありがとうありがとう大好きだよって仕切りに言ってきてね。 それこそ何かに取り憑かれているかのように……」

「それは……」

「ゼロ先輩、もしやゲオルタワーの一件で何か悪いものでも持ち帰ってしまったのでは?」

「有り得るかも……」

僕はいつもの電子メモ帳を取り出すと、お母さんに訊いた。

「お母さんには、霊感はありますか?」

「いえ、霊媒体質なのはハスミだけで、私や夫にはそういうのは何にも無いのよ」

「そうなんですか?」

「当たり前でしょ」

ゼロ先輩にどつかれる。

「神職の人みんなが霊感があるわけじゃないノ。 まあ時には親の霊媒体質を子が引き継ぐ事もあるけど、神職だからってみんながそんなわけない。 偏見も良いとこヨ」

いや、そこまでは言ってないわけだが……。

「そ、そうですか……すみません」

 とりあえず謝っておく。

「ハスミ姐さんはどうしちゃったんでしょう?」

「わからないの。 でも、ゼロちゃん達に会えば、あの子も元気になってくれるかもしれない。 案内するわね」

お母さんに案内され、僕たちは神社離れの家屋へと足を運ぶ。 


玄関を上がりハスミ姐さんの部屋の前まで来る。 お母さんは引き戸を叩く。

「ハスミ? ゼロちゃん達が来たわよ? 会える?」

しばらくの沈黙があり、中から「どうぞ」という声が聞こえ、お母さんは引き戸を開けて中に入る。

「どうしたのこんなにして……!」

お母さんの動揺する声が聞こえてきた。 

僕たちが入ろうか入るまいか迷っていると、ハスミ姐さんの声で「入ってきて!」と言われたのでうろたえながらも部屋に入る。


部屋の中はカーテンが締め切られて薄暗く、衣類や物が散乱していた。 

とてもあのハスミ姐さんのイメージとそぐわない部屋だった。

「ゼロ……」

ハスミ姐はベッドの上に項垂れて座っていた。 長い髪の毛を前に下ろしているので目元は分からないが、その隙間から見える頬からとてもやつれた様子が窺い知れる。

先日とはまるで別人のようだ……。


「ハス姐……」

「ごめんなさいねこんな散らかった部屋で……」

お母さんは僕たちに謝るが、ゼロ先輩は気にせずハスミ姐さんの傍に行き、その頭を撫でた。

「ハス姐……どうしたの? 何があった?」

「ゼロ……あぁ……来ちゃったね……」

ハスミ姐は顔を上げるとゼロ先輩の顔を見る。 露わになった目は泣き腫らしたのか充血していた。

「来ちゃった? どうしたの? 私たち来たら……まずかったかナ?」

「……」

ハスミ姐さんは答えない。 ゼロ先輩は努めて明るい様子で笑顔を作ると、部屋の中を見渡して締め切られたカーテンを見る。 

カーテンがユラユラ揺れているので、恐らく窓を開けているのだろう。


「ほらハス姐! こんな締め切った部屋に居るとそれこそ病んじゃうヨ? カーテン開けよう?」

ゼロ先輩がカーテンに手を伸ばして開けようとした時――。


「やめろッ!」


叫んだのはハスミ姐さんだった。 

……危ない。 危うく腰を抜かしそうになった。

ゼロ先輩もその声でビクッと体を震わせ、驚いてハスミ姐さんを見る。 ハスミ姐さんの顔は怒りや恐怖、悲しみが入り乱れたような、それはそれは酷い顔をしていた。


「ハ、ハス姐? 大丈夫だから……大丈夫。 何も怖がらなくて良いんだよ? ほら! 私たちが居るから、怖がらなくて大丈夫!」

ゼロ先輩はハスミ姐さんを抱きしめる。 

ハスミ姐さんはガタガタと身を震わせ、ゼロ先輩の体に身を寄せる。


「あぁ……ごめんね……ゼロ……」

「何が? 何も謝ることなんて無いよ。 どうして謝るの」

ゼロ先輩が優しく囁くように訊く。

「私ね……これでも……受け入れようと思ったけど……やっぱりダメ……だからね……」

「うん?」


「アイツが許せない……!」


背筋にゾッと寒気が走る。

何故ならそのひとことにとてつもない憎悪が込められていたからだ。


「誰が許せないって?」

「ねえ……ゼロ……あなた本当はわかってるんでしょ?」

「私が、何をわかってるの? 話してもらわないとわからないよ」

「ねえゼロお願い……! アイツを止めて……! 私まだこの世界に居たい! あんなに辛い世界に行きたくないッ!」

悔しさと恐怖を噛み締めるような口調で、ハスミ姐さんはゼロ先輩にすがる。 

とても悲痛な様子で、何が何だかわからなかったが僕も胸が締め付けられるような感覚に陥る。

これは一体なんだ? ハスミ姐さんに何か悪いモノでも取り憑いてしまったのか?


「お母さん、お父さん……ごめんなさい……ごめんなさい……」

僕の隣に居たお母さんがたまらず駆け寄る。

「ハスミ? 何も謝ること無いのよ? ほら、お母さんここに居るから、大丈夫よ。 いつまでも、ずっとハスミのそばに居るからね?」

お母さんはハスミ姐さんの手を取ると、その手のひらを自分の頬に当てる。

「お母さん……お母さん……」

ハスミ姐さんはもはや嗚咽混じりになり、言葉も辛うじて聞き取れるぐらいだ。

「ゼロぉ……嫌だぁ……嫌だよぉ……」

「何が嫌なの? 安心して? 何も嫌なことは無いから、ね? ほら! リュウジ君!」

ゼロ先輩は僕を手招きして呼ぶ。 え? ここで僕!? し、仕方ない。

半ば僕はやけくそ気味に三人の間から顔を出してハスミ姐さんに呼びかける。

「ほらほらハスミ姐さん! 大丈夫ですから! 僕もちゃんとここに居ますよ! ですから……元気になってください!」

なんと言ったら良いかわからなかったので取り敢えず気休めでもそう言っておく。 

うん、何も言わないよりはマシだ。


バサ! 

突風が吹いたのか、カーテンが大きく揺れて外の夕陽の灯りが差し込み室内がオレンジ色で染まる。


「あ……」

ハスミ姐さんは目を大きく見開き、僕を見る。

「え?」

僕の顔に何か付いている?

「あ、ああ……!?」

その顔はまるで世界の終わりが来たかのように恐怖に歪み――。


「アァァアアァァァァアアアアアアアッッッ!?」


絶叫。 それは鼓膜を破らんばかりの大絶叫だった。

ハスミ姐さんは絶叫しながらジタバタと暴れ、枕の下に手を突っ込むとあるものを取り出す。


包丁だった。


「ハスミ!? やめなさい!」

「ハス姐!」

ハスミ姐さんは包丁の刃先を自分の首元に近づけ、寸前の所でゼロ先輩とお母さんが手を掴んで止める。 しかし力が凄いらしく中々首から包丁を離せないでいた。

「リュウジ君ッ!」

呆然と眺める僕に向かってゼロ先輩が叫ぶ。 僕は我に帰り二人に加わる。

三人掛かりで包丁を喉元から遠ざけようとする……が、うまく引き離せない。

物凄い力だ……! これが女性の力なのか!? とにかくこのままではまずい!

僕は咄嗟にもう片方の手で包丁の刃の部分を掴む。 痛みを感じている暇はない。 

僕は手に渾身の力を込めて包丁をハスミ姐さんの手からもぎ取って後ろへ放り投げた。

「嫌だ! 嫌だ! 嫌だぁあああああああ!」

ハスミ姐さんは絶叫を上げ尚も身を乱暴に振り乱す。 必死に止める僕たち。

 

パシャリ。 瞬間――部屋の中で閃光のように眩い光が放たれた。


「……」


急に……静かになった? さっきまでの絶叫が嘘のように部屋に静寂が訪れる。

「……?」

そしてハスミ姐さんの力がふっと消え、僕たちの入れていた力が拡散される感覚。


「ハ、ハス姐?」

最初に異変に気付いたのはゼロ先輩だった。

ハスミ姐さんは恐怖に歪んだ表情のまま静止する。 何だ? 一体どうしたのか。

「ハス姐? ハス姐!?」

ゼロ先輩が何度叫んでもハスミ姐さんはその表情、暴れていた途中の姿勢から動かない。

あれ? これって……どこかで見た事が……。

僕たちはハスミ姐さんから離れる。 やはり……動かない。


――その時、僕たちは気づく。 

いや、本当は気付いていた。 後ろの異変に。


さっき突風が吹いてカーテンが開いた。 でもカーテンの開くほどの突風だ。 

風の音や木々の葉が擦れてバサバサと音がするはず。 

でもそんな音はしなかった。 よくよく記憶を辿ってみる。


カーテンは風で開いたんじゃない。 誰かが開けたんだ。 そう、シャーッて音だった。

僕たちはハスミ姐さんの発狂でカーテンは風で開いたと思い込んだ。 でも違う。

誰かが開けたんだ。 だってだって、僕たちの背後のカーテンは全開になって夕陽のオレンジ色が室内を照らしている。 遮るものは何も無い……はず、なのに。

……影が、ハスミ姐さんに一直線に伸びてるんだ。 

それは人の影。 そしてハスミ姐さんが見ていた僕の顔。 

違う。 僕を見てるんじゃない。 後ろの窓を見ていたんだ。

実際この動かないハスミ姐さんの顔は一直線に影の方向を見つめている……つまり!


……後ろに、誰かが居る。

カーテンを開けた誰かが後ろに居るッ!

「……!?」

ゼロ先輩は後ろへ振り返る……そして僕も振り返った。


そいつは居た。


夕焼けの太陽を背にし、逆光で半分シルエットになったそいつはそこに居た。

カーテンを片手で開け放ち、こちらを見ている。

詳細まではわからない。 何故ならそいつは真夏なのにフード付きのコートを着て、そのフードをもう片方の手で押さえて深々と被っている。


「誰!?」

ゼロ先輩がその人物に向かって叫ぶ。 


時間の止まったような室内はそこでようやく時を刻みだす。 その人物はカーテンを再びシャッと閉め、室内は再び暗くなる。

眩しい夕陽を見た後だったので、目が眩みさっきよりも一層部屋の中が暗くなった感覚がする。


「待て!」

ゼロ先輩は閉められたカーテンを再び開け放つ。 

……しかしそこには誰も居なかった。

それを見るとゼロ先輩は窓を飛び越え、靴下のまま外へ出てその人物を追う。

「ゼロ先輩!」

僕も追おうとするが、隣のお母さんが叫び出す。 僕は驚いてお母さんを見る。

「ハスミ!? ハスミ!? どうしたのハスミ!?」

一切動かないハスミ姐さんをお母さんが揺さぶろうとするが、それは不可能だった。

ハスミ姐さんは少しも動かせない。 その、恐怖に歪んだ表情のまま……。


《――Should auld acquaintance be forgot, and never brought to mind Should auld acquaintance be forgot, and days of auld lang syne〜》


何度も聞いたこの街の時報が鳴る。 僕はハスミ姐さんの壁に掛かった時計を見た。

時刻は十八時を指していた。


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