第二章 『過去も未来もなく』
あの後僕たちは津田家に警察を呼んだ。 事情聴取の後、取材を一旦中止し解散した。翌日、再び図書館へと足を運び、ナナミさんにも昨日あった出来事を話す。
「まさか……とても信じられないっス……」
「私も自分で見た光景だけど未だに信じられないでいる……」
「ニュースや新聞ではまだ取り上げられていないみたいです。 不可解すぎる事件だから、報道規制とかされてるんでしょうか?」
僕は昨日の一件からテレビのニュースやネットなどをチェックしていたが、今のところ関連のある情報は得られないでいた。
最初は半信半疑だったナナミさんも、ゼロ先輩が警察が来るまでにこっそりカメラで撮影した現場写真を見ると信じざるを得なという様子だった。 そしてその写真から、二階で固まっていた女の子は津田絵里本人という特定もできた。
「一体何があったんでしょう?」
ナナミさんがゼロ先輩に聞く。
「私だって知りたいヨ。 でも、想像もできない何らかの事象があったのは確か。 事件の被害者って言っていいのかはわからないけど、まるで石にされているかのように動かなくて、その実体も曖昧な存在になっていた」
「石ですか……まるでメデューサに睨まれた人間っスね」
ナナミさんは腕を組みながらそう呟く。
「メデューサって何ですか?」
「あらリュウジ君知らないの? 有名なギリシャ神話の化け物だヨ。 髪の毛が蛇で、そいつに睨まれた奴は石になってしまうっていうネ」
「ゴルゴーン三姉妹っスね。 化け物っていってもけっこう悲惨な過去があるんスけど」
「へえ」
生返事になってしまったのは仕方ない。 ナナミさんだってそんな者がこの現実世界に居るなんて本気で信じているわけではないだろう。
僕たちはそれから一通りナナミさんに状況を伝えると、図書館を後にした。
帰路に着くため、ゼロ先輩と帰り道の河原を歩く。
昨日と同じ夕陽の色が、ショッキングな出来事を思い起こさせる。 そのせいか、道中は二人の間で会話らしい会話はほとんど無かった。
遠くに先日僕たちが登ったゲオルタワーがそびえ立っているのが見える。 夕陽の逆光に照らされ、ほぼシルエットになったゲオルタワーは塔にもロケットにも見えた。
地上高三千メートルの怪物タワー。 一番上の受電部周辺は赤い霧で包まれていた。
ゲオルタワー……。
正式名称は『ゲオルギウス2120』。 通称ゲオルタワー、もしくはゲオルの塔と呼ばれている。 ちなみに下の数字は建造年を表している。
ゲオルタワーは、史上最大の『宇宙太陽光発電』施設だ。
発電衛星からの太陽光のエネルギーを増幅しマイクロ波に変換した後、タワー受電部へ直接マイクロ波を照射してその太陽光エネルギーを電気に変換してこの都市へ膨大な電力を供給している。
システムが確立される前は、周りへのマイクロ波の人体の影響等の観点からこのような都市部で運用されることはそれまで無かったが、そこは技術の進歩。 街の北西の海上で百年前に建てられた『ヴィータ2050』の試験運用を経て、実用化された。
発電衛星からのマイクロ波の照射はまるでレーザーのように照射され、数ミリの誤差もない『Perfect.Range. Shoot(パーフェクトレンジシュート)』……通称『PRS』システムが採用されており、都市部の運用における事故の心配は一切ない。
この都市はまさにゲオルギウスの恩恵を受けその均衡を保たれている。 そして他県都市部でも一部試運転が行われている。 この美鈴田区が本運転の第一弾というわけだ。
……と、そんな事を考えながらゲオルタワーを眺め歩いていると、ゼロ先輩が不意に口を開いた。
「ねえねえ、なんで夕方になると空がオレンジ色になるのかなあ」
「いきなり何ですか」
「いやね、ちょっと気になって」
多分……光の波長とかオゾン層が何たらとかいう理由があるんだろうけど、詳しく説明出来るほどの知識が無いので「さあ」とだけひとこと答えた。
「逢魔時とも言うんだけどね」
「おうまがとき?」
「難しい方の漢字の逢うって字と、魔物の魔に時間の時で逢魔時っていうんだけどね、この夕方の時間帯は」
「逢魔時……」
「そう。 昔の人は電気なんか無かったから、暗くなってくると向こうから歩いてくる人影が本当に人なのか魔物の影なのかわからないでしょ? だから昔はこの時間帯を逢魔時とも呼んでたってわけ」
「なるほど」
「実際暗いから、不吉な事も起こる。 ほら、交通事故の発生が一番多い時間帯もこの夕方なんだって」
暗くなって見え辛くなるためか。
「そう。 でも完全に暗いわけじゃないから大丈夫だろうって気持ちが事故に繋がる」
後は帰宅ラッシュでもあるから単純に交通量が多くなるせいもあるな。
「本来オレンジ色って、人にポジティブな精神的効果を与えてくれるらしいんだけど、今のこの空は、何だか不安な色に見えちゃうネ」
同感だ。 もっとも昨日の事があったせいかもしれないが、今は少し陰鬱な印象を受ける。 無理もない。
僕は再びゲオルタワーに目をやる。 すると目線の先の河原の向こう岸にゲオルタワーと同じく夕日の逆光に照らされシルエットとなった人が立っているのが見えた。
何気なく目に入った人影だが妙に心がざわつく。 僕はそのシルエットを凝視する。
遠くだったので背格好もおぼろげで男か女かもわからない。
でも、その人物は僕を見ている……ということは、何故かわかる。 知り合い? あんな所に居て一人で何をしてるんだろう? 何故こっちを見ているんだろう?
疑問が一気に押し寄せ、僕はそのシルエットから目を離せなくなった。
――そもそもあれは人なのか?
逢魔時。
さっき聞いたゼロ先輩の言葉を思い出す。
今、目の先に居る存在は人間ではなく、得体の知れない魔物ではないか?
わかってる。 妄想だ。 そんな事があるわけない。 少し昨日の出来事が刺激的で変な妄想に取り憑かれてるだけなんだ。
必死にそう思い込もうとするが、疑念はどんどん湧き起こってきて僕の心の中は不安と警鐘が鳴り止まずにいた。
あれはもしかして――。
「リュウジ君!」
ゼロ先輩の声で我に帰る。
「あ、どうしました?」
「どうしました? じゃないヨ。 さっきから呼んでる」
「あ、すいません」
「え、ナニナニ? 向こう岸にビキニの姉ちゃんでも居た? どれどれ?」
ゼロ先輩は手をおでこに当てて岸の向こう側を見渡す。
「いや、そんな事は……ただ――」
僕はもう一度岸の向こうを見る。
居ない。 あのシルエットが居ない。
「アレ? おかしいな……」
目をこすりもう一度見てみる。 ……やはり何も居ない。
「リュウジ君大丈夫? ふむ、ちょっと疲れてるね。 無理もないサ」
「ゼロ先輩?」
ゼロ先輩は僕の肩に手を置くと。
「今日は帰ったらちょっと寝な? 顔もやけに疲れてるように見えるし」
そう心配そうに声をかけてくれた。
「そうします」
幻だったのか? けっこうハッキリ見えた気がしたんだけどな。
その後、僕はゼロ先輩と別れて家路に着いた。
玄関を上がり、台所に居るお母さんに「ただいま」と言って二階の自室へと向かうため階段を登る。
途中で「ご飯もう少しで出来るよ」とお母さんに後ろから言われたが、「後で食べる」とひとこと伝えて自室へと籠り、ベッドへ横になる。
「ふう……」
ため息を吐いて初めて自分が疲れているということを自覚する。 しばらく天井を眺めていると、ガチャっと誰かが扉を開けてきた。
「ノックぐらいしろよ」
僕は扉を開けてきた人物に対して注意する。
扉の方を見ると、僕の姉が立っていた。
「あれ? リュウ帰ってたんだ? ゲオルタワーに取材とか言ってたけど行かなかったの?」
「それはもう一昨日行ったよ」
「あ、そうなの? なーんだ……せっかくゲオルに行くなら土産でも見てきてもらおうと思ってたのに」
「残念、遅かったね。 それにそんな金は無い」
「でも昨日確か、明後日行くとか言ってなかったっけ?」
「え?」
昨日の事を思い出してみる。 確かに言った記憶はあるが、それは昨日ではない。
「昨日なんか言ってないよ。 てか話もしてなくない?」
「あれ、そだっけ? 私もボケてきたかな?」
「アンタ何歳だよ」
「二十歳」
何の茶番だ。
「てかさ、ご飯だぞ?」
「お母さんにも言ったけど、後で食べる。 寝かせてくれー」
姉は「早く降りてきなよ」とひとこと言うと、扉を閉めて下へと降りていった。
《――Should auld acquaintance be forgot, and never brought to mind Should auld acquaintance be forgot, and days of auld lang syne〜》
再びゲオルタワーの時報が流れる。 時計を見ると……十八時だった。
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