2 『再生する時間』
【翌日同時刻】
僕とゼロ先輩は都内の私立図書館に来ていた。
入口を見ると『臨時閉館中』という張り紙が貼られている。
「ナナミー! 居るかー!」
ゼロ先輩は大声で図書館の二階の窓に向かって叫んだ。
……誰も出てこない。
ゼロ先輩は道端に落ちている小石を広い、二階の窓に向かって――。
「石はやめてください石は!」
窓が勢いよく開いて、褐色肌の女の子がゼロ先輩に叫ぶ。
「お? なーんだ居るじゃン」
「居るじゃん? じゃないっスよ!? 誰も居なくても窓に石を投げないでください! 窓に傷がつくっス!」
「はいはいナナミ!」
芹澤七海、七海と書いてナナミと読む。
ナナミさんは僕と同じ二年の雑誌部の部員だ。
雑誌部では主に記事の校正、校閲を担当している。 その他にもプログラミングの知識があるため、雑誌部の公式HPの運用などもしてもらっている。
彼女の実家は何を隠そうココ、美鈴田区唯一の私立図書館。
市立ではなく私立。 個人の運営する図書館という事で、図書館という名前が付いているが中は図書だけではなくネットカフェのようなスペースもあり、エンタメ性が強い。
中にはゲオルタワーのライブラリスペースもあるため、観光客にもそこそこ人気のある図書館として有名だ。
「ちょっとお願いがあるんだけどー! 中に入れてくれないかナー!」
「いいですよー! 待っててください」
ナナミさんはそう言うと下へ降りてきて裏口の方から僕たちを中に入れてくれた。
「図書館どうしたの? 臨時閉館中って書いてあったけど?」
中に案内されながらゼロ先輩はナナミさんに聞く。
「父さんが出張中で、私一人きりなんスよ。 だからその間閉館中っス」
ナナミさんは「どうぞ」と言って僕たちを広間の読書スペースに案内してくれた。
「ドリンクサーバーは今止めてて、麦茶しか無いっすけど飲むっスか?」
「気遣いはいいヨ。 それより頼みたい事があるんだけど!」
ナナミさんはそう言われて「わかりました、ちょっと待っててください」と言って僕たちを椅子に座らせると奥の方へと姿を消した。
「ちょっと暑いねエ……」
ゼロ先輩はボソリと僕に呟くと、いつも首に掛けているテンガロンハットをうちわのように扇ぐ。 休館中だから仕方ない。 冷房も切っていたのだろう。
「ナナミさんの図書館初めて来ましたけど、僕の想像していた所よりユニークですね」
「ユニーク? それ褒め言葉かナ?」
言われてからちょっと際どいワードだと気付いたが、もちろん褒め言葉だ。
図書館と聞くと中は分厚いページの本や小難しい参考書等がビッシリと詰め込まれた棚が高層ビルのように立ち並んでいると思っていたが、この図書館はそんな圧を感じないフラットでライトな雰囲気で過ごしやすそうな印象を受ける。
「今世紀初頭に世界の書籍の全デジタルデータベース化が完了してから、過去の書物は探す物ではなくデバイスで検索してすぐにディスプレイで読めるものに変わっていったからネ。 むしろ市立図書館でもそんな本棚の山は少ないんじゃないかナ?」
ふむ。 古本屋以外の本屋が絶滅してから半世紀。 紙媒体を見る事も少なくなった昨今、図書館自体も色々と様変わりしているわけだ。
「しかし、確かに暑いですね……」
僕は額から伝う汗を拭うと、椅子の背もたれに深々と背中を付けた。
どこを見るでもなく周りの景色を目に捉えていると、比較的新しい本が置かれている本棚の一角に、何か黒いモヤのようなものが見える。
「ん?」
人かな? そう思って一旦目を擦ってから見てみる。
しかし特に人影はなく、モヤももう見えなくなっていた。
疲れ目かな? ちょっと釈然としない体験だった。
「はいゼロ先。 リュウジさんもどうぞ」
ナナミさんは戻ってくると、座っている僕たちの目の前の机に茶色い液体と氷が入ったグラスを置いてくれた。 麦茶だ。
「気ぃ使わなくて良いのに〜。 でもアリガト!」
窓から差す夕陽の色が投影され、まるで琥珀色になったグラスを手にする。
「ありがとうナナミさん。 いただきます」
お礼を言ってからゴクっと一杯飲む。 外の熱気で汗をかいた体に麦茶が染み渡る。
「暑いっすスね。 今冷房入れたんで、じきに涼しくなると思います。 ふう……」
ナナミさんは言いながら気怠そうに僕たちの向かいの椅子に座る。 若干いつものボーイッシュなショートヘアが乱れている所を見ると、どうやら寝起きらしい。
「で、話って何スか? ゼロ先」
ゼロ先輩は昨日のゲオルタワーでの一件を一通り話した。
ナナミさんは静かにゼロ先輩の話に耳を傾けていた。
「――でネ、その技術者の子供ってウチの高校の生徒らしいんだけど、それが誰なのか調べてほしいんだよネ」
「ああ、それなら知ってますよ」
「ホント!? もしかして友達だったりする?」
「はい。 二年の同級生の津田絵里っス。 彼女の実家は湾の近くで、今の時間なら家に居るんじゃないっスかね? あの子部活もやってないから」
「さっすが情報通! 頼りになるネ!」
「情報通じゃないっスよ。 たまたま知ってただけっス」
ナナミさんは新聞部の元部員だったらしい。
一年の時、ネタ探しのためにコキ使われて嫌になって退部し、元々活字が好きだった彼女は雑誌部に目をつけて入部してきた。
情報通という通り名が付いたのは元新聞部だったというただそれだけの理由だ。
昨日みたいな取材現場にはあまり来ないで普段は部室で校正や校閲、無ければ家に帰り本を読むことが彼女のルーティンだ。
役柄上現場では必ずしも彼女の力を必要としない場面もあるので、基本的には主な外での活動では昨日みたいに僕とゼロ先輩だけで行く事が多い。
「よし、さっそく彼女の実家に突撃取材ダ!」
「えっ!」
僕は壁に掛けられた時計を見る。 丁度時刻は午後六時。 今行くのはさすがに非常識ではないだろうか?
「何を言っているんだいリュウジ君! 情報戦で勝ちが決まるのは如何に質の良い情報を早く手に入れられるかにある! もたもたしてたら勝利は逃げていってしまうヨ!」
「いや、でも今十八時ですしさすがに迷惑になりますって。 晩御飯時に――」
「Shut up!」
気づけば、僕たちは津田絵里の家の前に立っていた。
「はあ……」
「何ため息付いてるノ? は!? さては新たな情報を目の前にして心がザワザワ血湧き肉躍るってカンジ?」
「もうそれで良いです……」
僕は玄関先の塀に付けられた表札を見る。 表札には『津田』と書かれていた。
ゼロ先輩が急かして来るので、僕は表札の下に付けられたインターホンの呼び鈴ボタンを押してみた。
しばらく待ってみたが、反応はない。
「留守?」
その時気付いたが、家の前の門が僅かに開いている。 ゼロ先輩はその門をギギギっと開けると、中に入っていった。
「ちょっ! ゼロ先輩まずいですって! 不法侵入!」
「リュウジ君見て」
うろたえる僕に冷静なゼロ先輩は庭先にある玄関の扉を指差す。
「?」
玄関の扉は門と同じく、少しだけ半開きになっていた。
田舎の夏は家の扉という扉を開け放ち、外気の風で涼を取る。 不用心。 今でこそ田舎でもそんな不用心なことはしないだろうけど、まして都会でそんな家があるなんて。
インターホンを鳴らしても誰も出なかったし、留守なら尚更不用心だ。
「ごめんくださーい!」
ゼロ先輩は大声で家人を呼ぶが、一向に出てくる気配が無い。
「誰も居ないんですかね?」
「どうかな……リュウジ君、ちょっと覗いてみてよ」
「僕がですか!?」
「他に誰が居るの? ホラホラ! 大丈夫! 君ならできる!」
僕は渋々半開きになった玄関の扉に近付き、「ごめんくださーい」と声を掛ける。
……やはり返事が無い。 意を決して扉のノブに手を掛け、玄関を覗く。
「誰か居ますか――」
――!? 心臓が止まる。
僕が玄関を覗くと、そこには中年の女性が居た。
丁度その人は玄関からドアノブに手を掛け、中から外を覗くような体勢で驚いた表情をしながら僕のことを見ている。
「ごご、ごめんなさい! 扉が開いていたもので……!」
しどろもどろになりながらこの状況を取り繕うように弁明する。
なんだ、ちょうど出て来る所だったんだ。 もう少し外で待っていればと後悔した。
「あ、あの……」
……おかしい。
相手の返答を待つが、一向に話しかけてくる様子が無い。 そして何よりその驚愕したような表情は一切変わらず、ただじっと僕を見つめているだけだった。
「……」
しばらく僕と女性の間で沈黙があって、ゼロ先輩が後ろから肩を叩いてきて我に帰る。
「どうしたの? リュウジ君」
「……あ、あの――」
女性は一切動じずに固まっている。 そして僕も女性を見つめて固まる。
「う、うわあ!?」
何故かはわからない。 でもその表情に吸い込まれそうになり、言い知れぬ恐怖が込み上げてきた僕は後退りして扉から勢いよく離れた。
「ちょっとどうしたのリュウジ君!」
驚いた僕を見てゼロ先輩は代わりに扉から中を覗く。
「すみません……」
ゼロ先輩はそう言ってふたことみこと玄関の女性に尋ねるが、返答は無い。
「何これ……」
ゼロ先輩はそうひとこと言ってその人に話しかけるのを止めると、手を玄関の中に入れてその人の顔を触る。
「ゼロ先輩、その人……どうしちゃったんでしょうか?」
ゼロ先輩は一通り触り終えると、僕の方を見て言った。
「リュウジ君、ちょっとこの人に触ってみて」
「へ?」
いきなり何を言い出すのか。
「いいから、触ってみて!」
ただならぬ緊張感を持ったゼロ先輩に圧され、僕は渋々女性の顔に触れてみた。
「これは……」
なんと表現すれば良いのかわからない。 ただ確実なのは、顔を触っているはずなのに手にその顔の感触が伝わってこないのだ。
「何だこれ……何だこれ……!?」
こんなにベタベタと触っているのに、強弱をつけて触っても全く感触が手に伝わってこないのだ! まるで空気を触っているかのように、しかしそこには確かに実体がある。
これは一体どういうことだ……!?
「ねえリュウジ君、扉……開く?」
僕はゼロ先輩の言う通り、ドアノブに手をかけて扉を開けようとしたが開かない。
扉はビクともしない。 どんなに強く引いても、押しても、開かない。
その理由は大体わかる。
女性がドアノブに手を掛けているからだ。
さっき触ってわかった事だが、どんなに強く触っても顔や体がそこに岩のように固定されて動かない。
ということは、この女性がドアノブを握っているという事であって、扉がビクともしないのは当然……。
「只事じゃないのは確かだね……他に入れる場所は無いかな?」
ゼロ先輩はそう言うと家の中庭の方へと向かう。
「ゼロ先輩!? ちょっと待ってください!」
僕も逃げるように扉から離れてゼロ先輩を追う。
中庭へ行くと縁側があり、そこから家の中に入れる窓があった。
ゼロ先輩はその窓へ指を指して言う。
「窓、開いてるね」
窓を見ると確かに開け放たれており……中は居間だろうか、テレビの音が聴こえる。
僕たちは窓に近付いて中を覗く。
……居た。 男の人が座ってこちらを驚愕の表情で見ていた。
「す、すみません!」
僕は咄嗟に謝る。
「あの、呼んでも出なかったもので――」
ゼロ先輩は僕の謝罪を静止する。
「玄関の人と、同じじゃない?」
僕は改めてその男の人を見た。 その人は体勢も表情も変えず僕たちを見ていた。
瞬きすらせずに。 まるで石になってしまったかのように……。
「お邪魔します」
ゼロ先輩は靴を脱いで縁側を登って窓から家の中へと侵入していく。
「あ、待ってくださいゼロ先輩! 中はさすがに――」
「そんな事言っていられないでしょ」
ゼロ先輩は男の人にまたベタベタと触る。
「やっぱこの人もさっきの女の人と同じ……」
そう言うと、家のさらに奥へと入っていく。
「ま、待ってくださいゼロ先輩! 僕も行きますんで! ……お邪魔しまーす!」
僕も靴を脱いで家の中に入る。
男の人を横切り、ゼロ先輩の後へと付いていく。
台所、寝室、お風呂、トイレを見るが他には誰も居ない。
残るは二階だ。 ゼロ先輩は躊躇せず二階へ続く階段を上がっていく。
僕も慌てて追いかける。
二階には廊下があり、部屋の扉が三つあった。 ゼロ先輩は手当たり次第に開け、中を確認しては閉め、残り一つの扉をガチャリと開ける。
しばしの静寂があり、ゼロ先輩は僕に中を見るように顔をくいっと振った。
恐る恐るゼロ先輩の開け放った扉から中を覗き込んだ。
「……」
中には女の子が居て、その子もまた驚いたような表情でこちらを見ていた。
「お邪魔します」
ゼロ先輩はズカズカと中に入っていき室内を見渡す。 しかし神経図太いなこの人。
「この子が津田絵里で間違いないみたい。 壁にウチの高校の制服が掛けてある」
僕も静かに室内に入る。
津田絵里であろうその子は手にゲーム機のコントローラを持って座っていた。 テレビの画面にはキャラクターが棒立ちしており、主に操作されるのをじっと待っている。
《――Should auld acquaintance be forgot, and never brought to mind Should auld acquaintance be forgot, and days of auld lang syne〜》
街の方から十七時の時報の音楽が流れる。 僕は時計を見た。
時計は十八時を差していた。
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