ゲオルギウスの怪物

異伝C

第一章 『再生する時間』




    【八月十二日(夏)】


エレベータが上昇する。 

体がフワッと重力の負荷を受け、そして次第にその感覚は自分と一体化していく。 

「小さい頃に一回登った事があるけど、こうしてまた登るのは感慨深いものがあるネ」

隣に居るゼロ先輩がひとこと漏らす。

同感だ。 僕もこの街に住んでいて登った回数なんて一回くらいしかない。


「私は一回も登ったことないよ」

そう漏らすのはハスミ姐さんだ。 相変わらずクール。


 他にもエレベータ内には観光客と思われる人々が沢山居た。

「……?」

僕は観光客に交じって異様な格好をした人物に気づく。 真夏だというのにフード付きのコートを羽織り、深々とフードで頭を覆っている……。 

(怪しい奴だな) 僕はあまり見ないようにした。


上昇を続けて五分程経ったか。 おもむろにゼロ先輩が口を開く。

「しかし長いね……さすが地上から三千メートルの怪物タワー」

その口調には期待と不安、そして好奇心が混ざり合っていた。


《間もなく展望ルームです。 国内最大級の景観をどうぞお楽しみください》

アナウンスがして、再び体がフワッとする感覚と共にエレベーターが止まった。


「さあくるゾ! ドキドキ!」

扉がゆっくりと開かれ、地上から千メートルの景色が目に飛び込んでくる。


「うわお!」


ゼロ先輩がはしゃぎながらエレベータから飛び出す。 僕たちも続けて降りる。


展望ルームは圧巻の光景だった……。

床のいくつかは透明なガラス張りで、外の景観はもちろん、足元に広がる地上から千メートル先の地面も見下ろす事ができる。 これは背筋がゾクゾクするというものだ!


「街の全部が見えるゾ! 絶景だネ!」


ゼロ先輩はポニーテールの髪と後ろにいつも引っかけているテンガロンハットをユサユサ揺らしながらはしゃいでいた。

無理もない。 ここまでの景色はそうそう見られるものじゃない。


「ホラ! あっちの海上に見えるのは百年前に建造された宇宙太陽光発電のプロトタイプ型『ヴィータ2050』! さすが、地上からの眺めと比べるとちっこいねエ!」


「ゼロ先輩、はしゃぐのは良いですけど当初の目的を忘れちゃダメですよ?」

僕はゼロ先輩をたしなめつつ、懐から『ボイスメモ付き電子メモ帳』を取り出す。

この電子メモ帳は優れモノだ。 メモ帳として実際に書くことは勿論、ボイス録音機能の他にボイスをリアルタイムで変換して文章として書き込みしてくれる。

さらに声帯識別機能もあるので、最大十人の声を分けて書き込んでもくれるのだ。


「さて、実際にゲオルタワーの展望台に登ってきた訳ですが、どうですかハスミ姐さん? 何か変わった事はありますか?」

ハスミ姐さんはしばしの沈黙のあと首を横に振る。 ただならぬオーラに僕は唾をゴクリと飲み込みながらその様相をメモに書き出して行く。


「おかしいです」

「おかしい? というのは、どうおかしいんですか?」


メモ帳の画面にハスミ姐と僕の会話がボイス音と共に文字で記録されていく。

「残留思念がありません。 あれだけ多くの残留思念が地上から見てとれたのに」

「なになに? それって、残留思念が消えちゃったってコト?」

それまで浮かれてはしゃいでいたゼロ先輩が興味津々で質問してくる。

「そうよ。 エレベータに乗った時から違和感は感じてたけど、地上から感じていた残留思念が……どんどん消えていったの」

パシャ。 ゼロ先輩は喋っている途中のハスミ姐をいつも持ち歩いているデジタル一眼レフカメラで撮影する。 パシャ。 パシャ。

「こんな経験初めて……」

ハスミ姐さんは両手を抱き合わせて身震いする。 展望ルームは冷房が効いているが、寒いほどではない。 何か良くない悪寒を感じているのだろうか。


――その時、部屋のスピーカーから十七時を報せる街の時報メロディが流れた。

《――Should auld acquaintance be forgot, and never brought to mind Should auld acquaintance be forgot, and days of auld lang syne〜》

しかも、いつもは古めかしいメロディだけなのに今回は歌詞付きだ。


「時報? 待って……今って十八時じゃない? これ、十七時の時報だよネ?」

僕も腕時計を確認する。 確かに……ちょうど十八時だ。 一時間ズレてる?


「でも、さっき十七時にもちゃんと鳴ってたし、どういう事なんだろう? 何かのイベントとかですかね?」

ゼロ先輩は改めて街全体を見渡す。 音楽は展望ルームのスピーカーから流れており、高音質で歌詞も綺麗に聴き取れた。

「何だか……悪い予感がする」

ハスミ姐さんはボソリと呟く。 もちろんその言葉もメモ帳の画面に記録される。


――話の発端はハスミ姐さんだった。


僕たちは都内二十四区の一つ、美鈴田区(みすだく)の高校に通う学生で、その高校の部活の雑誌部の部員だ。

雑誌部というのは日常のありとあらゆる話題や事件をバラエティ豊かに記事にして本にするという部活だ。

一冊毎のページ数は二十ページ弱と少ないが、内容の奇抜さやフューチャーされる特集等が注目を浴び、新聞やニュース番組の特集等にも取り上げられたりした事もある。

なので基本は購買部で販売している雑誌なのだが、公式ホームページからの購入も可能となっている。 学園内外でも密かに注目されている部活だ。


雑誌部の現部長は三年の黒澤零。 零と書いてゼロと読む。 

後輩からはゼロ先やゼロ先輩の愛称で親しまれながらも、雑誌部部長としての手腕は一〜二年の撮影係だった頃から右に出る者は居なく、独創的なアイデアや行動力で三年間雑誌部を支えてきたキーパーソンだ。 

その実績から旧部長に太鼓判を押され、現部長に至る。


そんなゼロ先輩が数日前に目を付けたのは、元雑誌部のOBであり現在もゼロ先輩と交流があるという高橋蓮美。 蓮美と書いてハスミと読む。 雑誌部の皆からは敬意を込めてハス姐、ハスミ姐等と呼ばれている。


彼女の実家は美鈴田区にある神社で、そこの神主の一人娘らしい。

生まれながらにして霊感があるという事で、夏になると決まって雑誌企画の納涼心霊特集で心霊アドバイザーとして重宝されてきた。

OBとなった今もゼロ先輩の伝で協力してもらっている。

神社の神主の一人娘なら、こういう俗物的な活動を嫌厭しそうなイメージがあったが、ゼロ先輩曰くクールな雰囲気からは想像できないくらいミーハーらしく、表向き素気ない雰囲気を醸し出しているが内心は雑誌企画に乗り気だ。


――そんなハスミ姐さんからゼロ先輩へ連絡があったのが数日前。


街の中心に建つゲオルタワー周辺にこの街の浮遊霊が集結してきているらしく、それらがタワー最上階へ目指して昇ったり降りたりしているのだという。

ハスミ姐さんに言わせるとそれらは残留思念との事だが、どっちにしても何かそれにより悪い影響があるわけでもなく原因が分かるわけでもない。 

ハスミ姐さんとしてはどうする事もしないが、雑誌部の心霊特集のネタにはなるかと思いゼロ先輩にコンタクトを取った次第だ。

そこから今年の夏の企画が明瞭化されていき、タワー最上階へと続く展望ルームに行けば何か分かるのではという事でこうして登ってきたわけだが……。


「残留思念てね、電気みたいなものなのよ」

そう語り出したのはハスミ姐さん。

「人間の体には電気が流れてるのは知ってる? その電気って死んだ時にスパークして、死後に体外へと放出されるの。 死の間際のイメージや思いが強ければ強いほど、強い電気エネルギーとして放出されて、そのイメージが具現化されて残留思念として動き回ったりその場に固定される。 それが俗に言う幽霊や地縛霊の正体。 幽霊も生霊も、全ては私たちのイメージしたものが色濃い電気エネルギーとして形造られたものなのね」

ゼロ先輩はウンウンと頷きながら聞いている。 何度も聞かされてきたのだろう。 

ハスミ姐さんは僕に向かって語っているのだ。

「このゲオルタワーって、要は大きな電気の集合体みたいなものでしょ? だからその周辺に残留思念が引き寄せられて来るのは、ある意味合点がいく事だと思うの。 電気的な繋がりがあるのかもしれない。 通常は残留思念も電気エネルギーだから、やがて拡散して消えてしまう。 でもゲオルタワーという無尽蔵の電気の宝庫があれば、それは消えずに残り続ける……確かな事は言えないけど、そんな事もあるのかもしれない」

「なるほど。 では、なぜ展望ルームに来たらその残留思念が消えたんですか?」

「わからないけど、こうは考えられないかしら? 多くの電気エネルギーが集まる場所に残留思念が集中して押し寄せて、強すぎるエネルギーに掻き消されたか……もしくは別のエネルギーに変換されて吸収されたような事になったとか?」

「もし掻き消されたという前者の予想なら、ゲオルタワーは一種の残留思念の掃除役になっている? もしくは後者なら、その吸収して変換されたエネルギーはこの街へ再び電力として流れていき、人々の生活を支える一部となると……?」

「さすがリュウジ君、頭の回転早いわね。 そういう事になっているのかもしれない。 まあ、確かな事は何も分からないけどね」

褒められてちょっとだけ舞い上がってしまいそうになったが、無理矢理落ち着かせるように僕は先を続ける。


「じゃ、残留思念が集まってきた理由はズバリ何でしょう? 今回のような取材をするからには、よくあること……ではないと見受けられますが?」

「これも憶測にはなってしまうんだけど、ゲオルタワー自体に何らかの……例えばエネルギーが過集中しているとか……」

「過集中? 通常よりも電力が多く蓄積されているということですか?」

「そうね。 異常といえば異常。 私も生まれてから二十年間この街で暮らしてるけど、こんな現象は初めて体験するもの。 もし異常があるとするなら、このゲオルタワーに他ならない」

「もしくはこの展望ルームだけそういう残留思念や電気エネルギーすら遮断する材質で造られた空間……とかネ?」

ゼロ先輩が割り込んでくる。


「ふむ……色々と仮説は思い浮かぶけど、確かな証拠は何もないねエ……」

顎に手を当てて「うーん」と唸るゼロ先輩の背後に、見知った顔の集団が現れる。

「あれ? お前たちここで何してんの?」

その集団の一人がゼロ先輩に声を掛けてきた。 ゼロ先輩は振り返ると、目を細めて嫌悪感を露わにする。

「あん? なんだ君たちかあ」

「ご挨拶だな……こっちから声を掛けてやったのに」

「別に声掛けてって頼んでないし、タクヤくん?」


声を掛けてきたのは同じ高校の三年、新聞部の部長である佐竹拓也。

彼の後ろには五人の新聞部の部員たちがこちらを睨み付けている。 

相変わらず威圧感たっぷりの連中だ。


新聞部は雑誌部と対立する関係にある。 硬派に日々のニュース記事を作成する彼らにとって、俗物的に読者を獲得し続け知名度を上げている雑誌部は面白くないのだろう。


「ま、どうでもいいけどな。 ハスミさんが居るのを見ると、どうせ今回も夏の心霊特集なんだろ?」

「あら嬉しい! 私たちの雑誌の一読者というわけネ!」

「ばか、情報収集のためだ。 お前らの記事と俺たちの記事が万が一にも被らないためのな?」

「へえ? じゃあ君たちは何を取材してるのかナ? まさかゲオルタワーで社会科見学でもあるまいに?」

「なんでもゲオルタワーが数日前から不調続きらしくてな。 展望ルームやエントランスに電力が十分に供給されずに停電した事もあるらしいし、タワー上部のライトが不規則に点滅したりして作業スタッフが頭を悩ませてるって話だ。 さっきの時報のズレも何らかの不調の結果と考えられる」

「部長! こいつらにそんな情報与えてやる必要なんてありませんよ!」

後ろに居た新聞部の部員が佐竹に注意する。

「構うもんか。 どうせこの手の話題は雑誌部とは無縁だ。 そうだよな?」

「うん、つまらない情報」

ゼロ先輩は言いながら僕の方に顔を向けてくると、不敵な笑みを浮かべた。


その後は特に取材に進展が無く、写真を数枚撮って僕たちはゲオルタワーを降りた。

「ソースは私たちの高校の生徒。 親がゲオルタワーで技術者をしているらしくて、その生徒経由からの情報らしい。 タクヤくんもガードが甘いねエ! クックック!」

ゼロ先輩は歩きながら嬉しそうに言った。

「その情報、どう使うんですか?」

「決まってんじゃん? ゲオルタワーの不調と残留思念の関連性。 因果はハッキリした! あとはなぜゲオルタワーが不調なのかの原因究明をしないとネ」

「なるほど! ゲオルタワーが原因なのか、それともお化けが原因でゲオルタワーに不調が起きているのか、多角的な視点から記事が作れますね」

「そう! そうなのよ! 停電とかライトの点滅とか明らかにポルターガイスト現象! オカルトに絡める事は全然できる! ネ? ハス姐どう?」

「確かに、関係性は十分考えられるわ。 本来ポルターガイストも私たちのイメージと残留思念が干渉しあった結果発生するものだからね。 強い念の力が物を破壊したり物理的な影響を受ける事はよく知られている」

「というと?」

「もしポルターガイストが原因でゲオルタワーに不調が起きているのなら、何か強い念が作用している事になる。 残留思念たちが何か警告、あるいは誰かに何かを伝えたくてそういう現象を起こしているとも取れるわね」

強い警告や伝えたい事……。 それはなんだろう?

「ま! その原因は究明できなかったとしても十分記事になる。 何せオカルトはタネが解っちゃったら面白くないし、ネ?」

ゼロ先輩がカメラのディスプレイで今日撮った写真データを眺めながら言った。 確かにそれも一理ある。


「でも何となーく気になるから、ちょっとその技術者の子供……ええと私たちの高校の生徒だっけ? 見つけ出してその後の話を聞いても良いかもね? 原因はなんだったのか」

「わかりました。 明日、情報通に依頼しておきましょう」

「情報通? ほうほう……」

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