第12話 これでいい、これがいい


「は……?」

 アタシは、とうの昔に死んでいる。

「事故でね。内臓はどれももう駄目で、心臓マッサージを止めれば死ぬ状態だった」

 だから本当は、彼女たちと違って少女でも無い。

「そんなとき、アタシが今所属している部署が両親に接触した。娘さんを助ける方法が一つあるって」

 酷いよね、そんな言い方されたら、誰だって話に乗っちゃうよ。

 仲の良い家族なら、なおさら。

「テロリストやスパイ、他にも表では裁けない人間を秘密裏に始末するハーフヒューマノイドとしてなら助けられるって。その取引に両親が応じて、今アタシはこうして生きてる」

 だから、アタシは両親を恨んでいない。

「十年、余分に生きた。犯罪者とは言え、他人の命と引き換えに」

 誰かを殺すために娘が生きている。

 その重みに、両親が先に音を上げたことも含めて。

 誰も恨んでない。

 ぜんぶぜんぶ、仕方ないなって、思うから。

 アタシの部署の人間は、みんなそうだ。老いも若きも、いろんな年齢のハーフヒューマノイドが居るけど、過程はどうあれ(荒れる人は大荒れする。それもわかる)、みんなそこに落ち着くのだ。

「だから、いいんだ」

 アタシは、敢えて明るく言い放った。

「お願い。ビルの端に寄って。邪魔しないでね」

 仕方ないことなら、最後は笑って終わりたい。

 死ぬ時くらい笑ってないと、嘘だと思う。

 何に対してって聞かれたら、上手いこと言えないけどさ。

「……。わかった」

「! 藤さん」

 お藤さんが、厳しい目のまま言った。

 青さんは、困惑に揺れる目でアタシを見た。

「ありがと」

 アタシは口でお礼を言ったあと、思念通話インカムに切り替えて続ける。

『アタシの身体には、自爆用の爆弾が仕込まれてる』

 敵に捕まって調べられたら、技術が流出してしまう。

 それを阻止するため。

『アタシの下腹あたりを狙って、クロスボウを打ってね』

「──っ」

 青さんの眼が、今までにないくらい揺れた。

 ごめんね、と心から思う。

 チッとお藤さんが舌を打った。

『了解』

 お藤さんに促され、青さんもビルの端へと移動する。

 青さんには、辛い思いをさせてしまう。

 それだけは、本当に申し訳なかった。

「さあ、邪魔者は居ないよ」

《黒い霧の上へ……》

 魔王が、手招きして誘う。

 黒い霧って、この靄の上ってことだよね。

 吹き抜けの真ん中。

 びゅおうとビル風が吹く。

 これ、取引は嘘で、踏み出した瞬間に真っ逆さまとか無いよね?

 疑いつつも、もう行くしかない。

 ごくりと息を飲んで、一歩踏み出す。

「!」

 途端、ぶわりと靄がアタシを包んで、魔王の前へ連れて行く。

 靄は変に温かく、妙に柔らかかった。

 満員電車の人いきれが近いかも知れない。

 気持ち悪い。

《入れ替わったら、この身体は下へと落ちる。誰ぞに拾いに行かせるんだな》

 可笑しそうに魔王が言った。

 人を遠ざけておいて、こいつ。

 アタシは眉を顰めながら、麦穂さんに言った。

「麦穂さん! 魔王がアタシを乗っ取ったら、浅葱さんの身体が落ちるって! 受け止めに行ってね!」

 魔力がどれくらい復活しているかわからないけれど、転移魔法とやらをまだ使えるなら、何とかなるだろう。

「……っ、承知した!」

 麦穂さんが言った。

 苦しそうな声だった。

 気を、遣わせたかな?

 あまり気にしないで欲しい。

 自分の意思でやっていることだからね。

「さあ、始めて」

《いいだろう……》

 魔王が笑った。気がした。

 その瞬間。


 ぞぞぞぞぞぞ


 と、黒い靄がアタシを包んだ。

 べたべたと足や腕を直接触られているみたいな嫌悪感。

 しかし身体の内は、冷気を突っ込まれたかのように冷えていく。


 すぅぅぅ、と浅葱さんから靄が消える。

 ふら、と彼女の身体がかしいで、


 ひゅぅぅ……


 落ちて行った。

 どうか、麦穂さんが間に合いますように。

「ぅぐ……っ」

 じゅぉおおおっ

 アタシの願いが、真っ黒なものに焼かれていく。

《抵抗するな》

 低く、甘く、内側から声がする。

 その甘さは、腐った食べものから僅かに感じるあの匂いと似ていた。

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 吐きそう。

 けれど同時に、ちょっとだけ安心した。

 目を瞑る。

 真っ暗闇に、最後に浮かんだのはお父さんとお母さん。

 アタシを、悲しい、怯えた眼で見る二人。

 いつからアタシたち、話してないのかな。

 でも、仕方ないよね、仕方ない。

 ……その仕方ないに、もう疲れた。

 だから、卑怯だけど、アタシはこれでお休みだ。


《そうだ、そのまま受け入れ……》


 ダンッ


 魔王の声の向こう側。

 力強い、踏み込みの音。


「──見えたぞ」


 お藤さんの、静かな声。


 ザンッ


 斬撃の音と衝撃に、アタシは思わず目を開けた。


《な……!? いつの間に……!》


 魔王が狼狽える。

 アタシの前にはまだあの靄が揺れていた。

 ──何が起こったの?

 反射的にビルの端を見た。

 こちらを見ている二人が、ふっと歪んで、

《!?》

「え!?」

 消えた。

《どういう……っ、!?》


 ドッ


 魔王の黒い靄、その真ん中に、クロスボウの矢が刺さる。

 矢が飛んできた方を見れば、

「本当に猫さんの言う通り、核は綺麗な緑だった」

 青さんが、涼しい顔でクロスボウを構えていた。


 靄の真ん中。

 矢が貫いているのは、美しいエメラルドの核だった。

 先にお藤さんが付けた傷と合わさって、そいつは、バキンッと派手に割れる。


「……悪役らしくないね」

 青さんの言う通りだ、とぼんやり思いながら、アタシは割れた欠片が飛び散るのを見つめていた。


 ……そういや、確かにキノが言ってたな。

 ここへアタシたちを飛ばす直前。

 魔王の核、エメラルドの色をしたそれを破壊しろって……あんまりに見えないから忘れてた。


 アアアアアアアアアアアアア!


 断末魔の声が耳をつんざく。

 意識が、どんどんはっきり浮上していく。

「は……」

 目が覚めた! というくらい意識がクリアになったとき。

 ふっと一瞬だけ浮遊感に襲われ、

「あわわわわ!」

 次に、当たり前だが落下が始まる。

 やばいやばいやば、


 ボスンッ


 と焦り始めたときには、何かにぶつかり落下運動は無事に止まった。

「……ワイヤー?」

 アタシの尻の下にあるのは、蜘蛛の巣みたいに張り巡らされているワイヤーだった。

 青さんのだ。

 こんなの、いつの間に?

「おい」

 スッと影が差して、顔を上げた。

「お藤さん」

 立っていたのは、仏頂面をしたお藤さんだった。

「上に戻るぞ」

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