4P 『里親募集!』
下校。 帰り道。 沈みかけた夕陽は昼間のように暖かくなく、太陽の恩恵を得られぬ空気は冷たくなり、袖から出た手と襟から出た首元を冷えさせる。 ひゅうひゅうと流れる風はまだ春を感じさせない。 まだ冬は続きますよと、言っているようだった。
この学園に入学してから何日が経ったか。 まだ学園の近くだったので、部活の人たちの声が聞こえてくる。
剣道部、陸上部、野球部、文芸部、雑誌部、新聞部、柔道部……どれも俺には肌に合わない。 だからこうして帰宅部を立ち上げて、俺は悠々と家を目指して今日も部活に励むわけだ。
一人で帰るのが寂しいのは確かだ。 前の学校からの友達は全員部活に入り、結局一人になってしまったのだから仕方がない。
さあて今日も帰宅部、冬の自然の景色眺めながら物思いにふけるような雰囲気で帰りますかねえ。 ったくよ。
しかしあいつら、よくもまあ今まで興味もなかった部活に入って楽しんでいられますねえ。 優雅な空の下、友と語り合いながら家に帰る優越さときたら格別じゃねえか。 まったく。
「寒いな……」
もちろん、俺の独り言に答える奴なんかいない。 一人で帰ってるんだから当然だ。
でも口に出さないと俺すらここに居るのかどうかすら分からなくなってきちまう。
……って、なんだよそれ。 自分がここに居るのすら分からなくなるってどんな状況だよ。 俺はまだボケ老人じゃねえんだぞ。 ああ、でもなんとなくわかったわ。
独り言が多くなるのは年を取った証拠。 誰かが言っていたのを思い出す。 はあ? 俺まだ学生なんですけど。
河原を歩く。 眺める先には何もない。 ただ川が流れてるだけだ。 なんてことないいつもの景色。 でも何か、川の音とは違う、何か機械的な音が聞こえてくる。
「?」
何か、かちゃ、かちゃ、という……機械音? なんだろう。 すぐそばから聞こえてくるな。 俺は辺りを見渡す。 どこから聞こえてくるんだ?
俺は河原にある近くの草むらを見た。 あった。
それは人だった。 うちの学園の制服を着ている女生徒だった。
「何してるんだあいつ?」
さあ始まりました帰宅途中に出くわす帰宅部オリジナル面白イベント! なんてな。
俺は近づいてそいつが何をしているか確認しようとしてみた。 近づきながら、考えてみる。 草むらで一体なにしてるんだ? いろんな想像ができる。
一つは何か埋めてる。 二つは隠れてる。 三つめは野グ……いやいや、俺は三つ目の考えをひっこめる。 さすがにこんな人通りがある所でそれはないだろ。 もしそんな事をしてるやつが居たとしたらそいつは間違いなく頭のおかしい奴だ。 だいたい、どう見ても立ってるし、立ってする奴なんかいないし。 ……いや居るかもしれないぜ? でもさすがにこんな所でするならもうちょっと姿勢を低くするだろう……。
ヤバい、もう三つ目の考えで頭が埋め尽くされてる。 気付けば俺と奴の距離はもう二メートルぐらいになってしまっていた。 ちょっと何も考えずに近づき過ぎたぞ。
これでもし三つ目の予想が当たってたらどうする? え? ヤバくない?
いやいや、だって公共の場でそんなことする方がどうかしてるよ! 俺は悪くない! だって、何してるか分からねえんだし、なにしてるんだろうなって見に来ただけだ。 それで非難されるような事は俺は何もしてな――。
「だれ?」
ヤバ! 振り向かれた!
「ご、ごめんなさいぃいい! 何も見てないっす! すぐはなれますからぁあああ」
「何か変な勘違いしてない!?」
落ち着いて彼女の話を聞いてみると、草むらの中から何かが鳴く声が聞こえ、気になり声の方に行ってみたらしいのだ。
「――で、その前に私が何してたか最初にどんな想像してた?」
「いや、なにも? ぜ、ぜぜん!? なにもなにも!」
「わかりやすいわ」
彼女は一息ため息を吐く。
「ほら、こっちきて見てみ」
俺は言われるまま彼女の方へと行き、恐る恐る草むらの中の地面を見る。
「ん?」
そこには、ダンボール箱の中に入った子猫がいた。
「猫……? あんた、これを見てたのか」
「そう」
「なーんだそうだったのか……よかったぁ猫で」
「なんだと思ってたの」
「えっと……てか、あんた俺と同じ学園の生徒だよな?」
「ああ、その制服……」
「ああ、俺は一年の河野カズヤっていうんだ。 よろしく」
「あ、よろしく」
沈黙。 あれ?
「あの、あんた……じゃない。 君は何年?」
「私も一年だよ」
「へえ、同じじゃん。 でも俺の組では見かけなかったな。 別の組?」
「うん」
「……」
――て、おおい! 話が進みまへんがな!
「あぁ……よければ名前教えてくれる?」
「え、もしかしてナンパ?」
「俺、もしかして警戒されてる?」
「わりと」
「マジか」
「うん」
「……」
いや、まあ当然だ。 同じ学園の同級生とはいえ、こんな草むらで出会った人物にそう簡単に信用できようか。 まあ、別に信用してもらいたいとも思ってはいないんだけど。
「あ、そういえば」
俺はその子が持っているカメラに注目する。
「それカメラ? さっきの音はその音だったのか」
「デジタル一眼レフカメラ」
「ああ、それでその……猫を撮ってたのか?」
「うん、こんな状況珍しかったから。 あと可愛かったから」
「へえ」
よくそんな大層なもん持ってんな。 今時スマホとかじゃないのか?
「それ学園に持ってきてたのか? よくバレなかったな」
「なんで?」
「大概そういうのって持ち込み禁止だろ? しかもそんな大きなカメラ」
「いつもぶら下げてるけど気付かれないよ」
「周りの教師たちの目は節穴か!?」
「教師なんてそんなもんだよ。 てか、本当言うと私の体と同化させてたから誰も気付かないの」
「なにその忍術みたいなの」
「気付くのは、カメラを撮るときだけ。 それだけ私はこのカメラと一体化できるってことなんだよ」
「はええ……おまえ、カメラ好きなんだな」
「え、分かる? やっぱそう見える? ちなみに私の名前は蓮乃レンって言うんだ」
「うん、好きな話題出たからって態度あからさまに変えるな?」
「――それはそうと、この子猫……」
「ん? ああ……」
俺はしゃがんでダンボールに入って鳴いている子猫を見る。
「ナー。 ナー」
「こんな寒空の下こんなとこに捨てやがって。 夜になったら死んじまうぞ」
子猫は凍えた表情で不安そうに鳴いている。
「どうにかしてあげられないかな? 可哀そう……」
「どうにかっつってもなあ。 俺の家は犬がいるし、えっと……蓮乃レン? レンでいいか? お前んとこはどうなんだよ」
「うちはお母さんが動物ダメだから……」
「でもこのままにしておくわけにはいかねえよな……」
【河野宅】
んで、結局家に連れて帰ってきちまった……。
「まったくどうするの? うちにはミケランとジェロも居るのよ? 食べられちゃうかもしれないじゃない」
母さんは何気に怖いことを言う。 ミケランとジェロっていうのは飼っている犬の名前だ。 ちなみに二匹とも犬種はグレートデンだ。 ミケランがオスで、ジェロがメス。
「まあまあ母さん。 カズヤ、とりあえずその子猫、面倒はお前が見なさい。 でもうちでは飼えない。 いいな?」
「分かってるよ。 里親を見つける。 それまでは俺の部屋で面倒見るよ」
「まったく……」
母さんはやれやれといった風に首を振る。
「いい? あの子(犬)たちに見つからないようにね? 何するか分からないから」
「わかってるよ」
晩御飯を済ませ、俺は二階の自分の部屋に行く。 ベッドの前にはダンボールに入った子猫……。
「さあて……どうするか?」
「ナー、ナー」
「お腹空いたろ? んー何食べるんだろうな? シーチキンでも食べるか」
考えていると、ベッドに置いてある俺のスマホが鳴る。 取って発信者を見てみる。
LA・IN通話だ。 発信者はレンと表示されてる。 ああ、さっきの河原の。 そういえばさっき連絡先交換したんだった。 俺は通話をタップして出てみる。
「もしもし? 河野だけど」
《カズヤ?》
「おう、レンか。 どうした? 猫は無事だぞ」
《心配になって。 いきなりお風呂に入れたりしてないかなとか》
「入れてねえけど」
《よかった。 体弱ってると思うから、お風呂は一週間ぐらいしたらにしてね》
「ああ、そうなのか。 でさ、何食べさせたらいいかわからないんだけど、どうしよう」
《それなんだけど、実は今カズヤの家の近くまで来てるんだ》
「え? なんでだ?」
《押し付けたみたいで悪いからさ。 子猫用の餌買ってきたんだ》
「マジで!? ありがとう! 助かる~! ちょうどそれでどうしようか悩んでた所だったんだ。 シーチキンでもあげようかなと思ってたところだ」
《ちょっと、人間用の食べ物はNGだよ。 まったくこれだから男子は……》
「はいはい気を付けますよ。 で、今どこにいるんだ?」
レンの家は意外と俺の家の近所だったらしく、俺たちは近所のコンビニで落ち合った。
「寒かったろ? まったく女子がこんな夜の道を一人で歩きやがって。 言ってくれたら俺が買いに行ったのに」
「一応私にも責任はあるからね。 これぐらいはしたいの」
「ああ、ありがとう」
俺はレンから餌を受け取る。
「おわ、こんなに沢山。 一週間分ぐらいあるぞ」
「そんぐらい必要だよ」
「俺もお金半分出すよ」
「ううん、お父さんに相談したら餌代は出してくれるからって。 里親見つかるまではカズヤは気にしなくて大丈夫」
「そうか……悪いな」
帰りにレンを家まで送ってやり、俺は家に再び戻ってきた。 子猫のそばで餌の袋を開けてやり、皿に移して差し出す。
「ほら、お腹すいただろ? 食え」
「ナー!」
子猫は一声鳴くと、餌を一心不乱に食べ始める。
「おぉおぉ、そんなにお腹すいてたんだなあ! 沢山あるからゆっくり食えよ?」
再びスマホから着信音。 発信者は再びレンからだった。
「もしもし?」
《食べてる?》
「ああ、食べてるぞ。 めちゃくちゃお腹すいてたみたいだ」
《よかった。 まったく捨てた奴地獄へ落ちてほしいよ》
「ホントだな。 こんな可愛い子猫をなあ――ん?」
ふと俺の両肩に気配を感じる。
「ぬわ!?」
見ると俺の両脇にミケランとジェロが居て、子猫をジーっと見ていた。
「のわー! ミケランジェロ!?」
《は? ミケランジェロ? なに?》
俺は必死にミケランとジェロを部屋から追い出すべく二匹の体を引っ張ったが、全く動じることはない。 さ、さすがグレートデン……力が強い……。 てかなんで動かないんだ!? 決まってる。 二匹の興味は完全にこの子猫だ。 こいつら興味のある事には貪欲で飼い主の言うことを聞かないんだ。
「おい! 離れろ! 食べ物じゃないぞ!」
「? ナー」
餌を食べ終わった子猫がミケランとジェロを見て鳴く。 それを見た二匹は猫の匂いを嗅ぎだした。
「お、おいおいよせよせ!? あ、そうだ!」
俺は猫が入ったダンボール毎抱え、部屋から飛び出す。
「へっへーん。 これで大丈夫だ。 怖かったなあよしよし……って、あれ?」
ダンボールの中に子猫が居ない。 まさか!?
ジェロを見ると、口に子猫を抱えていた。
「ジェロぉおおおお!」
俺はゆっくり近づきながら。
「なあ、ジェロ? いい子だからそいつを離せ? な? あとでおやつやるから、な?」
ジェロはゆっくりと子猫を下に置くと、ペロペロと舐めだした。 ミケランも匂いを嗅ぎながらぺろぺろ舐める。
「は……はあ。 お前ら……」
全身の力が抜け、俺はその場に崩れ落ちる。
「ナー! ナー!」
子猫も心なしか凄く喜んでいるような気がした。
【学園】
「あぶな!?」
「ああ、でもそいつらめっちゃ可愛がってくれてさ。 さすがに俺が居ないときは部屋締め切ってるけどな」
昼時間、俺は昨日あったことをレンに話した。
「まあでも、親と離されて心細いのを犬たちも察知したんだよ。 優しい犬だね」
「ああ、よかったぜまったく」
「で。カズヤが居ない間は子猫はどうしてるの?」
「ああ、なんだかんだ言って母ちゃんも心配してくれてたから、餌とかは母ちゃんに任せてる」
「それなら安心」
「でさ、里親の件なんだけど」
「うん、昨日色々と調べてみたけど、SNSとかネットで募集した方が良いかなと思ってね」
「ああ、まあそうなるか」
「それか……」
俺たちは廊下の壁にある掲示板を見る。
「新聞部か雑誌部、そのどちらかに掲載依頼してみてもいいかも。 どこか遠くに里親出すより、ローカルな情報網で里親募集した方が近場の人が見てくれるかもしれないし」
「ああ、それも安心だな。 ちょっと相談してみようか?」
「あっれー君たち!」
「ん?」
掲示板を眺めていると、横から声が聞こえた。
「もしかして君たち部活探しているの!?」
女生徒だった。 もしかして部活の勧誘か?
「いえ、そういうわけじゃ……」
「そっかそっか! あ、申し遅れましたあ! 私、二年の坂本ユウっていいます! 雑誌部の部員なんだ! 今ちょうど入部希望者募集しててね! 掲示板見てるからついつい入部希望者なのかなあと思ってね?」
「雑誌部……」
「そう雑誌部! 君たちはまだどこの部にも所属してない?」
「――あ、あの。 ちょっと聞きたいんですけど」
レンが相手の質問を無視して聞く。
「ん? なになに?」
レンは坂本さんに昨日の一件を伝える。 坂本さんは黙って聞いてくれた。
「なるほどなるほど、子猫の里親ね……」
「そういうのってどうなんでしょう? やっぱこういうのって、雑誌部より新聞部の方が良かったりします?」
「あ~だめだめ」
「え?」
「ほら、新聞部って基本的にまじめ路線でしょ? それじゃあ興味持ってくれないよ。 話を聞いてると緊急性を要しそうだし、確実に行くなら雑誌の記事で取り上げた方がいいかもしれないよ! 雑誌部なら色々な趣味趣向の人が見てくれるから、募集するなら雑誌の方にした方がいい!」
「できれば里親は安心できる人になってもらいたいです」
「安心しなさいって! 雑誌部特別企画として、子猫里親プロジェクト発足させるからさ! 厳正なる審査をもって子猫の里親を募集させていただきます!」
「お、なんか頼もしいっすね」
「じゃあさっそく話を聞きたいんで、放課後に子猫の所に案内してくれる?」
というわけで、放課後俺の家に坂本さんを案内することになった。
「で、なんでレンまで来るんだよ」
「だって心配だから、あ~!」
レンは子猫を見つけるとそばに寄った。
「ど、どうした?」
「よかったあ無事だ」
「そりゃ無事だよ。 母さんが面倒見てくれてたからな」
「ほうほう。 この子猫だね」
レンは手に持ってるカメラで撮影をはじめる。 こいつは隙あらば撮りまくるな。
「フラッシュは禁止だぞ。 猫は光に敏感だからな」
「お、勉強したね。 大丈夫だよ。 フラッシュはオフにしてある」
「へえ、それデジタル一眼レフ?」
「へ? そ、そうです! わかるんですか!」
レンは坂本さんに異様に食いつく。 まったくカメラの話になるとこうなんだから。
「わかるわかる。 前に部長に触らせてもらったんだ! いいよねえ」
「そうですよね! 私撮影が好きでよく撮るんです!」
「そうなんだ! あ、撮影といえば雑誌部も今撮影係がいなくてねえ……どう蓮乃さん? 雑誌部で撮影係」
「撮影係……!」
「あ~……坂本さん、それより今は子猫の方をっすね……」
「あは! いけないいけない。 ここに来た目的を忘れるところだった! ありがとう河野くん!」
「いえ、いいっすけど。 どうですか? 雑誌部で募集かけれるっすか?」
「うんうん、それは間違いないから安心して。 本当言うと今月の記事制作の締め切り過ぎてるんだけど、任せなさい! 何とか記事に組み込んでみるんだから!」
坂本さんはレンを見る。
「時に蓮乃さん」
「はい?」
「記事に載せる子猫の写真素材、私が撮っても良いんだけど蓮乃さんお願いできるかな?」
「私がですか?」
「そう、蓮乃さんならうまく撮れそうだし」
「雑誌に載るんですか?」
「そうだよ。 蓮乃さんの写真がうちの雑誌に載るの!」
「いいんですか!」
「ええ! 是非! その代わりめっちゃ映えるように撮ってね!」
「ま、任せてください!」
こうして撮影タイムが始まった。 撮影は三十分ほど掛かり終了した。
「いい出来だね! これはくるぞ~」
「ありがとうございます!」
「ねえ蓮乃さん、本気で考えてみない? 雑誌部。 蓮乃さんほどの腕があれば、うち大助かりなんだけどなあ」
「ま、前向きに検討してみます」
「うんうん」
「坂本さん、よろしくお願いします」
「おう! 任せといて! 締め切り過ぎちゃってるから君たちと相談しながら記事の構成は出来ないけど、マスターアップしたらすぐに見せるからね!」
【翌日、昼】
「で……出来たよ見て見て!」
「さ、坂本さん!? 目元にめっちゃくまが……」
坂本さんは今にも倒れそうな感じで俺たちに書類を見せに来てくれた。
「ああ、これね! 徹夜しちゃった! ほら、そんなことより見てよ! 記事の方完成したんだから!」
子猫の里親募集の記事の作成のため、だいぶ無理をしてくれていたらしい。 俺たちは完成した原稿を見る。 ふむ。 悪くない。 というか、悪いところが見つからないぐらいの出来栄えだ。
「ちゃんとした人に手渡せるように、条件も厳しめにしてあるけど、でも頑張ればクリアできるものばかり。 あと里親になった後も定期的な子猫の訪問観察とかもあるから、あなたたちも安心でしょ?」
「確かに、これなら安心ですね」
「雑誌は来月の二週の木曜日に刊行されるから、締め切りも合わせて河野くんには一カ月近く子猫を見てもらっちゃう事になるけど、大丈夫かな?」
「ええ、大丈夫っす。 母さんもいるし、二匹の番犬もいるし、心配いりません」
「うん、ならこれでいいね」
「あ、坂本さん」
レンが坂本さんにおもむろに話しかける。
「なに?」
「近々、部の見学に行ってもいいですか?」
「うわあ! 是非来て!」
その後一カ月間、俺と猫の一緒の共同生活が始まった。 犬のように躾をされていない子猫はやたらめったらトイレをその辺にして、その度掃除に追われる。 お腹がすいたら餌を与え、たまにミケランとジェロが来て遊んでくれたり、レンが様子を見に来てくれたりする。
最初は面倒くさく感じた世話も、今は俺も可愛く感じている。
「なあお前、新しい飼い主の所に行きたいか?」
子猫を抱っこしてそう聞いてみる。
「ナー! ナー!」
「そっか、俺がいいか! よしよし可愛いやつめ」
沢山、沢山撫でてやった。
そして一カ月が経った頃、俺と猫の生活は、突然終わりを迎えた。
「三年の工藤マキエです」
その日は学園も休みの日で、そしてちょうど坂本さんから電話が来て、里親候補に相応しい人が居るという内容だった。 俺はレンと子猫とで、待ち合わせ場所の公園に行った。
そこには坂本先輩と、工藤マキエという三年の学園の生徒がいた。
「家にはペットの猫が二匹居ます。 家族も動物が好きで、里親募集の記事を見て子猫ちゃんを我が家にも迎えたいなと思ってお電話しました」
「えっと、里親の条件には全て同意してくれますか?」
「はい、もちろんです。 きっとその子猫ちゃんを幸せにしてあげられます」
「……」
「よかったじゃないカズヤ。 工藤さんなら、きっとこの子も幸せだよ」
レンは俺の肩に手を置く。 俺の気持ちを知ってか知らずか、それとも面倒だけ見させてごめんのつもりか。
「私もいいと思うよ河野くん! ほら、話を聞いてみると工藤さん私のお姉ちゃんの友達なんだって。 だから会いたいなって思えばいつでも会えるしさ!」
「そうっすね……」
俺は今一度、子猫を抱きかかえる。
「なあ? よかったな? やっと新しい飼い主が現れてくれたぜ? よかったな……」
「ナー!」
――気付くと、ぼたぼたと目から涙が溢れていた。
「カズヤ……」
「河野くん……」
「親には伝えてきました。 んで、ミケランとジェロにもいっぱい舐めてもらったし、もう思い残すことはありません。 工藤さん、どうかこの子……お願いします!」
「任せて河野さん。 今までお世話をしてくれてありがとね。 ね? 河野さん。 私の新しい飼い主は私にはなるけど、もう一人の飼い主は、河野さんだからね? だからいつでも会いたくなったら言ってね」
「はい、ありがとうございます……」
俺は工藤さんに子猫を預けると、頭を撫でた。
「可愛い……天使みたいな子ね」
「俺の一番の天使っす」
俺は涙を拭く。
「じゃあなピカソ。 元気で幸せに暮らすんだぞ?」
「ネーミングセンス!? てかカズヤ名前つけてたの!?」
「ああ。 あ、でも名前は新しい飼い主が決めるもんです。 気にしないで好きな名前をつけてください」
「ううん、ピカソ……ピカちゃんだね。 可愛い名前」
「く、工藤さん……!? マジか」
「じゃあピカちゃん。 これから新しい家族になる、マキエだよ。 よろしくね」
「ナー!」
「はい! じゃあちょっと雑誌掲載用の写真撮影いいですか?」
「ええ」
「子猫……ピカソとのツーショット頂きます!」
レンはそう言うと撮影をしだす。
「レン、お前……もしかして」
「ああ、雑誌部に入ったんだ。 半月ほど前だけどね? 言わなかったっけ?」
「いや……」
撮影は無事終わり、工藤さんはピカソと一緒に帰っていった。
「はあ……」
「河野くん、元気出しなよ。 また会えるって。 私でもいいしいつでも言いな? いつでもピカソに会わせてやるからさ!」
俺は脱力して公園のベンチに腰かける。
「何か、大事なものを失った気分だぜ」
「気持ちは分からないでもないけどねカズヤ。 私もカズヤの立場だったらきっとそうなってると思う」
「もう何を楽しみにして家に帰ればいいかわかんね……」
「ミケランジェロが居るじゃん?」
「それとこれとはまた別だって」
「ふーむ。 河野くんさえ良ければなんだけど、どうかな?」
「何がっすか?」
「雑誌部。 入ってみない?」
「え?」
「ハーシーも入ったわけだし、ね?」
「ハーシー?」
「ああ、蓮乃さんのことね。 蓮乃だからハーシー」
「へえ」
「ほらほら、そんな顔してたら、ピカソも心配するよ! Let,s enjoy! 学園生活は楽しまなくちゃ! ね?」
「はあ……わかりました。 でも俺飽き性ですからね。 様子だけみて肌に合わなきゃ辞めてもいいっすか?」
「全然オーケーだよ! じゃ! さっそく今日から君は我が雑誌部『めくりた』の部員だ!」
「さ、さっそくっすか。 でも、俺に何ができるんでしょう?」
「大丈夫! 河野くんにピッタリの仕事があるよ!」
※
そんなわけで、今は雑誌部の部員の一人だ。 ピカソとは一カ月に二回ぐらい今も会いに行っている。 工藤家三匹目の猫として猫二匹含めてみんなから愛されている姿を見ると、ああ、良かったんだなと今もしみじみ思うのだ。
ジリジリジリ……。 季節は夏。
「坂本先輩、これ……本当にやるんすか?」
「仕方ないでしょ企画会議で決まったんだから」
今回の企画はアンケート調査『暑い夏をどうやって乗り切る!? 街の人百人に聞いてみた!』だ。
「百人……」
俺たちは街の噴水公園に来ていた。 休みの日だから人は大勢いる。
「頼むよ河野くん。 君の体内バッテリーだけが頼みの綱だ」
俺の雑誌部での役割は、主に突撃取材担当。 現場組のリーダー的な役割だ。 といってももう一人の取材班は横でカメラをパシャパシャ撮っている撮影係のレンしか居ないわけだが。 坂本先輩は今日は暇だったので応援に駆けつけてくれていた。
俺は棒アイスの最後の一口をがりっと口の中で噛むと、棒はゴミ袋に入れてしまった。
「やるしかねえか」
「がんばって! 応援してる!」
「いや、坂本先輩も応援に来たからには手伝ってくださいよ!」
「河野くんが熱中症で倒れたらね」
「はあ……暑い」
でも、何だろう。 あの寒空の下を一人で歩いて帰っていた頃に比べれば、ましなんだろうな。
うん、今は大切な存在。 沢山増えた気がする。
どうせすぐ辞めるかもなんて考えていた部活だったが、もう俺は立派な部員だ。
だから続けてみようと思う。 このまま。 でも――。
「あちいいい! おいレン! 早く終わらせるぞ! ……って噴水の写真ばっか撮ってんなよ!」
「だって暑いし」
「河野くん私の麦わら、貸そうか?」
「いりません! こういうのは気合っす!」
まあ、なんだかんだ楽しいのは確かだ。
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