1P 『学園七不思議シリーズ! 音楽室の怪異編』

この学園には、音楽室というものが存在する。 ま、どこの学校にもあるんだけどね。 んで、そんなどこの学校にもある音楽室っていうのは、必ず怪異現象の噂が付随してくるものだ。

 ホラ、みんなの学校にもあるでしょ? 放課後になるとピアノが勝手に鳴りだすとか、壁に掛けてある偉大な作曲家の肖像画が夜な夜な肖像画から飛び出して構内を徘徊するとか……。 そんな噂、誰でも一度は聞いたことがあるはず。

 学校の七不思議ってやつだね。

 でね、この学園にももちろんあるんだ。 音楽室にまつわるとある噂が……。


「で、坂本先輩……どうします?」

「どうするって河野くん……行くっきゃないでしょ……」

「マジっすか……」

「マジよ、大マジよ」

「はあ……祟られたら先輩のせいっすからね? 責任取ってくださいよ」

「大丈夫。 知り合いにお祓い出来そうな人がいるから」

「にしてもあんまり気乗りはしないですけど」


 事の発端は一週間前に遡る。


    【雑誌部めくりた部室内】


 ここは、都内のとある学園の部室。

 私は学年二年の坂本ユウ。 この部活、雑誌部『めくりた』の部員の一人だ。 担当は記事の構成や校閲等。 時々企画等も考えていたりもする。

 『めくりた』は学園内で人気の月刊誌だ。 ページ数は五十ページとその辺の雑誌としては少なめだが、ローカルな記事が学園内で密かにヒットし、いまや一定のリピーターを抱えている人気雑誌。 基本的には購買部で販売されており、その売り上げ資金はそのまま雑誌部の活動費となる。 印刷代や公式ホームページの維持費なんかに当てられている。

特に最近は学生の作成した雑誌ながら記事の奇抜さから有名なまとめサイト等でも取り上げられたりして、生徒ではない一般の人からのホームページからの雑誌注文も多く、広く認知されている事はありがたい。 いや、良い時代だなあ。 これぞメディアの力!

 さて、今日は八月に刊行される九月号の企画会議の日だ。

 みんなそれぞれ意見を出し合っている。 私も家から持参したノーパソを開き、情報収集をする。 しかし中々いいアイデアが思い浮かばない。

 今までも私の企画が採用されることはあったが、反響はいまいちだった。 今度こそはインパクトある企画を……。

……あかん。 考えれば考えるほど思考は堂々巡りで閃きが全く起きない。 どうしたものか……。

 ……みんな、激熱した議論を交わしアイデアを出し合っている。 私はそれら全てに相槌を打つだけ。 はあ……どうした私。 こんなに頭が回らなかったっけ?

 この部室で二年なのは私だけ。 次期部長の座も密かに狙っていたりする。 そんな私がアイデア一つ閃かないなんて! あぁ神よ! 今この時だけでいいから何か私にアイデアを恵んでください! このままじゃ後輩への面目も丸潰れというもの……はあ。


 白熱した会議は一旦小休止の号令が掛かり、各々が席を立ちジュースを買いに行く者やスマホでゲームしたりニュースを見たりと好き勝手にやっている。

 私もこの貴重なクールダウンタイムで錆ついた頭に少しでも油を差さねばと思い、椅子に座ったまま窓の外をぼんやり眺める。

 窓の外は雨が降っており、じめじめとしている。 今は梅雨だ。

 ……なんだか私の頭まで外の梅雨のようにジメっとしそうだったので速攻で窓から目を離す。

「はあ……!」

「どうしたんすか坂本先輩? 頭抱えちゃって」

 横に座っていた同じく雑誌部の部員で学年一年の河野カズヤくんが声を掛けてきた。

「いや……別に」

 私は姿勢を正すと、河野くんを見る。

 ガリガリとアイスを頬張っていた。 一年ともなると呑気なものだ。 この二年の私の上と下からの期待と重圧によるプレッシャーも理解していないだろう。 けッ!

「もしかして頭痛っすか? 保健室で休みます?」

「いや、大丈夫だから」

「無理しない方が良いっすよ」

「……アイス、美味しい?」

「うーん、可もなく不可もなくって感じっす」

 はあ……まあ、私も彼ぐらい能天気にしてれば閃きもいずれ戻ってくるかなあ?

 私はとりあえず気晴らしにメールをチェックしてみることにした。

「何かメール来てるかなーっと」

 あった。

 メール一通受信の文字。 宛名には『匿名希望』と書かれている。

 件名には……『音楽室の怪異』と書かれていた。

 私は迷わず本文を開く。 本文にはこう書かれていた。

『こんにちは! いつもめくりた楽しく読んでます!』

 うふふ、ありがとう。

『毎回やってる突撃取材シリーズめっちゃお気に入りなんですけど、情報提供いいですか?』

 え? ここで情報提供!?

『この学園の音楽室って、何かと噂ありますよね? 夜になるとピアノが勝手に鳴りだしたりだとか、夜の0時を過ぎると肖像画の顔が変わってたりだとか……』

 うんうん! 夏にピッタリそうな話! この人Good Job!

『私は今まで信じていなかったんですけど、この前部活で帰りが遅くなって外のファミレスで部活メンバーと一緒にごはん食べてたんですけど、私学校の更衣室に忘れ物しちゃって、一人で取りに戻ったんですよ。 そしたら……』

 ご、ゴクリ……。

『音楽室の方からピアノの音が聞こえてきて……私、幽霊とか信じないタイプなんで、誰か居るのかなあと思ってちょっと音楽室の中を覗いたんです』

 勇気あるなあこの人!

『そしたら、誰も居なかったんです……。 聞き違いかなあと思って帰ろうとしたんですけど、そしたらまたピアノが鳴ったんです! 音楽室には誰も居なかったのにです! さすがに私も一気に怖くなってきちゃって! 一目散に学園から走って逃げ出しました!』

 や、やば……。

『めくりたの皆さん、どうか学園の音楽室、放課後の辺りも暗くなったぐらいの時間に突撃取材お願いします! あと、記事楽しみにしています!』

 来た……これだよこれ! 私が追い求めていた企画は! 夏! 夏と言えば納涼企画!

 肝試し、心霊モノ、七不思議、くっくっく!

 これはまさに迷える子羊に与えてくださった神からの贈り物! i Love You! 名もなき情報提供者よ! これで私も――。

「へえ、面白そうっすねこれ」

「ひい!? こ、河野くん!? み、見た!? 勝手に見たの!?」

「はい。 え? ていうかこれ公式ホームページのお便りっすよね? 俺も見ても良いやつじゃないんすか?」

「そ、それはそうだけど!」

 まずい、これじゃあ私のアイデアって事に出来ないじゃないの! せっかく匿名で来た情報だってのに!? ぐぬぬ! かくなるうえは……。

「これ、いいじゃないっすか。 このネタみんなに提案しましょ――」

「待って」

「は?」

「私ね、いい考えがあるの」

「はあ」



    【近所のファミレス】


「ほら! お腹いっぱい食べなさい! 私のおごりだから!」

「え、どうしたんすか急に」

「いやね、私先輩らしいことしてあげられてないなって思ってさ……可愛い後輩にごはんの一つも振舞ってあげれなくて、ごめんね!」

「いや、いいですよそんな気を使わなくて。 それに入部の時に歓迎会で沢山良くしてもらえましたし」

「そうじゃなくて! 私の! 私のこの気持ちが収まらないの! ほら、後輩なら後輩らしく素直におごられなさい!」

「い、いいんですか」

「いいの! さ! 何食べる?」

「えっと、じゃあ……このミックスグリルご飯セットで」

「お! いいねえさすが育ち盛り!」

「と、フライドポテトとピザと唐揚げとカルボナーラと……あ、食後にバナナパフェも良いっすか――」

「おいちょっとまて小僧」


「冗談すよ。 飯は家帰ればあるんで、パフェだけで良いっす」

「え? いやいや! 違うんだよ! あははは! やだなあジョークだよぉ!」

「の割には額から滝のように汗が出てますが」

 ギ ク。

「てか、そろそろ本題に入りません?」

「ふぇ?」

「お見通しです先輩。 あの匿名のメール。 みんなには黙ってろって言いたいんすよね?」

「ん? 何の事かなあ?」

「もう隠さなくて良いですよ。 てかバレバレですよ」

「や、やだなあ! ほら、私さっき良い考えがあるって言ったでしょ? あのメール匿名じゃん? まず情報の真偽を確かめなきゃいけない! だってそうでしょ? もし何もなかったらただの無駄骨! そんなの時間の無駄じゃん!? てか私いつもそうやって情報の真偽を確かめてからみんなに発表してるの、ああ河野くんは入ったばっかだから分かんないよねえ。 そうなの! 私いつもそうやって、実際に取材するべきかしないべきかを判断してるんだよ! みんなに公表するのを待つのはそのため! まずは信憑性があるかないかの確認をだね――」

「そんな見え透いた嘘は必要ありません」

「……」

「先輩が三年の部長たちと一年の俺らの間で板挟みになっているのは実際そうですし、その苦悩も見てれば分かりますよ。 今日の会議で俺先輩の横にずっといましたけど、めちゃくちゃ焦ってるなあって感じましたもん。 心中お察ししますって感じっす」

「マジか、私そんなに焦って見えた?」

「俺にはですけどね。 上の三年の部長たちが卒業したら、きっと坂本先輩が次は部長です。 入ってまだ日は浅いっすけど、『めくりた』ってただの部活じゃないっていうか、まあだからと言って他の部活はちゃんとしてないっていうわけじゃないですけど、部員全員ガチなんすよね。 雑誌部『めくりた』に掛ける凄まじい情熱というか、そういうのは俺にも感じます。 それに、実際飽き性の俺が今だに雑誌部に居るのも、先輩を見てるからなんですよ」

「わ、私を?」

「です。 先輩、ガチじゃないっすか。 この部活に、命掛けてるっていうか……そういうとこ見てると、なんかめっちゃ俺もこの部活……『めくりた』を盛り上げてぇなっていうか、そんな気持ちになるんす」

「河野くん」

「だから、先輩を応援してるし先輩の考えたことなら、俺は否定もしませんし止めもしません。 傍から見れば手柄独り占めみたいな構図ですけど」

「う……それを言われると!」

「でも、それを誰も知らなければ、先輩の頑張り勝ちです。 俺は知ってますけど、応援したいって、思ってるっす」

「カ、カズヤくん……君って子は、ううう」

「てことで、パフェ一つ。 いいっすか」

「ええい! 君の事気に入った! パフェでも唐揚げでも好きなだけ注文しな!」

「いやパフェだけでいいです」



「どう? 美味しい?」

「うまいっす。 やっぱパフェと言ったらバナナパフェっすね」

「しかし、私の事をそんな風に考えてくれてたなんて、なんだろう、ちょっと感動しちゃったかも」

「誰にも内緒っすよ。 こんなこっぱずかしい事言えるのは本人にだけです」

「本人に言えることが素晴らしいんだよ! 普通はそれこそ恥ずかしくて言えないもん!」

「俺、陰ながら応援とか無理なんす。 頑張ってる人には、頑張ってるねって言ってあげたい。 それだけの事っす」

 カズヤくんはそう言うとパフェに刺さっているバナナをパクっと食べる。

「それは凄いことだよ! さすが我が『めくりた』の部員!」

「そろそろ恥ずかしいんでほめ殺しやめてもらっていいっすか」

「ごめんごめん、ふふ」

 私は河野くんがもうじき食べ終わる頃を見計らい、“本題”を切り出すことにした。

「でさ、決行日なんだけど」

「はい?」

「明日の放課後、日が暮れた辺りにしようかと思ってるんだ」

「日が暮れた辺りって……何をするんです?」

「音楽室! 行ってみようと思ってるんだ。 匿名希望さんの書いていた内容の事が本当に起こるのか、確かめてみようと思ってる」

「……マジっすか。 大丈夫ですかそんなことして」

「もちろん学園の許可なんか降りないと思うから、ゲリラだけどね」

「もし何か、それこそ本当に怪異と遭遇したらどうするんですか」

「うん、怖いけど。 これも記事のため、やらせは書けないしね。 それに二人なら心強い」

「さすが『めくりた』魂っすね。 感服しますよ……て、え?」

「うん? どした?」

「二人って、誰と行くんですか?」

「やだなあ、河野くんとに決まってるじゃん。 君ほど信頼できる味方は居ない!」

「……」

「あれ? どしたのそんな固まっちゃって。 あ……ち、違うよ! 別に私はそんなつもりっていうか! 勘違いしないでくれる! 恥ずかしいわあ!」

「いやいや勘違いとかじゃなくてッッッ!」

「え? じゃあ……河野くんまさか私の事……!」

「だからその勘違いをどっかに飛ばしてぇ!? て、そうじゃなくてえぇええ! えッ!? まさか俺も一緒に行くんですか!? 放課後の音楽室にッ!? しかも暗くなってくぁら!?」

「さっきからそう言ってるんだけど?」

「いや聞いてないし! てかそんな話でしたっけ最初!?」

「そうだよ」

「しれっと嘘つくんじゃない! 俺はひとことも二人で行くなんて言ってませんよ!」

「え、じゃあさっき言ってた事は、嘘だったの?」

「さも俺が嘘つき野郎みたいな既成事実作るのやめてもらえませんかぁああ!? いや、言ってませんし! 俺はただあのメールを俺が見なかった事にしようって言っただけであって――」

「だってさ……」

「な、なんですか」

「さすがに一人は怖すぎるっしょ?」

「だったら行くなぁあああ!」

「え? 一緒に行ってくれないの――」

「むりむりむりむりですって。 俺こそ怖いのマジで駄目なんすよ」

「も、もしかして河野くん、霊感とかある?」

「無いっす。 てか関係あります? それ」

「なんだ、幽霊見えないのか! じゃあ大丈夫だね!」

「な・に・が?」

「だって幽霊見えないなら何も怖がることないじゃん」

「じゃあ坂本先輩は見えるんですか?」

「見たことないよ? でも怖いもんは怖い!」

「あ、じゃあそれ俺もです。 てことで解決っすね。 行かないって事で――」

「パフェ」

「あん?」

「食べたでしょ。 パフェ」

「俺払います」

「払ったら殺す」

「脅迫ですよそれ」

「んじゃあ泣く」

「やめてください。 いい大人が」

「お願いだよぉおおおカズヤくんんんん! 一生のお願いぃいいい!」

「……」



    【学園:放課後の夜】


「マジで……何でこんな事に……」

 頭を抱える河野くんを尻目に、私は警備員のおじさんが宿直室へ向かうのを黙ってじっと見ていた。

 学園内は部活で活動する生徒もまだいるが、多くの場所が昼間とは違い防犯上の理由で侵入禁止エリアが増える。 音楽室はもちろん、そこへ続くエリアも多くが侵入禁止となる。 そして私たちは今音楽室近くの女子更衣室へ隠れている。 

 つまり、今ここで見つかれば一発で生徒指導室送りとなるわけだ。 見つかる事は、許されない。

「じゃあこんな事やめましょうよぉぉお……だいたい、雑誌にも掲載できないっすよ」

「雑誌にはブラフも混ぜる。 昼間に取材したとか放課後すぐに取材したとかいくらでも言いようはあるよ」

「……はあ」


 さて、問題の音楽室……。 行ってみよう!

 私は縮こまっている河野くんを無理やり立たせると、手をつないで一緒に音楽室への扉へと向かった。


【学園放課後夜:音楽室前】

 私たちは音楽室前に来ていた。 今のところ、気になる現象には遭遇していない。

「じゃあ河野くん、扉開けてみるね」

「好きにしてください。 その代わり、何か居たら速攻で逃げるっすからね」

「だめ、まずは怪異の正体を突き止めないと」

「はあ……」

 私は音楽室の扉の取っ手に手をかけると、ゆっくりと開けた。

 当然だが、音楽室の中は電気も点いていなく真っ暗だ。 窓の外からの僅かな明かりだけが室内の全体像を把握する唯一の手段となる。

「入りますよ……」

 私は小声でそう言うと中に入る。

「先輩ッ……馬鹿な事言わないでください!」

「な、なにいきなり?」

「んなこと言って返事が返ってきたらどうするんすか?」

「こ、怖い事言わないでくれるかな? ほら、河野くんも入って! 外に居たら見つかる」

「うう……」

 河野くんも恐る恐る私に続いて中へと入る。

「暗すぎませんか?」

「当たり前でしょ電気点いてないんだから」

「で、電気点けましょ!」

「ばか! 電気なんか点けたら見つかるって!」

「じゃあせめてスマホのライトを……」

 河野くんはポケットからスマホを取り出してライトを点けた。 まあ、ライトぐらいならいいか……。

「いい? 窓は照らしちゃ駄目だからね」

「な、何でですか!? まさか窓の外に何か居るんですか!? ここ二階ですよね!?」

「だー! 外から見てチラチラ明かりが照らされてたらバレるってことよ!」

 こいつ筋金入りだな。 まあ、居ないよりは百倍マシな訳だが……。

「とりあえず、音楽室の中ちょっと調べてみよう? なんか昼に来た時と変わってる事とかないかどうか」

「んなこと言われても、音楽室とかそんな頻繁に来ませんし」

「そうだったね……しくったな。 昼の音楽室の写真を撮っておくんだった。 ねえ、何か違和感とか感じない? なんでもいいから」

「違和感も何もただただ怖いだけです」

「うーん……そう簡単には怪現象は起こらないか……。 ねえ河野くん、肖像画をライトで照らしてみてくれない?」

 私は壁に掛けてある偉大なる音楽家たちの額縁を指さす。

「マジっすか?」

「良いから早く照らしてみて!」

 河野くんはしぶしぶ肖像画を照らす。

「うわあ……」

 さすがに昼に見る肖像画とは比べ物にならないほどの迫力だ。

「どう? 何か、顔の向きが変わってたりとかしない? もしくは肖像画から抜けだしたりしてるとか!」

「だからナチュラルに怖い事言わないでくださいって! そんな事あるわけないじゃないですか! てかあったら速攻逃げます!」

「顔の向きはよくわからないけど、さすがに肖像画から抜け出してたりはしないか……」

 私は自分のスマホを取り出すとカメラモードにして河野くんの照らしてくれた肖像画たちを撮影する。

「とりあえず、明日また昼に来て何か違いが無いか確認してみよう」

「ういっす……」

 さて、残るは音楽室の隅に置いてあるピアノ。 情報提供では、このピアノが誰も居ないのに鳴ったという。 何か異変は無いだろうか?

「河野くん、ピアノを照らしてみて」

「はあ……」

 河野くんは今度はピアノを照らしてくれる。 同時に私もピアノを撮影する。

「ふむ、どこにでもありそうな普通のピアノだね」

 鍵盤蓋を開けたりピアノ屋根から中を覗いてみたりするが、特に変わった様子はない。

 といっても、素人がいくら見たところで異変を理解できるとは思わないが。

「ただ、間違っても勝手に鳴りだしそうな雰囲気はしないね……」

「そう、そうですよ! 怪奇現象なんてあるわけないんです! 情報もガセですよきっと」

「でも一応、明日また昼に来て実際に音を鳴らしてみよう。 もしかしたら緩くなって放っておくと勝手に鳴りそうな鍵盤もあるのかもしれない。 このピアノ古そうだし」

「そ、そうっすね! で、これで今日の調査は終わりっすか? 帰ります?」

「めちゃくちゃ帰りたがってるね。 まあ他にすることがないと分かれば私もいつまでもこんな所には居たくないからね。 いいよ、帰ろう」

 私たちは帰ろうと音楽室の出口まで戻ろうとする。

「先輩……!」

「ん? どした?」

「今、変な声……聞こえなかったですか……?」

「え?」

 ヤバい、河野くんの顔がマジだ。 さすがにこの状況で冗談は言えないだろう。

「そ、そう? 私は、聞こえなかったけど……」


 クスクス……。


「!?」

「聞こえましたよね……!? いま、笑い声みたいなのが……!」

 聞こえた。 確かに僅かにではあるが笑い声みたいなのが聞こえた……! しかも女の声だった。

 私たちはそこでしばらく動けなくなる。 本当はすぐにでも音楽室から飛び出したい衝動に駆られていたが、声が音楽室の外から聞こえたのでどうしたら良いか分からない。


 クスクス……。 クスクス……。


 そしてあろうことか、さっきは遠かった声がどんどんこの音楽室の方まで近づいてくるのだ!

「あ、あ、あ、先輩……どうしましょう……」


 クスクス……。 クスクス……。 クスクス……。


 声がくぐもっていてよくは聞き取れないが、何かに対して笑っている感じだ。 何がそんなにおかしいのか分からないが、笑い声はいよいよ音楽室前の廊下まで近づいてきていた! ヤバい。 確実にこの音楽室に入ってきそうな感じだ。

 クスクス……。 クスクス……。

 不意に河野くんが音楽室の出口をスマホのライトで照らす。 出口扉のすりガラスの向こう側に……黒い人影が浮かび上がる。

「ひ……!?」

 河野くんは声にならない悲鳴をあげる。 声の正体は、音楽室のすぐ外に居るアイツだ……。

 いつしか笑い声もしなくなり、永遠とも思える静寂が音楽室を包む。

「――河野くん……!」

 ふと思い、私は河野くんのスマホのライトを手で遮る。 室内は一気に暗闇で満たされる。

「な、何するんですか先輩……!?」

「もし人間だったら面倒な事になる……! 私たちが不法侵入してることがバレちゃうでしょ!」

 私は河野くんの耳元でそう言う。

「でも、人間じゃなかったら……?」

 河野くんのその言葉に、私の背筋が凍る。 人間じゃなかったら? 怪奇現象は暗闇を好む。 こうしている間にも扉の外の得体の知れない何かは私たちに近づいてきて、もしかしたらもう目の前に――。

 私は手で遮っていたライトから手を離す。 ライトは再び音楽室の出口を照らした。

 ライトを照らした瞬間急に目の前に女の顔が現れたらどうしようとか刹那考えたが、それはなく少し安心する。

「影が……」

 見ると、すりガラスの向こうに見えた黒い影も消えていた。

 私たちは顔を見合わせると、恐怖と安堵から手をぎゅっと握り締めあった。



    【翌日昼:音楽室】


 翌日の昼、私たちは再び音楽室に訪れた。

 あの後私たちは恐る恐る音楽室を後にした。 幸い(?)怪奇現象はその後起こらず、私たちは無事に各々の家路に着くことができた。 あの声と謎の人影はなんだったのだろう? 疑念は消えることはなかった。

「さすがに昼間は雰囲気がガラッと変わるっすね」

「君の雰囲気もガラッと変わるね、ふふ」

「坂本先輩だって! めっちゃビビってたじゃないですか!」

「君ほどじゃないけどね~」

 私はまず昨日自分のスマホで撮影した肖像画の写真と昼間の肖像画を見比べてみる。

「ふむ。 特に変化なしだね。 肖像画は夜と変わらずかあ」

 次にピアノの鍵盤を調べてみる。

 ふむ、見た感じどこかへこんでたりとかおかしい所は無い。 

「河野くん、ちょっとスマホで動画と写真撮っておいてくれない?」

「え?」

「ほら、記事にする際の参考写真と、もし本当にピアノが鳴った時にどの鍵盤が鳴ったかを確かめたいから」

「なるほど」

 一番左から順に鳴らしてみる。 しかし、これもまたおかしな所は見つからなかった。

「緩い鍵盤とかあれば完璧だったんだけど、全部パーフェクトだね」

「あ」

「なに?」

「この天板の下に何かネズミみたいなのが入り込む可能性とかは?」

「まあ、可能性は捨てきれないけどね」

 私は昨日と同じく、ピアノ屋根下の中を見てみる。 昨日は暗がりでよく中は見えなかったが、今日は昼間ということもあって非常によく見える。

「けっこう埃が積もってるね……」

 河野くんも同じく中を覗き込む。

「本当だ。 だいぶぎっしりですね」

「ネズミが入り込んでこの中で暴れたとしたら、この埃の積もり具合なら足跡や痕跡がつくと思うけど、その様子は無いみたいだね」

「じゃ、じゃあなんでピアノが鳴ったんでしょう?」

「だからそれは幽霊の仕業に決まってるじゃない。 最初からそのつもりで取材してるんでしょ?」

「いやいや坂本先輩、それは思考が固まりすぎというものです。 オカルトの見地からしか物事を捉えるものではありませんよ。 あらゆる可能性を考えなきゃ? だいたい幽霊なんて居るわけないじゃないっすか?」

「いや、それはごもっともだけど……何か昨日のあの君には言われたくないというか」

「こうなったら情報提供者に直接話を聞いてみたくなりますね。 その匿名希望さんがどういう条件下で現象に遭遇したのか気になります。 先輩あの情報提供者のメール、返信は出来ないんですか?」

「ん? できると思うよ」

「だったら実際に会って話がしてみたいです。 もしかしたらこの現象に遭ったのだってだいぶ前の話かもしれませんしね。 だとしたらネズミ説の可能性は高まります!」

「そうだけど……あ!」

「どうしました?」

 やべ! あのメールまだ削除してなかった。 

 基本的に雑誌部のアドレス宛に来たメールは私しか見ないが、万が一誰かが気まぐれで見たとしたらまずいことになる。 今この場で消しておかないと。

「さすが、頭が回るっすね」

「それ皮肉?」

 私はスマホから雑誌部『めくりた』のホームページにログインしてメールをチェックしてみる。

「あ」

「どうしたんすか?」

「新着メールが来てる! しかも多分昨日の情報提供者からだ」

「お、タイミングぅ!」

 宛名は『匿名希望』。 件名は『昨日の匿名希望です』だ。 私は本文を開いてみる。


『こんにちは! 昨日の音楽室の件で情報提供をした者です。 伝え忘れていた事があって再びメールさせていただきました。 あの怪現象があったのは一週間ぐらい前の木曜日でした。 しかも外は大雨。 だから木曜日の雨の日に行けばもしかしたら何かが起こるかもしれません』


「えっと、今日は金曜日だから……昨日は……」

 私と河野くんは顔を見合わせる。 昨日じゃん……。

「てことはちょうど昨日が怪異が起こるビンゴな日だった訳か……雨は降ってなかったけど、何かは起こったわけだ」

「いや、曜日で怪異が起こるとかそんな都市伝説みたいな事があるわけないっす。 きっと何か法則性があるんすよ」

「例えば?」

「考え中っす」

「はいはい」

 私はメールの本文をスマホのメモアプリにコピーすると、元のメールフォルダを削除した。

「で先輩。 その情報提供者と連絡取ってみてくださいよ」

「あ? ああそうだったそうだった。 待ってね……って」

「ん? どうしたんすか」

「……今フォルダごと削除しちゃったから、返信する術がない……」

「え、馬鹿なんですか?」

 まあいい、情報提供者からは新たな情報ももらった。

 来週の木曜日、できれば雨も降ってほしい! 再び挑戦してみよう。 カズヤくんにそれを伝えるとあからさまに嫌そうな顔をされたが、最終的にはしぶしぶ了承してくれた。


それから数日が経ち、いよいよ運命の日! 木曜日となった。



    【学園放課後:体育倉庫内】


 天の恵か! 外は雨だ。 かなりの豪雨のため外で部活をしている者たちはおらず、体育館内では吹奏楽部の連中が練習に励む音が聞こえるだけ。

 私は倉庫内から向かいに見える二階の音楽室の窓を望遠鏡で眺めていた。

「今思ったんすけど」

「ん?」

「音楽室って校舎のけっこう離れにあるんすね……」

「そうね? 一番端っこにあるね。 それが?」

「いや、なにか起きても人が沢山居るこの体育館まで逃げてくるのにけっこう距離があると思って」

「まぁた君は……逃げる事ばっか考えてるんじゃないよ。 怪異に立ち向かわなきゃ! 雑誌部として!」

「いや、立ち向かいたくありません。 それ以外でお願いします」

 雨のせいか、外が暗くなるのも早い。 先週よりも一層の暗闇が学園の中を囲んでいる。

「なんか、先週よりも雰囲気やばくありません?」

「やばいね……これは何が起きても不思議じゃない」

「何も起こりませんように」

「だからそれじゃ困るっての」

「え? じゃあ何ですか!? 先輩は悪霊が出てきて校舎の中で追い掛け回されたいと! そう仰るおつもりで!?」

「いや、それは嫌だけど。 てか幽霊なんて信じないんじゃなかったの?」

「こんだけヤバい空気満ちる夜に幽霊が居ないわけないじゃないですか!? 頭大丈夫ですか先輩!?」

「……はいはい」

 もう幽霊が居ても居なくてもどうでもよくなってきたが、ここまで来たんだ。 やれることはしよう。 もし居なくても、十分それっぽい記事は出来る。

「それってヤラセですか?」

「失礼な、脚色だよ。 事実にちょっとだけ色を付けるの!」

「それはヤラセって言うんすよ」

「うっさいなあ、まあ見てなよ。 とびきり面白い記事書いてあげるからさ……ん?」

「どうしました?」

 見間違いか? 音楽室の窓際に今、人影が見えた気がした。

「け、警備の人じゃなくてですか?」

 河野くんの声が上擦る。 分かりやすい反応だ。

「さあね……でも、一瞬だけしか見えなかったけど、ウチの学園の制服を着ていたような気がする。 しかも女生徒みたいな感じだった」

「な、なんだって女生徒があんな暗闇の音楽室に居るんですか!?」

「知るか。 でもあれが人間だとしたらますます理解不能。 何故あんなところに居るの?」

「幽霊の方がまだマシって言いたいんですか……」

「場合によってはね。 もしかしたらそれこそ変質者なのかも」

「だとしたらまずいですよ! 警備の人に知らせましょう」

「いや、まずは正体を確かめないと。 だいたい警備の人に言ったところで一緒に同行なんかできないでしょ? 私たちがこの目で真相を見つけなきゃ」

「あくまで俺たちで見なきゃいけないんですね……はあ、もう分かりましたよ。 腹をくくります」

「河野くん?」

 河野くんの顔つきが変わる。 それはまさに、これから決戦に赴く武将の如く、それはそれは精悍な顔つきだった。

「なんだ、やればできるじゃん。 それでこそ『めくりた』の部員! 見直したぞ」

「悟っただけです。 男には、逃げちゃいけない時がある。 それをほんのちょっと早く気付いただけですよ」

 おお、凄い。 このやり取りで急に頼もしくなったな。 私も少し張りつめていた気を緩める。


    【音楽室前廊下】


「で、河野くん。 その消臭スプレーはなに?」

「ネットで見たんです。 悪霊は消臭スプレーで除霊できるって、だからこうして……」

 河野くんは一歩歩いては目の前に消臭スプレーを拭きかけまくる。 やたらめったら目の前に吹きかけるものだから顔に消臭スプレーの霧がついて煩わしい事この上ない。

「先輩、何かあってもこのスプレーがあれば安心ですよ! 心強い味方です――って」

 私は河野くんからスプレーを奪い取る。

「没収」

「なな、何でっすか!? 呪われても良いんすか!?」

「これから怪奇現象を見たいってのに除霊してどうすんの!? それにスプレーの霧がさっきから顔に掛かってうざったいの! いい? これは私が持っておきます!」

「あっわわ……もうだめだ……おしまいだぁ」

 河野くんは頭を抱えて廊下にうずくまってしまう。

「しっかりしなさい! 男でしょ?」

「いや、マジでこういう時だけ男を理由にするのやめてもらえます?」

「まったく、コントじゃないんだから! 立ちなさい!」

「嫌です、俺もうこっから進めません」

「はあ……」

 まさかの戦力外通告? ここまで来て? いやそれは困る。 だってだって……私だって怖いもの! 一人で行っちゃう? 無理! 絶対やだ! だってだって、怖いもの!

「ねえ河野くん……私も君の事、頼りにしてるんだよ? ほら?」

 私は河野くんの手を握る。

「先輩?」

「私の手、どう? 震えてるでしょ? 私も怖いの。 私もできる事ならここから逃げ出したいよ。 でもね、『めくりた』の神はそこで逃げ出したものには微笑まない。 ここで戦った勇気ある者にのみ、未来をくれるの。 河野くん言ってくれたよね? こんな私でも応援したいって。 私、それを糧に今も頑張れてるんだよ。 河野くんのその言葉が、私をここまで動かしてくれた。 本当にありがとう」

「……」

「だからせめて私は最後まであなたの輝きで居続けたい。 だからもう頑張れなんて言わない。 だから見ていなさい。 私の、雑誌部『めくりた』の意地とプライドを!」

 私は立ち上がると、向こうの方に見える音楽室へと顔を向ける。

「言ってくる!」

「先輩! 待ってください!」

「河野くん?」

「俺、今度こそ目が覚めましたよ。 ふふ。 やっぱり坂本先輩は坂本先輩だぜ。 俺は決めました。 アンタこそが、俺の憧れだ! 例えそれが地獄でも、お供しますよ」

「河野くん……! きみ……」

「さっきまでの俺バイバイ。 先輩も、今から新しい俺を見ていてください。 もう、逃げたりしません」

「やっぱり君は私が見込んだ男だ!」

 私は河野くんに抱きつく。

「う……やめてください! それはさすがに恥ずかしいっす!」

 いやっほーい! うまくいったー! 捨て身の情に訴える作戦ッ! めちゃくちゃ手を震わせた甲斐もあったぜうっしゃゃぁあああ!

「ほら、行きますよ。 音楽室はもう目の前です」

「よし、行こうか」


ダーーーーーーン!


「!?」

 歩き出そうとしたその瞬間、突然音楽室の中からピアノの音が聞こえた。 まるで鍵盤を力任せに叩いたかのように……。

「なに、いまの」

「ぴ、ピアノの……音?」

 私たちは動きだせず、そこで棒立ちになる。 それ以降、音楽室から音はしなかった。

 でも、ここからどうしていいのか分からない。


「で、坂本先輩……どうします?」

「どうするって河野くん……行くっきゃないでしょ……」

「マジっすか……」

「マジよ、大マジよ」

「はあ……祟られたら先輩のせいっすからね? 責任取ってくださいよ」

「大丈夫。 知り合いにお祓い出来そうな人がいるから」

「にしてもあんまり気乗りはしないですけど」

「河野くん、男見せてくれるんだよね」

「いや、ですからこういう時に男を理由にしないでもらえますか。 てか、スプレー返してください」

「はい」

 私は河野くんに消臭スプレーを返す。

「と、とにかく……全身あるのみ……行くよ河野くん……!」

「は……はい……!」

 河野くんは消臭スプレーをまるで拳銃のようにして構え、私の後ろからゆっくりと付いてくる。 

ごくり。 生唾を飲み込む音すらうるさい静寂の中、私は音楽室の扉の取っ手に手をかける。 さっきまで気にならなかったが、外から聞こえる雨音が急にうるさくなる。

 開けるな、開けるな。 鼓動の音と共に私の中のもう一人の私が警鐘を鳴らす!

 いいのか!? 開けていいのか!? 開けたい! でも開けたくない!

 せめぎあう心がぶつかり合い。 やがて爆散する。 ええい! 全ては私の意思によるもの! 余計な邪念など捨ててしまえ。 私のやるべきことはなんだ!? この中に今まさに起こっている怪異を目撃し、記事にすることだ! そのためには、多少の恐怖に打ち勝つなんて容易い事じゃないか!

 私の肩にぽんと手が置かれる。 河野くんの手だ。 そうだ。 今私の後ろには心強く、そして誇らしき背中を見せなければいけない後輩が居る! 私は私の誇りを……守る! 見せなければ! 雑誌部『めくりた』の魂ってやつをぉぉおお!

「先輩……?」

 河野くんに呼びかけられ、私は隣を見る。 心強い味方ののその顔を見る。 そう、彼の両手にはしっかりと悪霊に効くらしい消臭スプレーがしっかりと握られている。

 今はそんなスプレーすらも心強い!

 ――え?

 河野くんはスプレーを両手で持って扉に構えている。

 ――え? じゃあ、私の肩に置かれたこの手は――。


 ガラ! 扉が勝手に勢いよく開く!


「ひ!?」

 同時に雷が近くで落ち、轟音と共に閃光が一帯を照らす!

 目の前には学生服姿の男の顔が!?

「ぎゃあああああああ」

「うわあああああああ」

 私と目の前の学生服姿の男は同時に叫ぶ!

「悪霊退散悪霊退散! あくりょ~たいさぁああああん!」

 河野くんはそいつに向かって渾身の消臭スプレーを連射した!

「うわ! なんだこれッ! やめ、やめてええ! ぺッぺッ!」

 たまらず悪霊はのけぞり尻もちをついた。

「死ね! 悪霊ぉおおおお!」

 もう死んでるんだよ河野くん!

 そしてその男のさらに後ろには学生服姿の女生徒が居た。

「な、なんなのあなたたち!?」

「そこにも居たか悪霊めええ!」

 河野くんは今度はその女にも消臭スプレーを渾身の力を込めて噴射した!

「きゃああああ! や、やめ! いやあああ!」


 ……。


 しばらくそんな状況が続き、私の思考はクリアになっていく。


 アレ? 何か色々勘違いしてね?


「河野くん、そこまで!」

 私はまるで時代劇のヒーローのように河野くんの動きを止める。

「せ、先輩!? 効いてますよスプレー! このまま退治できるかも!」

「いや、河野くん……これさあ」

 普通に人間だわ。

「てか、君たち二年の倉本くんと田中さんだよね」

 私は目の前の男女を見る。 ここの学園の制服を着た、生徒だった。 しかも顔見知り。

「はぇ?」

 河野くんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして私と目の前の男女を交互に見る。

「先輩、これって……え?」

 男子生徒はよく見るとズボンを脱ぎ下は下着しかはいておらず。 女生徒は服こそ全て着ているもののかなり乱れている。

 私は頭を抱えた。

「あ~一応聞くけど、君たち……ナニしてたの?」

 スプレーの霧で濡れた顔でぽかんとしていた男子生徒は私の言葉を理解するや否や、急に取り乱す。

「い、いや! これはその、違うんだ坂本! ちょっと、練習をだな!」

 何の練習だ。

 女生徒に至っては顔を真っ赤にさせて顔を覆っている。

「あぁ……これって、いわゆる逢瀬ってやつっすか?」

 河野くんがしれっと言う。

「坂本頼む! 見逃してくれ!」

「うぅ……まずズボンをはけ」

 男子生徒(倉本という奴だが)は私に言われるとすぐさまズボンをはく。



「まったく……神経おかしいんじゃないの? だいたい何で放課後のこんな真っ暗な音楽室でそんな事するかなあ?」

「仕方ないだろ。 ホテルは高いし……それにこの音楽室が一番離れてるから誰も来なかったんだよ」

「それで? 盛り上がっちゃってピアノバンバン鳴らしちゃって? マジで気付かれたらただじゃ済まないんだからね!?」

「ごめんなさい」

 正座する二人の男女が申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる。

 その後も私の説教は続いた……。



 ぱちぱち。


 説教も終盤という所で、音楽室の入り口から拍手の音がする。

 びくりとして全員が振り返ると、そこに立っていたのは……!


「げっ! 苗木先生!?」

 男子生徒が気まずそうにその人物の名を呼ぶ。 その人は、音楽の教師の苗木先生だった。


「よくやりましたわ坂本さん。 河野さん」

「苗木先生……? これは」

「ふふ。 先日お送りしたメールにこんなに早く対応して頂けるなんて、さすがは雑誌部ね」

「え? ええ!?」

 思考が追いつかない。 え、そんなまさか。

「そう、あの匿名希望のメールは私です。 坂本さん」

「な、なんだってぇえええ!?」

 河野くんが腹から声を出して驚く。

「シッ! 大きな声を出さない。 警備の人に見つかってしまいますよ」

「一体なぜこんなことを?」

「私はただ、神聖な音楽室を汚してほしくないんです。 不純異性行為はどこか他でやってもらいたいんですよ」

「ふ、不純……」

「でも直接問題にしたらあなたたち二人は最悪退学。 私も心を痛めたくありませんからね。 大事な生徒ですし……そこで、雑誌部の方のお力を借りる事に致しました。 結果は大成功。 これに懲りて、学園内での行為は自重してください。 いいですね?」

「はい、先生。 申し訳ありません」

「ごめんなさいね坂本さん。 だますような真似をして。 その代わり、放課後の学園内への不法侵入は不問と致しますので、お相子ですね、ふふふ」

 こわッ!? この先生こわッ!



    ※


 一週間前に笑い声と共にすりガラスの向こうに居た人影。 あれは倉本くんと田中さんだったということが本人たちの証言で分かった。 音楽室の中に誰かが居るのが分かったからその日は引き返したらしい。

 結局、あの後は秘密協定を結び、倉本くんと田中さんも大反省し、学園内での密会は慎む事を約束し、私たちも今回の件を表ざたにしないようにと釘を刺された。

 まったく苗木先生には一杯食わされたってやつだ。

 しかし、私にはこの件を記事にはできない理由が他にもあった。

 あの音楽室前で後ろから私の肩に手を置いた何者かの存在。 あれは苗木先生でも無いらしい。 そして……昼にピアノの鍵盤を鳴らす動画を撮ったのを覚えているだろうか?

 そこには私たちしか居なかったはず。 でもあとで動画を見返してみたらばっちり入ってしまっていた。 そこに居るはずのない、女の笑い声が。 しかもスマホのすぐ近く。

 その動画? もちろんすぐ消したよ。 呪われたくなかったしね。

 この学園には数多くの七不思議が存在する。 それらを追い求めるのは勝手だけど、くれぐれも自己責任でお願いね。 私たちは責任持てないから。

 はあ、どっかに面白いネタでも落ちてないかなあ……。 匿名希望でもなんでもいいから、今度はマシなネタを提供してよね……はあ。


 雑誌部『めくりた』坂本ユウの苦悩は続く。 ついでに河野のとばっちりも続く……。

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