第20話 戦争屋

「……よし、速度を上げましたよ、ステラ」

「ありがと」

 そう言いながら、男はその場でストレッチをしていた。身に付けたブーツや留め具などの革製品はギチ、ギチ、とリズムよく軋んでおり、彼の身体によくフィットしているのが分かる。

「アレがスーラント君のお父さんが言ってた大渓谷かぁ」

「遠くから見ても大きいですね」

 望遠鏡などを使わなくても、その存在は容易に視認できる。依頼主の男が気を付けるようにと再三注意していた、魔物の巣窟と噂される大渓谷。その入り口、もとい断面は街から少し離れた場所にあり、そこに至るまでの道は殆ど整備されていない荒野だった。

「あれでも一応は中央国家コンデラルタまでのだそうだね。モンスターがうじゃうじゃ居てロクな整備ができないから、中央からの装甲輸送車くらいしか通れないんだって」

「それも護衛として凄腕の騎士様が何人もついてのことですからね。通りで医者を呼ぶのも一苦労なワケですよ」

「地元の人々曰く、『貧富を分かつ谷』か……全く忌々しいや」

 引き続きストレッチをしながら、ステラはそんなことを呟いていた。口調こそはいつもの飄々とした非感情的なものだが、面持ちだけは神妙だ。


「うっし、こっちも準備完了。防塵・防風用のサングラスもヨシ」

「ステラ、どこまでスピードをあげるんですか? さっきの強化効果バフであれば、『ファースト』で音速に到達できますけど」

「……子どもがこんな大きな町で迷子。それに二日以上も目撃情報なし。急がない理由はないだろ?」

「も、もしかして……」

だ。音速よりもうちょっと速く行くよ」

「だ、大丈夫なんですか!? そこまで速くなったら人体に影響が……それに弾みで四段階目に行ったりしたら、記憶が消えてしまうんですよ! あと、街の人たちの安全だって……!」

 おろおろとしながら服を掴むナギに、ステラはなだめるような笑顔を向けて言う。

「大丈夫だよ。ナギが居るから俺も無茶する必要がなくなる。速さを求める旅に君は不可欠なんだ。悲しませるようなことはしないよ」

「す、ステラ……! もお、こんな昼間からそんな恥ずかしいこと――」


 ビュオンッ


「あびゃっ!! ……あぁ、もう!」

 例の如くナギの照れ恥じらう言葉は、空気の読めないステラによるスタートダッシュの衝撃波でことごとくかき消されてしまう。砂塵に咳き込むナギだけがその場に残された。




 ジリリリリン ジリリリリン ジリン……

 スリーコールで素早く受話器を手に取り、その片手間に依頼書の処理を済ませるのはクレルモン冒険者ギルドの凄腕受付嬢。

 まるで笑顔が顔に張り付いているとまで言われる程、常に笑みを絶やさない生粋のクエストガール。愛想と事務処理の鬼と名高いその女の名は――


「はい、冒険者ギルドクレルモン支部受付のラズベリです」


 淑やかさ、華やかさ、麗しさ。接客態度に対応の質。そのどれを取っても並み居る受付嬢の中でトップクラスの評価を得ていたラズベリ・ジャーニーは、公務員であるギルド嬢の出世街道を順調に突き進んでいる真っ最中であった。

 ブラウンのショートヘアに、アクセントとなった白のカチューシャがよく映えて、ネコ目のように少し釣り上がったその目は見合った者を魅了する。女性にしては高めの背丈と、普段から運動を怠らないために作り上げられた、衣服から垣間見える背筋の美しさにはコアなファンも多いという。


『あぁ、今日も皆がワタクシのデキる姿を見て惚れ惚れとしてますわ。そのままデッカイ玉の輿でも現れてくれたらもっと最高ですのに……』


 張り付いた笑顔の奥で、ラズベリはいつものようにそんなことを考えていた。

 しかし、そうした彼女の順風満帆な生活は、この一本の電話でことごとく瓦解しはじめることになる。


『……あ、あぁっ……』

「……えぇと、もしもし、受付のラズベリです。何か御用がありまして?」

 電話相手の不審さから、もう一度聞き返すラズベリ。あまり焦っていなかったのは、見た目商売な所も大きい受付嬢という仕事柄、日常的に痛々しい電話やファンを名乗る者からの熱いメッセージも珍しくないからだ。しかし、そうして冷静に対応を続けたラズベリだったが、次に発せられた声は彼女の想像を裏切るものだった。


『ひっぐ……うぅ、ごめんなさい……! ごめんなさい……!』

「な、なんですの。子どもの声……? どうかされましたか?」

 その時電話口の先で子どもの声に混じって、聞き取れるか否か非常に曖昧なほどの、微かな男の声がしたのをラズベリは聞き逃さなかった。

『……わ、我々は、だ』

「……っ!?」

 子どもの戦慄わななく声で発せられたのは、およそ予想もつかなかった衝撃の言葉。その名称に覚えがあったラズベリは驚きながらも立ち上がって、即座にクエストボードを睨んだ。


、星五級の犯罪者……!」


 それは中央国家コンデラルタ政府が指名手配する、星五級――つまり勇者クラスでしか討伐することのできない、またそれ未満の者は受注すら許されていない――高難度クエストに指定された折り紙付きの犯罪者集団。

 数年前突如として頭角を現した彼らは、初めはただの火事場泥棒に過ぎない小物だと評されていたが、徐々に犯行の規模を拡大させ政府を脅かすほどの存在となった者達だ。

「ど、どういうこと……? いたずら電話かなにか、ですわよね?」

『か、カルティアナ・エルディンは我々が預かった……うっぐ、まずはそれだけ伝える。お前たち……お前たちギルドの連中がやることは一つだけ、だ……』

 ラズベリの問いかけには答えない。それに、電話相手はテロリスト連中の誰かという訳ではなく、終始泣きじゃくった子供が絞り上げたような声で喋っているだけだ。

 ラズベリは咄嗟に理解した。アルルカンと名乗ったことは真実で、彼らがクレルモン市長の息子である『カルティアナ・エルディン』を攫ったことも真実。今現在クエストボードに貼られている二つの依頼「星五・戦争屋アルルカンの逮捕」と「星四・クレルモン市長の息子カルティアナ・エルディンの捜索」は最悪の形でリンクしてしまっていたのだと。

 つまり、彼らアルルカンは攫った子どもカルティアナを使って自分達のメッセージを喋らせているのだ。それは事の重要性を脅迫相手に伝えながら自身の身バレも防ぐ、最良にして最悪の手段であった。


「ど、どうすればいいんですの」

 卑劣、外道、そして最低だと何度も頭の中で罵りながら、ラズベリは問いかけた。

『パパ――あ、いやっ……クレルモン市長、べ、ベネディクト・エルディンにつなげ……受話器同士近づけるだけでいい……』

「分かりましたわ」

 ラズベリは躊躇せず、すぐさまもう一本の電話を引っ張りだすよう周りに指示する。周囲は突拍子もない指示と状況説明に混乱していたが、優秀な受付嬢である彼女が冗談を言うとは思えず、緊迫した空気の中で全員が動き回った。


「もしもし。市長のエルディンだが、息子の捜索はどうなったのかね……」

 ギルドからの電話だと言われ、秘書から受話器を受け取ったのはクレルモン市長、ベネディクト・エルディン。その顔には愛しの息子が数日前から行方不明になったことで、心配と恐怖による疲労がにじみ出ていた。

『パパ……パパぁ!』

「その声、もしかしてカルティアナか! どういうことだ、どこに居るんだカルティアナ!」

 ズドォンッ。ガサガサに割れた音が受話器から響いた。

『ひぃっ!』

「か、カルティアナ!?」

『あ、ああっ、ごめんなさい! ごめんなさい!』

「誰だ、そこにいるのは誰だ! ギルドの電話じゃないのか!?」

 ガチャリ

 電話越しで、はっきりとその音が聞こえた。恐らくわざと受話器に近づけたのだろう。拳銃に弾が再装填される時の金属音である。

『我々は、アルルカン……あ、あまりうかつなことは聞くなよ……う、うぅっ! 次は本当に撃つ……四肢を、い、一本ずつ撃ち抜くからな……』

 受話器の向こうのカルティアナ少年は、嗚咽まじりに、指示通りの言葉を読み上げていた。父であるベネディクトにこれ以上抵抗する余地はない。


「アルルカンだと……! 分かった、分かったからやめてくれ、これ以上息子に手を出さないでくれ!」

『我々の、要求は一つ……』

 ベネディクトは固唾を飲んで、続きの言葉を待った。

『神意の針、その設計図を持って、ま、街の外れにある大渓谷へ行け』

「な、なんだと……『神意の針』の設計図、そんなもの私は――」

 ズドォンッ

『うわああっ! ごめんなさい、ごめんなさい! ごめんなさい!』

「カルティアナ! あぁ、クソ、なんでこんな酷いことを……!」

『あーあー、ゴホン。ミスターベネディクト・エルディン。お前が神意の針を設計したことは知っているぞ~』

 少年の咽び泣く声は遠ざかり、代わりに成熟した男の、低く気だるげな声が聞こえてきた。

「だ、誰なんだお前は! 一体何が目的なんだ!」

『神意の針……遠く離れていても他者に魔術的影響を及ぼす革新的な魔技まぎ。素晴らしい代物じゃねえか。なぁ?』

「何を言っている……アレはそんなものではない。脳の特定の反応を検知するだけの、大袈裟なオモチャだ」

『嘘つくんじゃねえ。それだけだったら初めから魔術を織り交ぜる必要もないだろ。いいか……』

 電話口の男は少し溜めて、その声を一層低くしながら続けた。

『俺達はその使い方に気付いている。そしてこれは脅迫じゃない、交渉だ。アンタは愛息子の命が救われて、神意の針の真実も一般に知られなくなる。そして俺達はその神意の針の設計図を代わりに頂く。ほら、WIN・WINだろ?』

「外道めが……!」

『ハハッ! その言葉、とりあえずイエスってことにしといてやるよ。それじゃあ、後は約束通りに……』

 ブツッ、という無慈悲な切断音の後、それから一切の声は聞こえなくなった。ベネディクトは頭を抱えながら秘書に声を掛ける。

「……車を用意しろ」

「は、はい! 護衛はつけますか」

「いや、いらん。つけたところで意味がない。どうせ相手はなのだろう?」

「ですが……」

「息子の命に替えられるものはない。準備するんだ!」

 秘書は飛び出して車の準備をした。がらんとした市長室では、男の緊張した吐息が静かに響いていた。

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