第21話 受付嬢と紙タバコ

「ラズベリさん、大丈夫ですか」

「え、えぇ。大丈夫ですわ。ちょっと気分が悪くなっただけですので、お構いなく」


 冒険者ギルド、クレルモン支部。その受付嬢として名高いラズベリ・ジャーニーは、ギルドの裏で地面を見つめながら、タバコを片手に座り込んでいた。

 初めて脅迫電話に立ち会ったことで精神的に大きく疲弊してしまった彼女は、次の休憩まで時間があるものの、ギルドからのはからいで仕事を抜け出し、心身を癒していたのだ。

『流石は世界中で指名手配されている犯罪者……攫った子どもに脅迫文を喋らせて親とやり取りするなんて、イカれてますわね』

 過ぎ去ってみれば他人事……という訳でもなく、ラズベリの胸中はあのカルティアナ少年のことで一杯だった。普段は疲れた脳や体によく染みるニコチンも、今は期待できるほどの効果はない。

「ラズベリさん、ギルドマスターから『今日はもう上がって良い』って」

 同僚の受付嬢が、ギルドの裏口から顔を出す。

「あら、大丈夫ですのに。電話一本くらいで……」

「駄目ですよ。あんなショッキングなことがあって平気なワケないじゃないですか」

「わたくしはそんな、別に――」

 淑やかで華やかで麗しく。常に三つの美辞麗句を浴びてきたラズベリにとって、この次に出掛かった言葉はそんなイメージを崩しかねないものだった。

「別に……なんですか?」

「い、いえ! 確かにショッキングでしたわ。そうですね、今日は休ませてもらおうかしら……」

「はい。ちゃんと労わってくださいね。大渓谷にも近づいちゃ駄目ですよ?」

「へっ!? な、なんでわたくしがそんなところに行くなんて」

「ふふ、冗談ですよ。だってほら、ラズベリさんって真面目というか、正義感が強いというか、結構強気な人って感じじゃないですか」

「褒めてくださってるんですわよね……」

「勿論です! それじゃあ私は仕事があるので。お大事になさってくださいね」

 ばたばたと走り去る同僚を見送って、ラズベリは再び地面を見つめた。

 右手にライター、左手に紙タバコ。途端に静かになったギルド裏の路地にて、引き続き煙を肺に取り込む作業に勤しむ。

『あぁ。快楽物質の生成と、モヤモヤとした気持ちの増幅がせめぎ合っていますわ。やっぱり、やっぱり気になりますの……』

 彼女の心の中にくすぶっていたのは、真面目、正義感、強気な心……そのどれでもあり、またどれでもなかった。

「あー、ダメダメ! わたくしはただの受付嬢! こんなことでモヤモヤしたって仕方ないじゃありませんの」

 おもむろに立ち上がり、顎を少しだけ天に向けて「これが最後の一吸いだ」と言わんばかりに、深くタバコを吸い込む。

「疲れましたし、帰って酒でも飲みましょうかしら。それから好きな本でも読んで、好きなご飯でも食べて、いつもより沢山だらだらして、それだけの日を……」

 想像しながら、退屈で、刺激のない一日になりそうだと予感した。そんなものは自分の望む平穏ではない。勿論、受付嬢としてギルドで立ちっぱなしになるのも。

 しかし考えていてもどうしようもなかった。普段着でギルドの制服を身に付けている彼女にとって、帰り支度はそう時間がかからない。小さな革バッグを片手に持ち、ギルド裏の路地を抜けてひとまず帰路につこう。そう考えて歩み出した、その時——


 ブォン、と風を切る存在が左から右へ。何か通り過ぎたと思いながら、ラズベリは今日の非日常と近しい思い出を回顧した。

「本当、なんでヤバい奴ばかりわたくしのシフトの時にくるんでしょう。この前もマッチョの拳闘士のおっさんにいきなり求婚されましたし……」

 ビュウンッ。再び何者かが、左から右へ。

「その前も格闘家の冒険者がクエスト申請書と偽装して婚姻届け出してきましたし……」

 ブオッ。徐々に速度を上げるそれは、今度も左から右へ

「今日なんかは変な赤髪の男が涙目で押し寄せてきたり、アルルカンから電話がかかってきたり……」

 ドドドドッ

 彼女が独りつ度に、路地の前を何かが猛スピードで駆け巡る。そのあまりの頻度にとうとう癇癪かんしゃくを起こし、ラズベリは路地から身を出して、その正体を掴まんと飛び込んだ。


「だりゃああっ! さっきから五月蠅うるさいですわよ! スクラップにされたいんですの!?」

「ちょっとお!! 危ない危ない危ない!」

「あれ、貴方は……」

「ん、君は確か受付嬢の……」

 飛び出した先で危うく何者かにぶつかりそうになったが、間一髪でソレは急停止。路地から出てすぐに見合ったその何者かの正体は、超高速で町を駆け回るステラ・テオドーシスだった。先程ギルドで対面したばかりなので、二人ともかろうじて人相を覚えていたのだ。

「あー! 赤髪のヘンな冒険者! なんで路地の前を走り回ってるんですの……不審者? 変態?」

「いやいや、不審者じゃないよ!? それに走り回ってるのは路地前じゃなくてだから!」

「ま、街全体?」

 信じがたい言葉に、信じがたいという表情を浮かべるしかなかった。怪しまれていることを自覚したステラが、せめてもの説得力を見せるため一枚の依頼書を取り出す。

「今スーラント君の捜索しててさ、ほら無星のクエストの……」

 それは数十分前までクエストボードに貼り付けられていた、子どもの人相や特徴の書かれた依頼書である。ラズベリもいち受付嬢として見覚えが無いはずがなかった。

「え? あぁ、あのクエストですのね……ご苦労様ですわ」

『まぁ疑っているのはそこじゃなくて、街中を走り回ってるってところなのですが……』

「それじゃあ俺急いでるから、またね!」

「あっ! ちょっとお待ちください!」

 ステラが地面を抉りながら踏み込んだその時。ラズベリがステラの腕を思い切り掴み、食い止める。


「いで、いででで!」


! 街の中を探しているのなら、スーラント少年以外にもう一人男の子を見ませんでしたか? カルティアナという金髪の子なのですが……」

「エルディン市長の息子さんだっけ。その子がどうしたのさ」

「実は……」


 ——ラズベリは事の顛末を話している時、ステラ・テオドーシスは勇敢で、非常に思いやりのある男だと思った。先ほどの事件も含めたエルディン氏の息子の危機をありのまま伝えると、それまでの余裕飄々とした表情を変えて、途端に自分のすべきことを考えだしたのだ。受付嬢としての歴が長くとも、冒険者の仕事中の姿など殆ど見たことがなかったラズベリにとって、そうした姿は目新しく感じられた。

 勿論、ラズベリにとってはだけでも良かった。ラズベリは自分をそれほど情熱的な人間だと考えてもみなかったし、その生涯は受付嬢としてそれなりに名を馳せて、その後は逞しくてカッコいい、金持ちの冒険者や貴族と結婚して過ごすものだと思っていた。

 しかし——


「わたくしも同行します!」

「な、なんだって!?」


 だのに彼女は、一介の受付嬢の身でありながらもその捜索にのだ。

 先の同僚の言葉を思い出す。『真面目、正義感、強気な心』……今回の事件ではそのどれもが彼女の胸中でくすぶっていながら、しかしそのどれにも当てはまらない思いも確かにあった。自分がどのような思いで受付嬢をしているのか判断しかねていたのだ。退屈な日常に舞い込んできた非日常。時折自分の身に降りかかるそうした出来事に、少しずつ火種が投じられ、重いの炎は大きく育とうとしていた。

 そして、こうして依頼の為まっしぐらに奔走している冒険者ステラ・テオドーシスの姿を目の当たりしたことで、ラズベリはようやく、少しだけではあるが、自分の内に秘められた想いを理解することができた。


『あぁ、わたくしも冒険がしてみたかったんですわ!』




「ちょっとステラ、誰ですかその人!」


 涼しい風が吹き、額にしっとり張り付いた汗が渇いていく。街の小高い建物の屋上で帰りを待っていたナギは、ステラと共にやってきた女性ラズベリ・ジャーニーを指さして叫んだ。

「誰って、一緒に探してくれるって言うから連れてきたんだよ。ほら、冒険者ギルドに居た人」

「ギルドに……?」

「な、なんですのじろじろ見て……ほら、受付で一度お会いしたでしょう? ラズベリ・ジャーニーですわ」

 ラズベリはギルドの制服をそのままに、両腕にはゴツゴツとした白銀の拳具ガントレットを嵌め、さながら『メイドグラップラー』の様相を呈していた。一目見ただけでは、先程出会った受付嬢だとは気付き難いだろう。ナギはその姿をじっくり見ては遠ざかって、ようやく理解した。

「あ、ああ! その節はどうも……うちのステラがとんだご迷惑を」

「ちょっと~! 僕がなんかやらかしたみたいじゃん」

「ふふ。ヘンな人は慣れっこですから気にしていませんわよ。それよりも、街中を走り回った成果を聞かせてもらえますか、ステラさん」

 板についた口調に負けず、ラズベリは気品に溢れた仕草で手を向ける。それに勿論だと言わんばかりに、ステラは腕を組んで答えた。

「あの大渓谷だ。街中で一部の人間がその方角に集まっていくのを見たんだ。そして集まった奴のほとんどが武器を持ってたのも確認した。あんなところ、誰も寄り付かないはずなのにね」

 至って自信満々にステラは言い切った。つまりは、音速を陵駕する超スピードで、街中の人間の持ち物までも全て確認してみせたというのだ。


「本当にあの短時間で街を見て回ったのですか……? にわかに信じられませんわね。でも不審な人物が居たというのならそれは頼りになる情報ですわ」

「やっぱり、スーラント君本人は見かけなかったんですか……」

「うん。少なくとも屋外には居なかったね。だけど」

「あなた、ギルドのガイドブックはお読みでは無くって? ギルドは仕組み上、街の警察とも連携してクエストを処理しておりますわ。雑魚モンスター退治からヒト犯罪の対処まで、治安維持はある程度警察が担っておりますの」

 ラズベリが流暢に、暗記していたガイドブックの内容をかいつまんで説明する。それは世界共通のギルドシステムだが、しかし今回の場合、迷子のスーラントは街に居ない可能性が高い。

 ステラはそれならば、と街の外れにある巨大な岩壁を見遣った。

「じゃあ街は警察に任せるとして……最後に残ったのはやっぱり大渓谷だね。当初の予定通りあの場所を先に調べよう。迷子のスーラント君も、ラズベリが言っていたカルティアナ君もあそこに居る可能性がある」

「相当自信満々ですけど何か策があるんですの? あそこは狂暴なマインパンサーの巣窟があるのですわよ。しかもさっき自分で『武器を持った人間が集まっている』と言っていましたわよね」

 ラズベリが疑いにも似た眼差しを向けた。それは受付嬢の時とは違い、仲間として二人を心配しての表情だ。

「大丈夫さ。なんたって俺達は最速の魔術師ステラ・テオドーシスと……ほら、ナギ!」

「えっ! あぁ、もう……! ちょ、調速の魔術師ナギ・トルーサーです!」

 かあっ、とはずかしがった小さな魔術師は、顔だけを俯かせて決めポーズを取る。親指を自身に向けて仁王立ちをするステラに比べて、ナギのは戒杖を両手に抱えただけの控え目なポージングだ。

「な、なにをしているんですの。それは……?」

「名乗りだよ。冒険者はイメージ商売だからね、どんどん名前を言っておかないと忘れられちゃうからさ」

「はぁ、僕はそんなつもりなんてないのに……」

 自信満々に答えるステラだが、相棒との温度差は歴然である。全て彼の自己満足だということは一目にして明らかだったが、実際のところ冒険者の内情についてあまり知らないラズベリにとっては、勘違いをしてしまうほどに刺激的な光景だったのだ。

『な、なるほど……冒険者ってそういう感じですのね!』




「どうしたんだよ。外なんか眺めて」

 胸にサラシを巻き、その上に黒のスーツを羽織った、ガタイの良い黒の長髪の女が、同じくスーツを着たぼさぼさ頭の男に声を掛ける。しかし、男は問いを投げても外をぼうっと眺めてばかりだったので、女は続けて尋ねた。

「なぁ、もうすぐガキを移動させる時間だぜ。早く動かねえと。

「あぁ! すまん。どうも風が吹いていたもんでな……」

「風?」

 男が眺める先は、都市クレルモンの中心街。その外郭から中心まで、あますことなく超高速で駆け巡る何者かが居た。街の人々は突風が吹いた、いたずら好きなモンスターが現れた、テロリストの仕業だと口々に無責任な噂を立てていたが、それにより怪我をする者などは誰一人いなかったという。

「あぁ、相変わらずの優しい風だ……」

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