⑭ 領主・オルレイン子爵


 黒塗りの馬車が石畳を進む。カッポカッポと小気味のいい馬蹄ばていの音に耳を傾けていると、やがて馬車は領主様の屋敷の玄関口に横づけされた。


「どうぞ」


 御者ぎょしゃが扉を開ける。俺が降り立つと、一人の男が屋敷の門から姿を現した。


「ようこそおいでくださった、エリック殿」


 にこやかに近づいてきたのは高身長でやせ型の美男子だった。洋画に出てくる二枚目俳優っぽい感じだ。年齢は十代後半から二十代前半くらいだろう。


「お久しぶりです、オルレイン様」

「この度は急な仕事の依頼に応じていただき、感謝する」


 そう言うと、オルレイン子爵は右手を差し出してきた。ただの村人である俺に対しても丁寧な口調で話してくるので好感が持てる。


 元の世界と違い、厳しい身分制度のあるこの国で、くらいが上の者が下の者をわざわざ出迎えてくれたんだ。下々の者にも丁寧な対応ができるって、よほどの人格者なのだろう。


「いえ、感謝などとんでもないです。いつでもお声がけください。なにをおいてもすぐに駆けつけますから」

「それは頼もしいかぎりだ」


 社交辞令を並べながら、右手に持っていた槍を左手に持ち替え握手する。


「では、着いて早々に申し訳ないが、仕事の説明をしたい。屋敷へ入ってくれ」

「はい」


 俺はオルレイン子爵に導かれて玄関の扉をくぐった。


 屋敷内はシャンデリアの灯りで満たされていた。しかも、とてもいい匂いがする。シャンデリアに使われているのはミツバチの巣から作られた蜜蠟みつろうだな。獣脂蠟じゅうしろうと違って高価だから、俺たち庶民には手が出ない代物だ。


 いいなぁ。俺もいつか、こんな豪華な屋敷に住みたいよ。


「こっちだ。君の仕事場へ案内する」


 俺が天井を仰いでいると、右手にロウソクを持ったオルレイン子爵がついてくるように促してきた。急いで後を追う。


 長い通路を歩いていると、オルレイン子爵が話しかけてきた。


「そういえば、君のうわさを小耳に挟んだよ」

「うわさ?」

「エルキナの領主様が手を焼いていた盗賊たちを捕らえたそうじゃないか。お手柄だったな」


 もうオルレイン子爵にまで知れ渡ってんの? うわさが広まるの早いな。


「いや~、たいしたことをしたつもりはないんですけどね」

「ふっ。謙遜は、過ぎると美徳ではなく嫌味というものだ」


 オルレイン子爵が微笑む。それを見て俺はグッと息を呑んだ。その美しい顔に、瞳に、どこか昆虫めいた、無機質で冷徹な光が宿っているような気がしたからだ。




◆ ◇ ◆




「ここが君の仕事場だ」


 俺はオルレイン子爵に案内され、屋敷の裏口を出て倉庫へ連れてこられた。農具をはじめとした雑多なものが置かれている。


 オルレイン子爵は倉庫内に設置されたランプに火を灯すと、奥に歩を進めた。並べられた木樽きだるの前で足を止める。


 だいぶデカいタルだな。ドラム缶くらいの大きさか? そんなものがいくつもある。


「あのー、俺はここで何をすればいいんです?」

「ふっ、簡単なことだよ。君は……

「はい?」


 仕事をさせるために俺を呼んだんだよな? だってのに、なにもしなくていいってのはどういうことなんだ?


 おかしな発言に困惑しつつ、横に目を向ける。


「っ!?」


 瞬間、俺は戦慄した。オルレイン子爵が、表情の抜け落ちた顔でこちらを見ていた。その右拳を大きく振りかぶっている。


 攻撃される、と直感して側転する。俺の体が、いくつかのタルをなぎ倒した。


「ちっ、避けてんじゃねぇよ! じっとしていろよな!」

「な、なにを言ってるんですか!?」


 口調が変わってる! いきなり殴りかかってくるし、一体どうしてしまったんだ!?


 突如として豹変したオルレイン子爵に、俺の頭がこんがらがる。


「大事な生贄に、あまり傷をつけたくねぇんだ。おとなしく寝てろや!」

「くっ!」


 ふたたび攻撃してきたので横へ飛ぶ。またいくつかのタルを巻き込んでしまった。それらはボーリングのピンのようにガラガラと音を立てて転がる。


 そのうちの一つは衝撃でフタが外れ、中身があらわになった。ロウソクの淡い光が、闇にその輪郭を浮き上がらせる。


「………………え?」


 俺の目が捉えたものを、脳が理解できるまで時間がかかった。まったく思いがけないものだったからだ。


「な、なんで……?」


 そこには、手足を縄で拘束され、猿ぐつわをかまされたがいたのだ。







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