第9話 悪虐非道な制裁




 地下室の陰からカサカサと現れたのは、大量の蟲たちだった。

 羽音や小気味悪い足音が聞こえるために、ノーマンの表情がこれまで以上に強張ったものになったのが確認できる。


 この蟲たちは、自然発生したのもではない。

 明確な理由があって、この場所に現れたのだ。


「……んんっ⁉︎」


「あら、こんなに集まったの……予想以上に大量ね」





 ──そう、この蟲たちは、私が制裁のために用意した。



 魔法陣によって、蟲の大群を各地から呼び寄せた。

 その数は、目視では、数えることができないくらいに多い。

 地下室の暗がりで蠢くそれは、一つの真っ黒い生き物のようにウネウネと動いていた。


 羽虫、昆虫、芋虫、蜘蛛などなど。

 小さなものから大きなものまで、その種類は様々。

 それらの集団をノーマンの目に焼き付けた後に、私は何食わぬ顔で、尋ねる。

 

「……あれ、どうしたの? そんなに怯えて」


 私が冷たい声を発すると、ノーマンは、全力で首を横に振る。


「んんんっ〜!」


 助けてほしい……そう言いたいのだろう。

 でも、もう手遅れなのだ。

 この男は罪を犯しすぎた。

 不当な奴隷契約を結ばせ、多くの人生を狂わせた代償は、これでも足りないくらいだ。




 ……だから、私は、ノーマンの顎をクイッと持ち上げて、邪悪に微笑む。



「いいじゃない。散々楽しい思いをしてきたんだから。他者の尊厳を踏み躙って、威張り散らかすことは、さぞ気持ち良かったことでしょう。分かるわ……そういう屑を私は何人も裁いてきたもの」


 この手の人種が改心したことなど、私は見たことがない。

 一度許してしまえば、同じことを繰り返すだけ。

 だから、徹底的に制裁を下す必要があるのだ。


「貴方のような『上級国民』が絶望する姿が……私は大好きなの」


「ンガッ……ンンヴ……!」


 二度と再起することができないくらいに──ぐちゃぐちゃに心を壊してやろう。



 ノーマンは、腕を失ったショックを忘れているかのように蟲たちから離れようと必死にもがく。

 だが、私の魔法から抜け出すことができず、無意味に身体を動かしているだけであった。



「んんっ〜…………!」


「ごめんなさいね。騒いでも助けてあげられないわ」


 もし私が清い心を持った聖女であったら。

 彼のことを可哀想に感じて、この残虐な仕打ちを取り止める可能性があったかもしれない。

 あらゆる言葉に耳を傾けて、ノーマンのことを信じる。

 彼が心を入れ替え、恵まれない者たちのために、その身を粉にして懸命に努力することを願うかもしれない。

 

 ──きっと、それが理想的な聖女の姿勢だ。







 ……でも、残念だわ。




 ──生憎、私は優しい聖女様じゃないの。



 世界のために頑張れば、その頑張りが認められるはず。

 正しいことをすれば、必ず報われる。

 直向きな姿勢を貫き通し、未来に希望を持ち続ける。




 ──そんな風に純真だった頃の私は、もう死んだ。



 世界はどこまでも闇深く、理不尽なことばかりが目先に広がっている。

 私は、それを痛いほどに理解した。

 身をもって。

 身を削って。

 心を失って……。




 だから私は、その理不尽を打ち砕くために、己の理不尽を振りかざす。

 それが人道に反する行いだったとしても、私なりの正義がそこにあるのなら、躊躇はしない。


「小さな生き物は、単体だと可愛らしく、とても非力。けれども、寄り集まることで、強者をも倒しうる恐ろしい力を得る」


 ノーマンが虐げてきた奴隷たちは弱き存在だ。

 けれども、弱き存在が、弱いままで終わるとは限らない。

 この蟲たちも、単体では指で潰せてしまうほどに脆い。

 けれども、この数が一斉に襲い掛かればどうだろうか。


 ノーマンは、これら全ての蟲を一匹残さずに、潰せるだろうか。

 


 ……答えは不可能だ。




 彼には、どうすることもできないだろう。

 ただ、抵抗もできないまま、肉を貪り食われ続ける。

 弱者が強者に勝つ世界の完成だ。

 いかなる強者であろうとも、数の暴力の前には、屈するしかない。


 それが、この世界の真理だ。



「この蟲たちには、私が特別な魔法を掛けたのよ。どういう魔法だと思う?」


「んっ……んんぅ〜!」


「あら、ごめんなさい。貴方が喋れないのを忘れていたわ」


 ノーマンの恐怖を煽るように、蟲たちを少しずつノーマンの方へと動かす。


「正解は、心の汚れた人間を殺したくなる魔法よ」


「────っ!」


「良かったわね。貴方の心が汚れていなければ、無条件で助かるはずだわ」


 私は、ニコリと満面の笑みを浮かべる。

 彼に助かるという可能性はない。

 屑であることは確実。

 だから、この言葉に慈悲の意味合いは、一切込められていない。


 彼への嘲笑と侮蔑の意味を込めたものだ。


「じゃあ、貴方の心が汚れていないことを祈っているわ」


「────っ!」


 パチンと指を鳴らすと、ノーマンとの距離をジリジリ縮めていた蟲たちが、一気にスピードを上げ、彼の身体中に纏わりついた。


 地を這う蟲。

 羽音を立てて飛んでくる蟲。

 脚力を活かして、飛び跳ねる蟲。

 それらの全てが、ノーマンに襲い掛かる。


「ふぅうぅぅんっんんっ………!」


 蟲同士がカチャカチャとぶつかり合う音が、部屋に響く。

 彼の悲鳴は、その蟲たちの立てる無数の物音によって掻き消された。

 今頃、彼は蟲たちによって身体中を貪り食われているはずだ。

 蟲に覆われ過ぎていて、彼が貪られている箇所を見ることはできないが、虫を纏った大きな物体が左右に大きく揺れているのを見て、私は悦楽に浸った。


「ああ、残念。貴方の心は汚かったのね……」


 小さな傷が、短時間に、大量に付けられる。

 痛みが永遠に続く、地獄のような状況。

 どんなに嘆いても終わりは来ない。




 ──だからこそ、これは蟲地獄と呼べる。



 

 ノーマンへの制裁に相応しいものだ。

 彼は、苦しみ、暴れるが、纏わりつく蟲がその身から剥がれることはない。

 身体を揺すって、数匹を振り落とそうとも、後続がそれ以上の勢いで彼の周囲を取り囲む。

 そして、容赦なく肉を食い千切る。


「ぐぅっ……んんっ……がぁ……!」


 彼はきっと、死にたくないと言いたいはずだ。

 痛みを感じるごとに、自分の命が削られているのではないかという気持ちになる。


「痛いの……?」


「んんぅ〜、ゔっ……!」


 けれども、彼の考えは甘いと言わざるを得ない。

 痛みを感じたから、自分は死ぬ?

 そんな単純に、制裁が終わるわけがない。

 

 ──最初に私は言った。


 殺しと制裁は別物である、と。

 ノーマンは生きたがっている。

 惨めな姿になりながらも、懸命に生きようとしている。



 だからこそ……今から私は、彼が望む真実を告げてあげるのだ。

 



 




 ──貴方は、生き続ける。

 そして、制裁を受け続けるのだと。

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