05.余程奇特な人だわ

「まだ目を覚まさないのか?」

「ああ。とりあえず処置は済んだし、このまま馬車に乗せてランディスに連れて帰るつもりだ」

「そうか。キアリカが起きたら、謝っておいてくれ。本気になり過ぎて、寸止めできなかったんだ」

「わかってるよ。もしキアリカが勝ってたら、お前に怪我をさせてただろうしな。気にすんな」


 扉の向こう側でする声に、キアリカはそっと目を開けた。


 ……負けたのね……。


 左腕が添え木と共に包帯でグルグルに巻かれている。この痛みは、恐らく骨折しているのだろう。

 しかしそんな痛みよりも、負けた悔しさの方が遥かに大きかった。


 きっと、皆の期待を裏切っちゃったわね……申し訳ないわ……。


 じわりと込み上げる涙。

 力の及ばなかった自分が悔しくて情けない。


「おっと、気付いてたのか」


 部屋に入って来たシェスカルが、キアリカの目の端に溜まったものを見て片眉を下げた。


「あいつ、謝ってたぜ。呼んできてやろうか?」

「いえ、いいです。私はなにも言うことはありませんから」

「……そうか」


 キアリカは折れた左手を庇いながら、ベッドから身を起こした。そしてシェスカルに深く頭を下げる。


「シェスカル様、優勝できず申し訳ありませんでした」

「やめろ、キアリカ。お前はよくやった。お前の覚悟の剣は……見事だった」

「……っ、ありがとう、ございます……」

「帰るぞ。準優勝でも十分立派な結果だ。凱旋といこうぜ」


 キアリカとシェスカルがランディスの街に帰ると、その報はすでに街に行き渡っていたらしく、夜だというのにたくさんの人が出迎えてくれた。

 やはりキアリカを批判する者も一部いたが、大部分は賛辞の言葉を投げ掛けてくれた。

 優勝できなかった申し訳なさはあったが、それでも頑張ったことを認めてもらえたようで、キアリカの胸は少し温かくなった。


「キアリカ、お前怪我が治るまではしばらく休め。隊長代理はリカルドに頼んでおくから」


 翌朝出勤すると、シェスカルにそんな風に言われた。ならば前日に言っておいてもらいたいと少し口を尖らせた。

 痛みを押して出てきたキアリカは、言われるがまま家へと帰った。しかし家に帰ってもやることがない。ごろごろしていても暇だ。


「ちょっとキアリカ。暇なら夕飯でも作っておいてちょうだい」

「ええー?」


 惰眠を貪っていると、母親に声を掛けられてしまった。やることがないと言っても、面倒なことはやりたくないというのが本心だ。


「嫌よ、夕食を作るなんて」

「なに言ってるの。普段は忙しいんだから、花嫁修業する絶好のチャンスじゃないの!」

「花嫁修業って……行く当てもないのに、する必要ないでしょう」

「はぁ……リックくんと付き合ってた頃は、あなたも頑張ってたのにねぇ……」

「お母さん、リックさんの名前は出さないで」

「はいはい」


 大きな溜息を吐かれてムッとする。

 キアリカも昔はよく家事を手伝っていた。いつか来るであろう、リックバルドとの結婚に備えて。

 しかし、結局一緒になることなどなかった。最近はようやくリックバルドを忘れつつあるが、彼のような人と付き合うことは今後ないだろうと思う。

 周りの男がキアリカを見る目は、畏怖であったり侮蔑であったりすることが多く、キアリカにしてもそんな男共は願い下げだった。

 自騎士の男たちは尊敬してくれる者たちが多くいるものの、どうにも頼りなく見えて付き合う対象にはならない。


「もういいのよ、私。一人で生きられる女だもの」

「キアリカ、焦るのは今しかないのよっ! 自分から積極的に動かないと、良縁なんてこないんだからっ! 女は三十過ぎたら、相手になんてして貰えないんですからねっ」


 積極的。ゾッとする言葉だ。

 ランディスでは結構な有名人であるキアリカが、必死に婿を探す。きっと町中の噂になるに違いない。キアリカは変なプライドを持っているので、そんなことをするくらいなら独り身の方が余程マシだった。


「ほら、キアリカ! 折角美人に産んであげたんだから、ナンパでもされてらっしゃい!」

「え、ちょっと嫌よ。私怪我人なんだから、家で大人しくしておかないと……」

「なに言ってるの、ピンピンしてるじゃない。ほら、ナンパされてこないと、今日の晩御飯は抜きですからねっ」

「そ、そんな……」


 キアリカは母親に背中を押されて、家を追い出されてしまった。

 一応なんとか財布は持ち出せたので、夕飯はどこかで食べて帰るしかあるまい。


「もう……私がナンパされるわけないじゃない……」


 まだお昼を過ぎたところで、晩御飯を食べに行くには早過ぎる。どうやって時間を潰そうかと、憩いの広場の噴水前で腰を下ろした。

 平日なので人は少ないが、何組かのカップルが見受けられる。皆仲睦まじく寄り添い、語り合っていた。


 ……いいな。

 私も昔はリックさんと……


 そこまで思い浮かべて、ブンブンと首を振った。

 もう過去のことだ。今さら思い出しても虚しいだけである。

 深い息を吐き出しそうになっていると、『強勇の美麗姫だ』という男達の声が周りから聞こえてきた。が、遠巻きに見ているだけで声を掛けてくる様子はない。

 心の中で根性なしと毒付き、キアリカは空を見上げた。

 すると空を飛ぶ鳥さえも番いで駆け回っているではないか。もう見るべきところがない。


「もー、どいつもこいつも……っ!?」


 そう言いながら正面に首を戻したところで、言葉が詰まった。

 なぜか目の前に、赤毛の男が立っている。


「え、ちょ……! エルドレッド殿!?」

「よう、キアリカ」


 エルドレッドに柔らかく微笑まれ、キアリカは少し面食らった。騎士服でない、平服の彼は……どこか雰囲気が違って見える。


「どうしたんですか? こんなところに」

「お前に謝りに来たんだよ。ディノークス邸に行けばキアリカはしばらく休みだって言われるし、家を教えてもらって行ってみたら、この辺でナンパ待ちしてるはずだってお前の母親が言ってた」

「も、もう、お母さんったら……っ」


 キアリカの顔がカァーッと赤くなる。馬鹿なことを言うのは本当にやめて欲しい。


「で? 収穫はあったのか?」

「収穫って……あるわけないでしょう。私なんかに声を掛ける男なんて、余程奇特な人だわ」

「へぇ、じゃあ俺は奇特なんだな」

「エルドレッド殿は、私に用があっただけでしょう?」

「まぁな。でも気が変わった。ナンパしてみよう」


 目の前でニコニコとそう言われ、キアリカは呆れて息を吐き出した。


「同情しなくていいですよ。別にナンパされないのは慣れてますから」

「別に、同情じゃないんだけどな」

「それに私、ナンパをし慣れているような軽い男の人はお断りです」

「したことなんてないぞ。シェスじゃあるまいし」


 エルドレッドは心外だとでも言いたそうに腕を組んでいる。確かにエルドレッドにはシェスカルのような軽薄さは見当たらない。

 帝都騎士団は規律に厳しいところらしいし、ナンパなどという行為も禁止されているのかもしれなかった。


「まぁ、ナンパはなしにしても、ちょっと俺に付き合ってくれ。怪我が治るまで、仕事はないんだろ?」

「そうですけど……どこに行くんですか?」

「帝都」

「え!? どうして……」

「暇潰しに付き合ってやろうと思ってな。怪我させた詫びも兼ねて」

「でも、エルドレッド殿は仕事があるんじゃ……?!」

「有給を使えるだけ使ってやるよ。届けを出してこないといけないから、とりあえず帝都に一緒に来てくれ」


 そう言って強引に連れ出される。

 彼の手は、ちょっとやそっとじゃ振りほどけそうにない。


「ちょっと、エルドレッド殿……っ」

「その、『殿』っていうのやめてくれないか? エルドでいい、エルドで」

「え……エルド、さん?」

「ああ。俺もキアって呼んでいいか?」


『キア』……それは、昔恋人だったリックバルドだけが呼んでいた愛称だ。


「ダメか?」

「別に……いいですけど……」


 キアリカはなぜか、エルドレッドがその愛称で呼ぶことを許可してしまった。

 彼は嬉しそうな顔をして笑っている。


「行こう、キア」


 そうやって引っ張られる手に、キアリカはもう抵抗していなかった。

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