鳰下町ミュージアム-13 これは、君が「虚無」である話だ。

※鳰下町ミュージアム12より続く回です。


この幕間は、無意味である。


—————————————————————————————————————


 天とエイダへの忠告は終わった。これで俺のするべきことは、今目の前にいる異能力者を対処することだけだ。


「無意味だよ、君のご友人に注意を促したところで、私が君を取り込んでしまう」


 真っ白なライトに切り替えられたホールで、大場はこちらを見ながら悠々と歩いている。


「取り込むって?」

「言葉通り。君の持つ肉体を頂くという意味だよ」


 途端、身体に全く力が入らなくなり俺は崩れ落ちた。床を舐める体勢で顔を上げることさえままならない。

 大場は先ほど、「リバース・ウォッチング」と叫んだ後突然襲い掛かってきたのだった。その攻撃を何度か喰らってしまい、身体のあちこちが痛んでしまっていた。途中、彼は自分から己が怪異であると明かし、ミュージアムに起こっている現象と解除する方法をも口にしたのだ。


「流天の剣女、十三番目の鏡魔、そして近衛槙——この中で誰が一番落としやすいか。言わずともわかるとも」

「……もく、的は」

「推理したまえ。その慧眼で。そんな暇も与えないがね」


 大場に髪を引っ張られて顔を突き合わす。


「私は、『虚無』の怪異」

「……さっきも聞きました」

「ああ、では自分の身に何が起きたかは、説明するまでもないね」


 確かに身体は全くと言っていいほど動かないが思考は回せる。虚無……その名が意味する能力は、この状況から察するに、「触れたものの機能を無にする」ことだろう。


「……教義的な虚無って、そう言うことじゃないと思うんですけど……」


 喉もまともに機能しない。こひゅー、と渇いた息が漏れ出る。

 大場は部屋中の展示品を見渡しながら納得するように頷いた。


「確かに言う通りだね。人間の尺度からすれば、『虚無』とは極地という意味合いで使われることもある。しかし我々は人では無いからね。一度思ったことは変えられない。私たちは、自分で解釈した己の存在価値を、易々と変えられない。だからこそ——」


 男は手を離す。同時に俺は重力のままに地面に叩きつけられ、軽い脳震盪を起こした。その様子を見下ろしながら大場は淡々と答えた。


「我々怪異には、意味がない。人無くして存在しえない私たちは、人間の真似さえできない。つまり、虚無だ。その名をそのまま冠してしまった私が君の相手をすることになるなんて妙な巡り合わせもあったものだ」

「……どういう、ことです?」


 奴の口ぶりから察するに、天たちにも同様に怪異が襲い掛かっている。そして三人の中で戦う力を持っていない俺は確かに恰好の餌食だろう。だが。


 「妙な巡り合わせ」——この言葉には全く違う思惑が含まれているのは明白だった。


「……何が妙なんですか? とても気持ちの悪い言い方でしたけど」

「ああ」


 俺の両目に、大場は親指を重ねようとした。潰される。想像してしまった痛みに身構えるも、その指は顔の輪郭をなぞるばかりだった。


「私と君は似た者同士、だからだ」

「……は?」

「私も君も、殻でしかない。その目、口、耳……それが自分のものであると勘違いしているだけの、希薄なお化けということさ」


 ……その言葉の意味を、すぐには理解できない。

 俺が希薄? 何をもってそう言うのか。

 反論しようとするも……喉は完全に機能を失ってしまっていた。


「だから君を取り込むのは容易いと言ったんだ。別に、ただの人間で戦う力も有していないからというわけではない。人間として……そして怪異として。君の在り方は『入れ物』でしかないということさ。誰が入っても問題なく稼働するように、ね?」


 俺の頭が力強く握りしめられる。男の手の骨の硬さが直に伝わるほどに痛みが走っていく。


「さて、これで早抜けだ。話に聞く器——試させてもらおう」


 そして。目、口、耳から黒い霧が入り込んでいく。意識が朦朧とし、意識も黒く染められていく。


 ただ、黒い。今までの在り方が上塗りされるかのように書き換えられていく。

 黒、黒、黒、虚無、無意味……。

 今起こっている現象しか見えず、何も考えラレナイ。

 それでも、何もかもが持っていかれないように、必死に自分の名前を呟いた。

 俺は、近衛槙、近衛まキ、近え槙、このえ……


 ——————


—————————————————————————————————————


 近衛槙は眠りについた。

 しかし、身体は起き上がっている。彼の身体に纏わりついていた霧は数秒足らずで吐き出され、大場の姿へ戻っていたのだった。


「はあっ!? はあ、はあ……」


 大場は酷く憔悴している。額に脂汗を浮かべ、震える四つ足で近衛槙——否、その内側から這い出たナニカを見据えていた。


「まだ、目覚めていないはずの貴様がなぜ!?」


 ナニカは、ナニモ発さない。


「……くそ、そうか。私がきっかけか。私が入り込んだことで、起きたか」


 虚無の怪異は嘲る。


「無意味、無意味……我らは無意味。どれほど抗ったところで、切っ掛け一つで霧散する……これはどうやっても、我らは失敗するな」


 男の身体は砂が落ちるように零れだし、立ち上がることもしなかった。


「あんなモノ……食えるはずが、無かろうよ……」


 そして、消えゆく。

 残されたのは一人。黒よりも暗く、白よりもくらむ、真っすぐに研ぎ澄まされた刃であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る