近衛と瑠璃、遊園地へ行く。
遊園地の入り口の前、手帳をぺらぺらと捲りながら俺は立っていた。肌寒い季節、外に出るのにも若干抵抗のある日だったがその分、園に入っていく客の数は少ない。園からすれば天候のせいで商売あがったりといったところだろうが、スタッフたちの顔に疲れは見えない。全員のびのびと接客をしているので、たまにはこんな日もあっていいのだろう。
そう観察しながらじっとしていると、
「———お、お待たせ……! しましたー……!」
控えめな大声で呼びかける少女が、タタタと駆け寄ってきたのだった。
「瑠璃ちゃん。全然待ってな、い、け、どー……」
まず顔を見た。そして次に衣服と、靴と、徐々に目が滑っていく。
普段は着物姿の佐々木瑠璃だが、今日は一段と現代風だった。フワフワのニット帽、フカフカのロングコート。ぷわぷわのブーツ。実に女の子らしいファッションに身を包んだ少女が、そこに立っていた。
「……その……」
瑠璃は目を逸らしながらもじもじとしていた。考えていることはわかる。十中八九、
「似合う……かな……?」
といったところだろう。
「あのね……」
俺は僅かに下がり、彼女の全体の姿を視野に収めた。瑠璃は帽子の上にはてなマークを浮かべていそうな顔のまま頬を赤らめ、じっとこちらを見ている。そして数秒足らず、俺は溜めに溜めて返した。
「信じられないくらいにっ———似合ってる」
親指を上げ、嘆息した。
「そっか……に、似合うんだね……うれしいな、なんだか!」
言葉を選ぶように瑠璃は言った。ニコリと口角を上げた彼女はとても怪異とは呼べず、どう見ても人間の子どもが見せるようなはにかみだった。
そして俺たちは、遊園地の中へと入っていった。
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「遊園地に行きたい?」
「う、うん……!」
先日の事務所でのこと。エイダが突然思いついたかのように佐々木瑠璃と入れ替わり、俺と向い合せになるようにソファに座り込んでいた。レポートの途中だったが手を止め、瑠璃の話を聞いてみることにした。
「私、生きてた頃は外で遊ぶことほとんど無かったから」
「ああー……」
彼女がどんな人生を歩んできたか。その全容を俺は知ることは無かったが、自由に出入りできる環境でなかったのは明らかだった。だから死後、自由に動ける身体になった今、色々な場所に行ってみたいと思うようになるのも当然だろう。前もどこかに行きたいと言っていた気がする。
「全然いいじゃないか。楽しんでおいでよ」
「あ……うん、それはそうなんだけど」
煮え切らない返答だった。瑠璃はあわふたと周りを見て、どこか助けを求めているようだった。何をしているのかわからず眺めていると。
「もールリぴょんってば恥ずかしがり屋なんだから! じゃあ代わりにワタシが言ってあげる! この子はねー……」
「あああー! 待って待って待ってぇ!」
エイダに変わって、瑠璃に戻った。随分と慌ただしい一人芝居を見せられた気になったが、深呼吸をしている瑠璃を見てちゃんと話を聞いてあげようと思い直した。
「その! あのね! お兄ちゃん、私、ね……」
俺は待つ。しかし彼女の口は震え、段々と涙目になってきた。
「……瑠璃ちゃん?」
「あの……その……」
それを見かねたのか、突然瑠璃の隣に天が座り、ゆっくりと背を撫で始めた。
「大丈夫……大丈夫……何も怖くない……怖くないよ……」
「う、うん。その……」
天が鋭い視線を俺に向ける。絶対に変なこと口走るなよ、と目で忠告されているようだった。
言う通りに待っていると瑠璃は息を呑み、そして立ち上がった。
「お兄ちゃんと一緒に! 遊園地に、行きたい!……です」
部屋に声が反響する。瀬古さんがちょうどこの場にいなくてよかった。絶対あの人なら口を挟んでくるところだったろう。
それはそれとして俺は、
「……いいよ?」
と頷いた。
「———!」
瑠璃は、ぱあ……! と顔を明るくし、天の手を掴んでぴょんぴょんと跳ね始めた。腕をぶんぶんとされるがままだった天だが、慈しむように
「良かったね、良かったね」
と繰り返していた。
お母さんか何かだろうか。
そんなわけで、俺は瑠璃と遊園地に行くことになったわけである。
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ゲートを通過し、ほんの少し寂しい遊園地へと足を踏み入れていく。人間で無く怪異である佐々木瑠璃はなんなく小学生料金で入場し、初めて見るアトラクションの数々に目を輝かせていた。
「え、え、すごい、すごーい!」
瑠璃は無邪気に駆けだす。再会したときは大人し目になっていた彼女だったが、こうもはしゃいでいる姿を見ると、根っこの子供らしさはまだまだ消えてはいないらしい。懐かしさを覚えつつ、俺は少女を追っていった。
「あれがジェットコースターで、あれが、あれが……わー……!」
目に見えるもの全てに興味を示している。クルクルと回りながら走っている様子を見ると、もう散歩するだけで一日潰せてしまいそうな気もする。
そんなハチャメチャ元気な瑠璃だったが、俺と目が合った時思い出したかのように固まり、恥ずかしそうにその場に立ち尽くしたのだった。その微笑ましさに俺は笑顔で返した。
「遊園地、そんなに楽しみだったんだな」
「……うん」
小さく首を振る少女は、しかし口をほころばせるのも止められないようだった。
「凄いオシャレだし……それは、エイダあたりに選んでもらったのか?」
「……私はいつもの服でいいって言ったんだけど、エイダちゃんがすごく盛り上がっちゃって……」
いつもの瑠璃の服。それは和服。これで遊園地を歩くのも目立ちすぎてしまっただろうからエイダには感謝だ。
「その、お屋敷でいっぱい綺麗なのを着せてもらって……そしたら他のみんなも参加してきて、ちょっとだけ大変なことに……」
「みんなって、エイダの中の怪異?」
「うん」
想像にし難いが、一つの身体がしっちゃかめっちゃかに着せ替えされる様子はとても忙しそうに思えた。さらにエイダの家ということは、これまたお高いお召し物で溢れかえっていたのだろう。
「結局雑誌を買ってもらって、いいなーって思ったのを」
「……ほう」
つまりこの服装は紛れもなく瑠璃が選んだということになる。なるほど。
「良い……センスだ」
「あ、ありがとう……?」
首を傾げながらも瑠璃ははにかんだ。
仮にエイダのプロデュースだとしたら(多分)目立つどころでない悪目立ちになってしまいそうだった。他の怪異も素性は知らないが、俺が見た「綿喰いキューマ」の性格から察するに、恐らく現代人らしい感性を持っている者は少ないだろう。でも彼らの中でも、今を生きようとしている佐々木瑠璃だけが、俺たちと同じ感性を手に出来ていると言える。俺から見ても瑠璃は普通の女の子だ。少しだけ背伸びしようと頑張っている、育ち盛りの子供だ。彼女自体も自分を死人と思わず、生きている人間としてこれからを歩もうとしているのだから。
コーヒーカップ。巨大なコーヒーカップに乗り込み、回り、回して、猶更廻すという愉快な乗り物……もとい、コーヒーカップである。
まずは簡単なものにと思って乗ってみたが人足が無い。今日自体、天気も曇りで肌寒く外で遊ぶような日ではなかったのもあり、今こうしてぐるぐると円を描いているのは俺たち二人しかいないという状況である。
「わぁ……ずっと回ってるのに、まだ回せるんだ……!」
「そうだね、全然回せる」
瑠璃が背を正して座る向かい側で俺は中央のハンドルを回し続けていた。
「もっと、回そうか……!?」
「え!?」
少しだけ腕に力を入れると回転速度も増した。その勢いにつられて瑠璃は「わわっ」と驚いた顔をする。夢中で回している最中で彼女の変化を見ていると、段々と笑顔に変わっていくのがわかった。
「ちょっとお兄ちゃん早すぎっ……ふふ、あはは!」
カップの縁を掴みつつも瑠璃は笑いだす。ぐるりぐるりと風景は流れ、空気の音でファンシーな音楽も切れ切れになる。それでも間近にいる少女の声だけは明瞭で、はっきりと耳に届いていたのだった。他に誰もいないアトラクションだけれど、逆によかったかもしれない。まるで貸し切りにしているみたいで、このカップも瑠璃一人のためだけに踊っているように思えたのだ。
「あわっ」「危ない!」
カップから降りると、瑠璃は少しだけ足を滑らせた。咄嗟に肩を支え、ゆっくりと立ち上がらせる。すると瑠璃は頭を上げた。
「……ありがとう」
「うん。少し飛ばしすぎちゃったかな?」
興に乗りすぎてしまったかもしれない。怪異であっても瑠璃の平衡感覚は子どものままだ。コーヒーカップもそこそこのスピードで回してしまったから、若干疲れさせてしまった。
「ごめん」
手を取りながら謝ると、瑠璃は「そんなことない」と小さく返したのだった。
「あ……ほらあそこ」
肩を叩いて指を差す。その先には野外フードコートがあり、案の定客がいないから寂しくはあるものの、その分行列も売り切れも気にせずに色々と買えそうだった。
「何か買って食べよう。瑠璃ちゃんは何が食べたい?」
顔を覗きこんで聞いてみるも少女は何も発さない。僅かに俯くばかりだった。やはり少し、酔ってしまったのだろうか。
「あ……な、なに?」
「うん。あそこで美味しいもの買って、休憩しよっか」
「う、うん」
気を取り直し、瑠璃は手を離して一番にキッチンカーの方へと向かって行った。
瑠璃はタピオカミルクティーを頼んでいた。俺も同じものを注文し、二人で丸テーブルを囲む。
「勢いよく飲んだらタピオカ喉に詰まらせちゃうかもしれないから気を付けて」
「そんなことしないよー」
悪戯っぽく笑うと小さな口がストローを咥える。ゆっくりと容器の水位は減っていき、半透明のストローを黒い玉が通っていくのが見えた。
「……美味しい?」
瑠璃は口を離してごくりと喉を震わせた。そして一言。
「わかんない、なー」
と答えたのだった。
「だよなー」
俺も同調して口をつける。舌に乗っかっていく小さな餅のようなものを噛んでみるも、特別に美味しいとは思えなかった。無味なタピオカにミルクティーで味つけ、といった感じなのだろうけど、これが合っているのかどうかもよくわからない。一時期流行ったとは言うが、まあ、こんなものか、といった具合だ。本家がどれほど美味しいのかはわからないけれども。
それでも物珍しそうに飲み続ける瑠璃に俺は一つ問いかけることにした。
「ずっとエイダと一緒だったってことは、しばらく外国にいたの?」
瑠璃はごくりと飲み込むと「うん」と頷いた。
「というか、あの家から出れたってことだよね? どうやったの?」
「うーん……その時は確か、瀬古さんって人が来てね」
頭を傾げ、言葉をお腹から引っ張り出すように語る。
「吸い込まれたの。あの人お手帳持ってて、その中に」
「手帳?」
「うん。あの中に私だけじゃなくて、もっとたくさんの怪異がいて……女の人が多かったなあ」
「その手帳の中っていうのは、エイダの中にマンションがあるー、っていうのと同じなの?」
瑠璃はしばらく考え、どこか迷いがあるように否定した。
「エイダちゃんの中はまだ明るくて、賑やかだけど……あの手帳の中は、暗かった。私の家みたいに」
「……どういうこと?」
しかし瑠璃は僅かに顔を歪ませ、容器をテーブルに置いた。
「あー……ごめん。なるほどね」
佐々木迷宮を思い出す。あの家はまさに幽霊屋敷で冷え切った空気があったが、それと同等の世界に彼女は閉じ込められたということになる。
それにしても、瀬古さんの手帳の中にも怪異がいるというのも気になる。実際そのようなことは聞いていないし見たことも無い。
「話逸れちゃったね。そこからエイダちゃんの中に移ったってことか」
「うん、そうそう! 全然雰囲気違くてびっくりしちゃった……ずっと暗い部屋にいたと思ったら急にお日様が出てきたんだもん」
エイダの中にお日様がある、というのは妙に納得感があった。エイダ自体エネルギーに満ち溢れているが、それがそのまま体内世界にも反映されているのだろう。心象風景とも呼べそうだ。
「そしたらみんなが……あ、他の怪異の子たちのことね。みんなが一斉に集まってきて、人の子だ、まだ小さいぞ、とか騒ぎだして……あれはちょっと怖かったかな」
まるで取って喰らわんとするばかりの百鬼夜行っぷりだ。キューマとかいうウルサイ怪異の例もある。全員があんな感じとは言えないだろうが、それでも賑やかな環境であるのは容易に想像できる。お祭り騒ぎだろう。
「でもみんな仲良くしてくれてね! こんなに楽しい事あっていいのかなーって思ったり。でもやっぱり、うるさすぎて……」
「そういえばみんなのまとめ役になってる、って前に言ってたね」
「うん……おかげでね……」
大人っぽくなったのは環境のせいでもあるのか……。
「はは……大変そうだ」
「でもでも、やっぱり楽しいよ! お姉さん……というかお母さん、というよりも先生になったって気分で!」
むふふ、とドヤッ、が混ざった自慢げな表情で瑠璃は頬をほころばせた。ふかふかの冬衣装も相まって温かさを感じられる笑顔だった。こんな様子を見ていると、ますます人間の子どもと変わらないように思う。
「よかった。なんやかんやで楽しそうじゃないか。和俊さんにもいい土産話になりそう」
「そうだね。カズトシ……元気にしてるかなー」
和俊さんからは直接彼女を頼まれた身だ。結果としてエイダのお世話になってはいるが、話を聞けばきっと満足してくれることだろう。瑠璃に抱いていた確執のない、心からの笑顔をもって。
「あっちにいるときは遊園地には行かなかったの?」
話を変えると瑠璃は持ち直したタピオカドリンクを一瞬だけ大きく揺らしてしまった。
「……大丈夫?」
「あ……うん、大丈夫! 遊園地……ね!? その、向こうじゃエイダちゃんはお嬢様だったし外に出て遊ぶ機会はあまりなかったかなー……アハハ」
なるほど。そういえばエイダは結構な名家の生まれであることを思い出したのだった。
「俺、海外なんて行ったことないからさ」
「あ、でもでも! 外で遊べなかっただけで色んなものは見れたよ! 町とかー……町とか」
「ふふ、なるほどね」
「えへへ……エイダちゃんの住んでたところだったから、キレイなものでたくさんだったよ。きっとオシャレって、ああいうのを言うんだよね」
「この辺りはみすぼらしい日本のレジャー施設で申し訳なくなっちゃうな」
「そんなことないよ!? ここはここでシンプルイズベストって感じで!」
といっても、英国の高級住宅街の街並みと一般市民が溢れる日本の町では差が出てしまうというものだ。今日の天気を見ながら、そのように思う。
瑠璃の必死な語りを、ドリンクを啜りながら聞いていた。
どんな話題でも彼女は楽しそうで……改めて、あの迷宮でちゃんと話ができてよかったと思えた。
お化け屋敷。遊園地のファンタジーな世界観から一風変わった、おどろおどろしい武家屋敷に俺たちは入っていく。
さて……どれくらい「怖い」と思えるだろうか……。
「う~ら~め~し~や~」
「……」「……」
死角から出てくるゾンビ顔の女幽霊。俺たち二人は無言で立ち止まり、まじまじと観察しながら話し合った。
「……どう?」
「こんな感じで驚かせてくる子、うちにもいるよー」
「言っちゃあれだけど、初めて君と会った時……いややめよう」
「え」
思ったことそのまま口に出るクセもなんとかしなくては。後ろから早足で追いかけてくる瑠璃の「ちょっとー!?」という声を背に受けながら誓った。
「ガガガガガガッガガガガガガガ」
病棟のようなエリアに入ると標本の骸骨が突然震えだした。
「これって……人の骨?」
「……そうだけど、知らないのか?」
じろじろと間近で見ていた瑠璃が大きく頷く。
彼女の置かれていた環境下であったなら教養も身に着けられないのも仕方ないことだ。
「結構、変だね」
「初めて骸骨を見る人の反応を始めて見たよ」
隣に並んでじーっと震え続けるドクロを眺める。
よくよく考えれば、今の瑠璃は、常に他の怪異と同居していて尚且つエイダというお嬢様の中で暮らしている状況だ。それじゃ人間社会の一般常識なんて身に着けようがない。かえっておかしな偏見を持ってしまいそうだ。
以前に瑠璃が、「学校に言ってみたい」と言いかけていたことを思い出す。
「……俺の役目、かな」
「何が?」
「なんでも」
エイダの身体で学校に行くのは難しいかもしれない。でも教えることくらいならできる。怪異、エイダ……彼らでなく、俺に出来ることはそれだろう。ここまで瑠璃に何もしてやれてないと思っていたけれど、やっとできそうなことを見つけられた気がする。
瑠璃が第二の人生を幸せに過ごせるように、俺も自分に出来る限りのことをしようとその場で誓ってみたのだった。
この、おどろおどろしい舞台セットの中で。
「カタカタカタカタカタカタカカタカタ!」
……ジェットコースター。
絶叫するのには耐性があるが、こういう方面は少し抵抗がある。しかし瑠璃は目をキラキラとさせて、「乗りたい乗りたい!」と指を差している。
俺は心の中で祈っていた。瑠璃の背が、基準に届いていませんように。少しだけ背が伸びたという瑠璃だが、まだ早いはずだ。というか普通に危険。ダメだ。きっと。いつの間にか並んでいた行列の中で何度も心の中で祈っていたのだった。
「二名様ですねー! どうぞー!」
「お兄ちゃん早く!」
よっゆうで身長クリアしてるうー……。人も少ないから行列も一瞬でなくなっていくぅー……。
というか確認するまでもなかったな。普通に十cmは上だったな。死ぬな俺。
あー死ぬな。子どもって凄いな、全然怖がってない。死ぬって思わないのかこれ。いやもう死……いや違う生きてるよ瑠璃ちゃんは。ちゃんと生きた人間だから。いやすっげえ笑顔だ。逆に怖いよ俺。多分怪異と鉢合ってる時よりも怖いぞこれ。もう降りていいか、流石に。瑠璃ちゃんはよくても俺に命の心配がある。ショック死するよこれ。あーダメだレバー降ろされてるわ。ガッチガチにホールディングされてるわ。無理無理無理無理無理だよこれ。瑠璃ちゃん、「ワクワクするー」じゃないんだ。多分このドキドキはワクワクから来るものでなくバクバクから来るものだよ、心臓の。いやー無理だ。だって上がってるよこれ。ジェットコースターって、昇ってる時が一番怖くないですか? 逆にここ乗り切ったらもう生きて帰って来られるよな? 何も怖くないよな? 俺死なないよな? あーダメだこれ目瞑ろう。いや真っ暗闇で急に落とされるの逆に危険じゃない? やっぱ開けとこう。いやたっっかもうここまで来たの!? 無理無理これ人が来ていい高さじゃないって死ぬってこれダメダメダメ死ぬ死ぬしぬ——!
そして、俺は空を駆けた。
「もう一回乗っていい?」
「勘弁してください」
ベンチで項垂れている横で瑠璃はぴょんぴょんと跳ねている。あの危険物が気に入ったらしいが、年長者としてはとても推奨できたものではない。
「……疲れちゃった? 私が引っ張っちゃったから……」
「いや! そんなことはない! ないんだけどもー……ジェットコースターは怖すぎるかなー……?」
瑠璃は不可思議そうにきょとんとした。
「そこまで……怖くなかったよ?」
「俺は今子どもの溢れ出るパワーに恐れをなしているよ……」
乾いた笑いで取り繕っていると、瑠璃は空の方を見た。するとまた元気が出たかのように裾を引っ張ったのだった。
「じゃああれ! あれなら激しくないでしょ?」
「あー……あれならいいかな」
少女の目の方向を見ると観覧車が見えた。あれほどゆっくりとしたものなら、今の俺でも簡単にクリアできそうだ。休憩がてらに乗るのも丁度いいだろう。
ふと気づく。曇り空が晴れ、夕暮れの太陽が見え隠れしていた。
立ち上がるとそのまま瑠璃の手に連れられ、まっすぐに円を回り続けるアトラクションへと走っていった。
「なあー、もう少し落ち着けってー」
「えー!」
瑠璃が振り返る。
「だって、お兄ちゃんと早く乗りたいよ!」
ちょうど、陽の光が遊園地をオレンジ色に染め上げた頃だった。淀みのない晴れやかな顔が照らされ、どうしてか、頭に残ってしまいそうな画になっていたのだった。
ガタンゴトンと大きな揺り籠が上がっていく。ゆっくりに思えて気づけば地上の遥か上にまで昇ってきていた。向かい合うように俺たちは座っていたが、瑠璃は足をぶらぶらと揺らして窓から見える街の姿を見下ろしていた。そして左右をくるくると見返して、立ってみたり座ってみたりとを繰り返している。そのせわしない様子をじっと見ていると、瑠璃はハッとして長椅子の真ん中に座り直した。その背もまっすぐに伸ばし、目線も下に傾いている。
「夕方か。遊んでるとやっぱり、時間が経つのも早いね」
そう言ってみると瑠璃は頷き返した。
「……あまり回れなかった気もするけど、楽しかった?」
「うん。初めてがいっぱいで……よかった」
「初めて、か」
よく考えると……佐々木瑠璃と天は似ている。知らないこと尽くしの世界で、知るために生きている。天は遊園地に来たことがあるのだろうか。彼女もここに来たら、瑠璃と同じ反応をするのだろうか。
「お兄ちゃんは……どうだった?」
「俺?……まあー、遊園地は久しぶりだったし、それなりによかったよ」
「そ、そっか」
瑠璃はどこかそわそわしていた。今まで激しめなモノにばかり乗っていたからかえって落ち着かないのかもしれない。まだ頂上に着くまで数分はかかりそうだった。
「あ、そういえばさ」
「なに?」
「遊園地、俺なんかと一緒でよかったの?」
「えっ」
「確かにお話屋の中で一番詳しそうなのは俺かもだけど……でも、エイダだって行ったことがないわけじゃないだろう? お付きの人もいるし」
むしろ俺より付き合いが長いだろうエイダに色々と教えてもらってもいても違和感はない。確かに俺は瑠璃を助けはしたが、それだけが理由で誘われることもないのではなかろうか。
しかし問われた瑠璃は目を見開き、身体を固めたのだった。
「俺が居たから逆にやりづらかったってことはないかなーって」
「いや……いやいや! そんなことないよ!? お兄ちゃんと遊ぶの、ずっと楽しかったし、それにエイダちゃんと一緒といっても身体は一つしかないから、誰かと一緒に行くって感じもしないし……それに」
溜めるように、発する。
「私、お兄ちゃんとが、よかったから」
椅子が揺れる。部屋が揺れる。酔いなんて気にもならないほど、穏やかな揺らぎだった。
「……そうか」
それだけ返す。
「今日一日、お兄ちゃんといれて……私よかったよ! 一生、忘れられないかも……」
「一生は言い過ぎ。これからもっと楽しいことがあるかもなんだから」
籠は徐々に一番上へと近づいていた。ジェットコースターよりも高い空へと連れられて、もし止まったらどうなってしまうのだろう。
「……でも、今日がよかったなら、俺もよかったよ」
すぐ傍の焼けた空を眺める。 雲は晴れて、丸い輝きが丸見えで、掴めてしまいそうだった。
ガタンゴトン。この船は着実に一番上へと昇っていく。この機械仕掛けの円は懐中時計のようで、巨大な秒針に身体を預けているような気がした。時計、か。
ふと、目の前の少女は、時を待っているような気がした。そのときになってようやく、彼女は立ち上がる……そんな気がしていた。
「……これ、からも……」
つぶやきが聞こえる。
「……ねえ、お兄ちゃん」
震えていて、か細い声だった。
「いや……近衛、さん……」
「ん」
瑠璃は膝の上に、少しだけ強張らせた拳を置いていた。俺は、空に目を奪われる。
「ずっと、言いたいことがあって。今日誘ったのも、そのためなんだけど」
「うん」
「私……私ね」
声に、耳を傾ける。
「近衛さんのことが、す……」
「……」
「……う……」
声は止まる。いつの間にか、船は一番高い所へとたどり着いていた。
「……」
瑠璃は何も言わない。
秒針は重さに任せ、後は下がっていくだけだった。
「……お兄ちゃん、天ちゃんのこと、どう思ってる?」
「え?」
急に振られて、やっと俺は少女の顔を目に入れられた。瑠璃は立ち上がっていて、頬もオレンジ色に染められていた。
「天ちゃんのこと、どう思うの?」
「……天か……」
意外な問いに小さく笑う。
「どうして、いきなり天の話を?」
できる限り優しいつもりで聞き返す。
「なんでも……ないけど。多分ずっと一緒だったでしょ? 私がいない間も」
「ずっととまでは言わないけど、まあ、距離は近くなったかな」
「……好き、なの?」
……。
「好き、というと?」
「好きは好き。どう、なの?」
「色んな種類があるね。どれを答えればいい?」
「……どれだっていいよ」
「そっか」
俺は、少しだけ迷った挙句、それでもわざとこう言うことにした。
「好きだよ」
「……」
「人間として、ね」
「……それは、どう捉えればいいのかな……」
「色々。好きに解釈すればいいさ。それに、瑠璃ちゃんのこともさ」
「え」
「好きだよ?」
一瞬だけ、少女は顔を上げて口を開けた。だけどすぐ、表情にかかっていた力が無くなっていくのが目に見えて分かった。
「天も瑠璃ちゃんも、同じくらい大切だ」
俺は俯いた。
「……そう、だよね。お兄ちゃんは、そういう人だ……」
少女のことを、俺はもう見ないことにした。
「きっと全部の人に、同じように優しくできる、大人なんだ……」
「……そんなこと、ないよ」
自覚している。俺は割と、酷い仕打ちをしている。
だけど瑠璃ちゃん。君の願いは、俺には叶えられない。そういったものと向き合うことは、生涯を通して無いのだろうと思っているのだから。
すると隣に少女が座った。何も言わずに時が過ぎるのを待っていると、
「ホンット罪づくりな人なんだね! マキってば!」
「いやエイダかい」
もう一つの太陽みたいな顔で覗き込むエイダの顔がすぐ傍にあったのだった。
「え……瑠璃ちゃんは?」
「寝ちゃったよー? 遊び疲れたんじゃない?」
「そっか。それは……悪いことしたかな」
「何がー? マキは今日ずっとエスコートしてくれてたじゃない!」
わざとらしく笑い続けるエイダの顔に少しだけ胸が焼けた。
「ワタシもね、ルリぴょんが楽しんでくれてハッピー! って感じ! やっぱマキって怪異の扱いそこそこ上手いよネ?」
「いや……瑠璃ちゃんのことは別に、怪異だなんて思ってない」
「フフ……そういうところが、罪づくりって言ったんだよー?」
もうすぐ地上に着く。エイダは席から立ち上がり、ひらひらと回転した。
「どうかこれからも、アナタの優しさでワタシたちと喋ってあげてね! なーんにも変わらずに、ネ!」
全部持っていかれそうなほどの勢いに俺は、
「……うん」
と、頷く他に無かった。
—————————————————————————————————————
エイダは遊園地から戻った後、「ディナーはマキと食べたから」と言って早々に部屋へと戻って行った。そして一目散にベッドへと飛び込み、息をついて天井を見上げていた。
彼女の部屋は広く、教室の三倍ほどはあるかと見えるほどである。部屋のあちこちに絵画や彫刻が飾られ、キングサイズのベッドが隅に置かれている。照明も当然シャングリラである。煌々と暖かな光が落ちる部屋で、エイダは独り言ちた。
「……ほーんと、優しい人だよねー。あの人。ね、ルリぴょん」
返答はない。この部屋にはエイダ一人だ。
「確かにワタシたちみーんな応援してたけど、失敗しちゃったからって拗ねなくてもいいんだよー? 悪いのはマキなんだしー」
声は返ってこない。
「……ま、嫌になっちゃうよねー。すごく言われたかった言葉なのに、全然意味が違うんだからネー」
エイダは寝返り、枕を抱きしめた。
「でも……ルリぴょんは頑張ったよ。止まってばかりのワタシたちだけど、あなただけが前に進めたんだから」
ぎゅう、と手に力が入る。これは、エイダの意思ではなかった。
「ね……泣いてもいいよ。もうみんな寝ちゃったし、ワタシも眠いから……夜くらいは、一人になりたいよね。それじゃお休みー」
彼女は目を閉じる。そして数分足らずで明かりが消えた。
そこから小一時間経ったところでエイダの姿は、佐々木瑠璃のものへと変わる。その服はずっと、遊園地に行った時の物だった。
「……」
暗い部屋。大きすぎるベッド。小さすぎる自分。
死んでいる子どもと、生きている大人。
初めからわかっていたことだった。どれだけ仲を深めたところで二人は行きつかない。近衛槙という人間は決して、そのような心を持たない、石のような存在なのだろう。
それでもかけてみたかった。独りよがりな憧れを、「恋」と勘違いしてしまった少女は——もしもの結末を、夢見てしまった。
近衛槙は決して、誰も選ばない。あの人は普通の人間だけれど、あまりにも、理性が全てを支配しすぎてしまっている。まるで、そうすることでしか生きて来られなかったかのように。ずっと、鎖に身を阻まれているかのように。
「……あ」
佐々木瑠璃は、わかり切っていた答えに一人、声も出さずに苛み続けた。
——ああ、大人になるって。ずっと、我慢し続けることなんだ。
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