鳰下町ミュージアム-エピローグ1

『ケース:鳰下町ミュージアム。

 大場 廉之助が館長を務める美術館。その正体は全ての展示物に扮した怪異を封印していた鳥籠だった。その目的は、恐らく大場氏の瀬古逸嘉への嫉妬心が故の報復。近衛、天、エイダ三人を相手に突如として怪異の軍勢を差し向け、「ゲーム」という形で勝負を持ち掛けた。

 その内容は、館内のホールのうち、明かりのついた部屋を一直線に揃えるというビンゴ形式のものだった。その仕組み自体が怪異の能力であり、大場氏の姿を真似た怪異は、自分たちを総称として、「反転する鳥籠」と名乗った。

 彼らの首長は館長室に置かれていた世界最古のオセロ盤であり、怪異としての形は、物質が時間を経て意志を持ち、人の姿を借りて行動できるようになった、というものである。そして連鎖するように全ての展示物も怪異と化し、鳰下町ミュージアムは結果として怪異が支配する空間となった。

 大本となったオセロ盤であるが、それ自体が本体というわけではない。彼らは一個体として独立した怪異ではなく、複数の怪異が群れを成し総称としての怪異となっていたわけでもない。一体一体は確かに個体として存在しており、美術館という閉鎖空間でのみ発動されるルールに縛られ活動していた。つまり、館内で発動していたルール自体が怪異であるとするべきである。現に、本体と思われていたオセロ盤の怪異が消滅した直後でも空間は解けなかった。一直線に明かりをつけた部屋を揃えた際に自然と空いた部屋から外に出ることで、ようやく美術館は元に戻った。彼らは己の存在とルールを強く結び付けており、外とは隔絶された別の世界を作り出していたのである。彼らはルールそのものであり、ルールに縛られた囚人でもあった、というべきである。

 本来の支配人である大場氏は二年前に死去。オセロ盤の怪異に殺害され、地下室で白骨化した遺体を発見。先日接触した大場氏は、大場の身体をコピーした怪異であった、ということである。

 大場の姿をした怪異は四人確認。中央部屋で瀬古逸嘉と相対した、オセロ盤の怪異。近衛、天、エイダを妨害するようにホール中を移動していた、「宝珠」、「水」、「剣」の怪異。オセロ盤の怪異は瀬古。水、剣の怪異は天とエイダが撃破。宝珠の怪異の所在は不明。ゲームの終了と同時に消滅したものと考えられる。

 その後、鳰下町ミュージアムを管理する者はいなくなり、近々閉館となる模様。

 館内にいたはずの他のスタッフは現在行方不明であり捜索願も出されているものの、戸籍についても不明な点が多く、恐らく「反転する鳥籠」の一部であったと推測される。

 以上をもって鳰下町ミュージアムにおける活動報告を終了とする。

 筆記者 近衛槙』



 瀬古さんはレポートを無言で受け取った。数十秒これを眺めていると、


「うん、お疲れ」

とだけ答えてそのままファイルに差し込んだ。


 俺はソファに戻り書類を片付ける。途中、ふと天が瀬古さんを見続けているのに気づいた。彼女は少しだけ苦しむように、口元をこにょこにょと動かしていた。


「仕方ないよ」


 俺は、できるだけ響かないようにそう言った。天は目を向け、ただ首を縦に動かした。鍔の影に隠れて、やっぱり表情は見えなかった。


 今回の事件の結末は後味が苦いものになってしまった。俺たち自身は無事に生還できたものの、瀬古さんの学生時代の先輩が犯人———それどころか、二年前に亡くなっていた、という事実だけが残ってしまったのだから。俺自身まだ、近しい誰かが亡くなるという経験をしたことはない。だが今の瀬古さんの様子を見るに、やはりやりきれないところがあるのだろう。普段は頭空っぽなくらいに能天気な瀬古さんが、こんなにも静かで、寂しそうな顔をしているのだから。


 大場さんは、復讐しようとした。そしてそのための道具として用意していた怪異に、殺されてしまった。

 知らぬ間に恨まれてしまっていたこと、そして何も知らぬまま、最期を知ってしまったこと。突きつけられた事実は複雑で、淋しいもので。俺自身も上手く整理ができないでいたのだった。


 何となく事務所にいるのが億劫で俺は席を立った。瀬古さんにだって休む時間がいるはずだ。今日はもう、早く家に帰ってしまおう。


 そうして荷物を手早くまとめ、部屋を出る。しかしその後ろを天が足早についてきていた。

 結局、俺たちは外に出て二人立ち尽くした。まだ寒い曇り空。空の色では今何時なのかもわからなかった。


「天は瀬古さんのことどれくらい知ってるんだ」

「……変な人ってことしかわからない」

「家族同然なのに?」

「あの人は……違う。一緒の家だけど、あの人はただ、居るってだけ」


 事務所の壁に身体を預け、下顎をマフラーに埋めた。壁に貼っている蔦の棘がちょっとだけ肌に刺さり、小さく痛い。

 天も真似るように壁に寄りかかった。俺と違って相変わらず薄手だ。気温も5℃らしいのに。


「わたしだって初めて見た。瀬古さんのあんな顔」


 お天気アプリを閉じて天の発言を聞き取り、俺は天を見た。


「天の前じゃ瀬古さんはいつも笑ってるのか」

「うん」

「……それは何というか、気味が悪いな」


 その返しが意外だったのか天が顔を向ける。俺は地面を見て石ころを転がした。

 手持無沙汰ならぬ足踏無沙汰だ。地が足についていないような気がしてじっとしていられる気分ではなかった。


「お話屋の中じゃ明るい方だけど、人間味がないっていうか。あの笑顔が仮面みたいで。普段の奇行も自分のキャラ付けのための演技に思えるっていうかさ。だから、今日の瀬古さんの顔を見て、あの人も人並みの感情を持ってたんだなって思ったんだよ」


 気疲れした瀬古さんの姿の中に、本当の瀬古逸嘉という人間が見えた、ような気がした。


「……よりにもよってきっかけが、当人の知り合いの逝去だってのも酷い話だけどさ」

「人が死ぬのって、やっぱり苦しいんだ。瑠璃ちゃんの弟の人も辛そうにしてた」


 天が口にしたのは佐々木瑠璃の一件。亡くなった後怪異となった彼女を、弟である和俊さんが救おうとして多くの人々を巻き込んだ事件だった。彼の執心ぶりは凄まじく、人生全てを姉に費やそうとするほどだった。


「何も思わない人なんていないんだろうさ。完全に未練を断ち切るなんて無理だよ」


 俺自身、人の死に直面した経験はない。前の冬旅行で天が一時的に死んでしまった件を除けば。

 ふとそのときのことを思い出し、俺は気づかれないように身を震わせた。

 あの肌の陶器のような冷たさはもう思い出したくない。


「瀬古さんと大場さんは仲良かったとは言えなかったけど、だからって亡くなってスッキリすることも無かったろ。あんな顔見ればわかる」


 回想を払いたくて話題を戻した。


「もういない……いや、もういなかったっていう事実はきっと、目の前で死なれてしまうのとは違う感覚があるんだろ……俺にはまだ、経験ないことだけど」


 再三の繰り返し。自分が体験したことない気持ちなんて推測しかできない。

 推測以外に、できることがない。


「……俺、今回は何もできなかったなー」


 今回の事件は、瀬古さんと大場さん二人の間で起こった出来事だ。そこに第三者である俺たちが口を挟む余地はなかった。ただただ、襲い掛かってきた怪異を退治する以外になかったのだ。

 だからこそ、天とエイダのように戦う力を持っていなかった俺は、本当に何の役にも立たなかったというわけだ。


 悔しくないかと問われれば、当然悔しい。


「ハハ、まともに仕事したのは事後レポートだけ、だったな」


 嘘笑いで繕ってみるも、かえって虚しくなってしまった。なんて渇いた笑いなんだろう。


「近衛くん」

「ん」

「声、渇いている」


 ……はっきりわかるくらいには渇いていたらしい。


「……さて、俺も帰るかな」


 これ以上俺から話せることも無い。身体を起き上がらせて天に背を向ける。


「じゃ」


 手を振ってその場を後にしようとすると、


「待って」


と、後ろから天が呼び止めた。振り返ると帽子の鍔を上げ、はっきりとわかるように自分の双眼を露わにした。そして、口を開く。


「近衛くん、本当に覚えてないの?」

「……何が?」

「ミュージアムで、近衛くんがやったこと」

「俺がやったこと? 何もないよ」


 目を背けて答える。俺は本当に何もできなかった。だって、


「ずっと気を失ってて、起きたときにはもう全部解決してたんだから」


 俺は、今度こそその場を後にした。



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