鳰下町ミュージアム-Last 鳥/羽ばたかず

 この一連の流れを見ていた大場———もとい、自らを「反転する鳥籠リバーシ・ウォッチング」と名乗った怪異は、大きく身体を震わせ椅子から崩れ落ちた。両手で顔を押さえ、何度も何度も「なぜだ」と繰り返している。同時に盤上のコマもバラバラに散らばり、もうゲームという体も為さなくなった。


「何が起こったと言うのだ。瀬古君、彼はもう既に覚醒していたのか」


 喉を枯らしたような声で聞かれるも……僕はしばらく何も返すことが出来なかった。


 これは、僕にとっても想定外すぎる。


 館内全てのホールを見られるように視察用の怪異を放っていた。その複眼を通し僕の脳内にも全体の様子が共有されていたはずだったのだが、大場との会話に集中しすぎて気づけなかったのか?

 近衛槙が突然、「宝珠の部屋」に出現していた怪異を打倒し、次に向かった先で待ち構えた怪異でさえも数分足らずで撃破していたのだ。

 あまりにも早く、僕が気づいたときにはもう天ちゃんとエイダの元に辿り着いていたようだった。


 だが、どちらにせよ———


「あなたの負けだ、大場を騙った怪異。人を殺め、自ら世の理を崩さんとするモノを僕は許さない。君たちが外の世界に出ることなど、絶対にあってはならない」


 大場の顔をした怪異は静止した。そして四つ足で地面を擦り、僕の着物を掴んだ。


「なら我々を蒐集しろ! 消す必要などないだろう!? ここで生まれて何も得るものもないまま消えるのはごめんだ! 頼む瀬古君、私たちは、まだ……!」


 その手を払うと彼は仰向けに倒れ込んだ。ぎり、と憎むような視線が刺さる。それでも僕の意志は変わらない。


「この数年、ずっと『あなた』と話していたと思っていた。ずっと変わらない大柄な男だと思っていた。だがあなたは、そうあることでしか自分を認められなかったのだな」

「何を……」

「今となっては、本当にあなたが僕を嫌っていたのかどうかなんてわからない。あなたが生んだ怪異が記憶を通して後からそう思っただけ、というのもあり得るからな。まあ、自分に逆らうほどの怪異を作ろうとした時点で、僕に何か思うところがあったのも間違いないのだろうが」


 怯える怪異を無視し、壁に掛けられた肖像画を見る。無駄に装飾された、痛々しい画風だった。描かれた男の微笑みが頭に残る。


「なあ、どうなんだ怪異。お前は本当に、大場さんの人格をコピーしたのか」


 背中越しに声は返ってくる。


「当然だ。私たちは大場。彼以外の人間を模倣することなど叶わなかったのだ」

「お前たちは大場さん本人を殺した後でも、大場でありつづけようとしたか」

「……何?」

「大場さん本人に逆らうためにお前たちは意志を持った。それがどうして、彼自身と同じであると言えようか。天ちゃんたちが戦った怪異はみな性格が違っていた。僕は思うに、人間も怪異も、誰かを完全に模倣することなどできないんだよ。性格というのは後天的なものだからね」

「何が、言いたい」


 ……さあ。どうしてそんなことを言いたくなったのだろう。しばし自問するも———思いつく理由は、一つだけだった。


「哀れだと思ったからだよ。怪異は人無くして存在できない。それでもミュージアムという小さな世界で君たちは反逆した。唯一の人間モデルだった大場さんを殺してでも自立しようとした君たちは実に健気だ。親元を離れる雛鳥のように———だが、それでも無理なのさ。自然由来の怪異ならまだ救いようがあるがね。君たちは作られてしまった存在だ。見える世界もこの美術館だけ。存在の骨子である人類は、大場さんだけ。それを殺してしまった時点でこの結末も決まっていたのだろう。君たちは、抗おうとしたその瞬間に、この鳥籠の鍵を無くしてしまったんだよ。飼い主がいなければそもそも、鳥は羽ばたくことすら許されない。もし君たちの策が上手くハマって出られたとしても。怪異と人間のハイブリッドとして存在を証明できたとしても。数多の人間の思惑がルールを作るこの世界では、君たちは歩くことさえままならない。だって現実は、あまりに複雑だからね。数人の情報だけで生き残れるほど、単純ではないさ」


 手帳を取り出し、物語を指でなぞる。


「紅葉、おいで」


 大きな影がこの身を覆う。鬼灯の赤が光を反射して大場の顔に色をつける。怒りの赤、血液の紅。大場は彼女を見て、人間らしい恐怖の顔を見せた。手足を何度も滑らせ、死にかけた虫のように退いていくも、壁にぶつかった途端に全身の力が抜けてしまったようだった。


「君など、蒐集する価値もない」


 鬼は大きな二足を大地を揺らしながら進めていった。足一本だけでも人間一人分なら簡単に踏み潰せてしまうだろう。大場の姿はやがて巨体に隠れて見えなくなってしまった。代わりに今までで一番大きな声で、


「考え直してくれ! 私たちはまだ死にたくない!」

という懇願が耳に入った。


 僕は机に放っておかれたオセロ盤に手を乗せた。世界で最初に作られたものなんだとか。といっても近代辺りだろう。怪異として命を宿すには十分な時期ではあるが、やはり薄い。大場の詰めの甘さをこんなところで実感させられるとは。

 コマを摘まんで数回、裏表を見返す———綺麗だった。色褪せているが手入れが行き届いている。嗜好品を無用に買い漁る男だったが、物を大事にするだけの良心は残っていたらしい。だというのに、どうしてこのような劣悪品を産み出したのだろう。このような、廃棄物にしかならない命を作り出してしまったのか。


 男の悲鳴が聞こえる。そしてぐしゃりと潰れる音が続いた。僕は見向きもせず、既に亡くなった先輩に思いを馳せていた。


 これだから。僕はあなたが嫌いなんだよ。僕に追いつきたかったのなら、子どもの時から一つの事だけに傾倒しているべきだったのさ。



 姫の姿へ戻った紅葉が、大場の肖像画を指さしていた。その細い一本の棒がずっと動かずに向き続けていたものだから、僕は仕方なしに額縁に触れた。


「……おや」


 絵画にしては僅かに設置が甘い。少し力を入れるだけでも外れてしまいそうだった。


「……もしや」


 大場は怪異の研究をどこでやっていたのだろう。この美術館は一階しかなく、研究室らしき部屋も見受けられなかった。恐らく、僕の知らない場所がある。

 紅葉と共に額縁を外してみると丸いスイッチが現れた。それを押すと瞬く間に壁が開き、地下への階段が明るみになったのだった。


 これを下っていく。埃臭く、時代錯誤なランプの灯りだけが頼りの道を歩く。大体一分ほどで彼が秘密にしていた部屋に辿り着いた。


「随分と……悲惨だな」


 網目状に敷き詰められた石膏タイルの地面に、濁った液体が拡がっていた。顔をあげると柱状のカプセルが幾千も広がっており、その悉くが破壊されている。きっとその全てに怪異が保管されており、液体もそこから漏れ出たのだろう。


 随分と大掛かりで金に物を言わせた実験をしていたらしい。部屋自体はミュージアムの一階ほどに広くはあったが、見渡しても似たような景色ばかりが目に入る。

僕はそんな荒らされた墓標のような空間を一人歩き続けた。


 靴の裏に冷たい感覚が染み込んでくる。これは何の薬品か。匂いも無く、足裏に痺れのようなものもない。そもそも怪異を科学的方法によって保存しようという試み自体が愚かとしか言いようがないが、彼はそれでも為したかった欲望を持っていたらしい。


 それにしても、無事なカプセルが一つもない。大場はよほど大きな怒りを買ったのだろう。ここにいた全ての怪異が反旗を翻し、この館を支配したのだと見える。


「む……」


 足を止める。部屋の奥が見えてきたところで、座り込む人の影が眼に入ったのだ。眠っているわけではないらしい。それどころか全く動いておらず、生気も感じられなかった。


(……ああ、あれが)


 更に近づいて確認すると、案の定その正体がわかった。

 白骨化した遺体だった。それも見覚えのあるスーツを着ている。無機物と化した知人が、全身の力を抜いて壁に寄りかかっていた。


 本物の大場。


「……酷い顔になったものだ。見たくなかったですよ、そんな姿は」


 匂いもしない頭蓋を覗き見ながら僕は憐れんだ。臓器もなく、眼球もない。腐るという地点も通り越した身体は何も返してくれることはなかった。

 もう、彼に用は無い。


 だが一つだけ気になることがあった。大場は実験をしていたというが、その準備はどうしたのか。彼自身は化学分野からほど遠い人間だったはずだが、その知識もどこから得たのか。

 地下室自体は先人が用意していたという線もあり得ない話ではなかったが、ではこの設備はどこから?


 ……明らかに、がいる。


 付近にあったマシンに目をつけ近寄る。反乱を起こした怪異によるものか酷く損傷しており、電源もつきそうになかった。

 しかし代わりに紙の資料が散らばっており一枚ずつ拾い上げては文字をなぞっていった。


「……これは」


 ある単語を目にし、僕はカプセルに近寄る。ガラスの破片が刺さるのも気にせず、僕は同様の文字を探した。そして、この部屋の設備全てにそれが彫られていることがわかった。

 なるほど。大場ほどの資本家であるなら、彼らと繋がっていても違和感はない。


 ———慈善企業『HEVENER』


 大場め。飛んだ悪徳会社と結託したものだな。

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