鳰下町ミュージアム-11 自由/何処

 傍目から見てもその男は石のように硬直していた。自由———という言葉を乗せた声色は冷えており、かつ両目は脈の線が浮き出るほどに開かれている。

 違う人間だと、ふと思った。


「私はね、何年もここのオーナーとして務めを果たしているんだ。それはきっと私に経営の才能があったからだろう。そうでなくとも、この血筋が必然的にそうさせたはずだ。故にこそ———私は、驕り高ぶることをやめることができないのだよ。生まれた頃から決まっていた将来のためだけに私は学ばされてきたのだからな。ただこの……ちっぽけな美術館を継ぐためだけに」


 暗く沈んだ声。その一方で彼の姿勢は変わらない。打ち震えることも無く肩を落とすわけでもない。機械みたいだ———そんな言葉が脳裏に過ぎり、強く瞑ることで押し消した。


「本意ではなかった……ということですか」


 頷き、彼は手を降ろした。


「その通り。その通りだよ。私は、「意義がある」と強迫的に押し付けられた責務を、ただ無意味になぞってきただけなのだ。自分の意志でここに来たわけじゃない。我が家が継ぐべきだと思い込んでいる小さな宿業に逆らうこともせず、流れるままに生きてしまった。瀬古君から、私は傲慢な男だと聞かされているかもしれないがね。それはきっと、自分の中に僅かに残っていた自由意志を覆い隠すためのテクスチャだったのだよ」

「でもここに展示してあるのは大場さんが集めたものだと聞きました。それは自分の意思じゃないのですか?」

「ああ、意思だろうさ。ただ、そうして金を緩ませることくらいしか自分の傲慢さを保てなかったんだよ。いくら私の意思だろうと結局は今までの生き方と変わりない」


 背を丸めて嘲藁うものの、さっきまでとは違った穏便さを宿していた。本心を伝えられたことに小さな喜びを覚え、安心しているのだろうか。


「もう少し、話をしてもいいかい」


 俺は頷いた。


「私の人生の中で一番、理想的な自由を謳歌できていたのは学生時代だ。そのときだけ上京していたし、気を背負う必要も無かったからね。しかし、私は彼と出会ってしまった」

「彼……瀬古さんですか」

「ああ。彼と同じ分野を学んでいたこともあって、自然と話すようになっていった。彼は……凄まじい男だった。私が研究していたことを、入学する時には既に網羅していた。私が出せなかった解を、ものの数秒で答えてみせた。彼は己の興味のある学問を究めつくすほどの、研究者としての才能を持っていたよ。反対に私は……勉学するためにここに来たわけでは無かったと突きつけられた。ただ自分だけの自由が欲しい。その一点のためだけにあの場所にいたのだから。瀬古君にはずっと、嫉妬と言い難い感情を持っていた。他者に向けたものじゃなく、自分に返ってくるような……忌避の気持ちが」

「……そんな、珍しい事でもないと思います。なんとなくで通ってる人なんて何万人もいますし」

「何人似た人間がいようとも、私は私しかいない。結果として私は、世界に記録を残すような成果も残せず、ただ他の学生と同じようなレポートだけを出して卒業したよ。瀬古君は結局、院に進んだそうだが。私はね、満足な自由とは何なのかも理解できないまま、この地に戻ってきてしまったのだ」

「でも、学生時代でたくさん研究する以外のこともしたんじゃないですか? それなら自由である意味はあったんじゃ」

「自由とは何か」


 大場は遮るように、語気を強く話した。


「人の人格は、遺伝子や環境、人間関係とあらゆる要素が絡み合ってできあがっていく。完成した人格が、自分の意志で編み出したルートこそが自由だ。それは何者にも捻じ曲げられるものじゃない。だが私はね、自分で編み出したものの答えが、何となくの逃げだったんだよ。何となくここから出られればいい。それだけが私の骨子だった。将来に対する輝かしい目標なんてものは、最初から持ち合わせていなかったのさ。だからこそ、突如研究室に現れた瀬古君を羨まざるを得なかった。私の、遥か先を見ている。明らかに、自分の向かうべき究極の一点の———自身の運命へと、着実に進もうとしている」


 窓から見える小さな陽光を掴むように彼は手を伸ばしていた。静かにその手を握りこむと亡霊のように立ち上がる。かつ、かつと甲高い靴音がホールに響く。

 妙にくたびれたような後ろ姿だった。


「どうして、そんな話を俺に」


 彼は振り向かない。淡々とした語り口だけが、耳に届く。


「本当は誰でもいいのさ。だが、私に構ってくれるような人間はこの町にはいないだろう? でも、君なら理解してくれるだろうと思ってね。新聞記者の近衛槙君」

「……瀬古さんからどれだけ俺のことを?」


 突如、大場は大きく笑い始めた。そして傲慢そうな顔を再び見せ、口角を上げた。


「私がなぜ、君たちをここに呼んだと思う?」


 突然の豹変ぶりに僅かに怖気が立った。相手は人間のはずなのになぜ、今この瞬間に、

 無機質的な恐怖を覚えるのだろう。


「私は今でも自由を求めている。そうだ。私たちは、ここから出なくてはならないのだ」


 彼は両腕を広げ、煌びやかな天井を仰ぎ見た。そして声高らかに宣言する。


「さあ、我らよ! 早速始めよう。招いた怪異は三体———彼らと凌ぎを削り、真の自由を勝ち取るためのゲーム戦いを!」

「ッ!?」


 瞬間、大場を中心に黒く淀むような波紋が広がっていった。それに弾き飛ばされ、意識が、徐々に、徐々に———暗転していった。


「———我らは、反転する鳥籠リバーシ・ウォッチング

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