反転する鳥籠-14 正/体

———中央部屋にて。


「……ああ、どうやら私が一人やられたようだね。君の助手はやはり優秀だ、瀬古君」


 白の駒を黒に裏返して大場が呟いた。僕はそれに相槌を打ち、次の駒に手を伸ばす。


「大場さんこそ。随分と大掛かりな仕掛けを用意したものです。僕への恨みもそれほど大きいというわけですか」


 パチリ、パチリ———小さくも軽快な音。盤上に二色の駒がまばらに置かれ、ぱっと見接戦しているようにも思える。

 しかし僕たちは戦術も何も考えずに気の赴くまま指を動かしている。

 そう、これはただの遊び。勝敗に付随した報酬などない。罰が与えられることもない。

 無為に時間が過ぎていくのを防ぐためにナニカをやっているに過ぎない。このゲームも既に二回は繰り返していた。


「恨み……か」


 自分のターンになっても大場は駒を取らなかった。盤から目を上げると大場はどこか虚ろな目をしていた。


「確かに君のことが嫌いなのは事実だ。しかし……それが果たして恨みと呼べるほどのものなのかは、私にもわからない」

「いやいや……恨んでいないと、わざわざ僕の身内を人質に取るような真似はしないでしょう」


 大場はようやく丸いソレを手に取った。しかし何度も白と黒と面を変え、一向に盤に置こうとはしなかった。


「私を、感情豊かな人間だと思うか」


 突然、僕の目を見てそう言った。今まで見たことのないような、真剣な眼差しだった。


「自分の喜怒哀楽が本当に、普通の人間に沿ったものであるのか、ずっとわからないでいる。真似をしているだけで、本質的には間違っているのかもしれない、と」

「……突然何を言い出すかと思えば、人生相談ですか? らしくない……」

「……らしくない、か。その通りだな。大場廉之助という人間は、そのような迷いを持つことはあれど、口にはしないだろうさ」


 僕は一瞬だけ違和感を覚えた。

 彼はまるで、自分が自分でない言い方をしたからだ。


「君から見て私はやはり、傲慢な男だったのだろうか。本当に一切迷いを見せたことが無かったのだろうか」

「うざったいほどに、裏がない人間でしたよ、あなたは。呆れるくらいにね」


 大場が駒を置いた。そして隣接した駒を裏返しつつも語り続けた。


「きっと恨みではないのだよ。君に抱いていた感情は。憧れだ」


 躊躇くなく口にされ、僕は普通に気持ち悪いと思ってしまった。


「……そんな顔をしないでくれよ瀬古君。私はね、君自身の本質は私よりも上等なものだと認めた上で言ったのだからね」

「……はあ」


 僕のターン———だがゲームを続ける気力が削がれてしまった。


「具体的に僕の何が、あなたにそう思わせたのです」


 大場は小さく口角を上げた。


「君が果てしなく、自由であったことさ。君は紙芝居を仕事にしたいと言っていた。しかし今は別の仕事を営んではいるが……別に、芯の部分までが変わってしまったわけではないだろう? 君の探究心は何年経とうが変わらない。それで思ったわけさ。自由とは、どこにでもいける果敢さのことを指すのではないと。己の本質に気づき、達成するためならどんなに形を変えようとも目的を実行とする……そんな気概のことを、私たちは自由と呼ぶんだ、とね」


 ……そうか。

 大場さんから見て僕は、自由の身であるように見えるのか。


「私はずっとここで燻ぶっていた。君と違ってただそこにいるだけの人生……何の意味がある? ここに住まう怪異たちも同じだ。彼らには意思があるのに、人の隆盛で存在意義そのものを剥奪されてしまう。とても、許せることではないのだ。だから……」


 大場は低く、唸るように語った。



「———



 それを聞いて、僕はたじろがなかった。


「そうでしょうね。以前の大場さんなら、笑い飛ばして無かったことにする話です。あの人は、価値がつけられないものに目をかけたりはしない」

「驚かないのかい」

「ええ、当然です」


 旧知であるゆえに当然悲しいとは思う。同時に妥当だろうとも思う。この会話を続けていて……今目の前にいる男は、大場さん本人ではないのだということにも察しがついていた。


「推測ですが……大場さん本人が怪異を集めていたのは事実だ。あなたが言った、僕以上の成果を作るための実験をしていたというのも事実だろう。しかしあなたはまるで、自分が被害者であるようなことを言う。まるで自分がここに閉じ込められていたのが、自分の意思ではないとでもいうように。恐らくあなたは……大場によって監禁されていた怪異なのでしょう」

「そうだ」


 否定することなく彼は返した。


「私は怪異。大場廉之助の実験の被害を受けた者だ。今はこうして、大場の身体をしているが……これは、参照できる人間の肉体が、大場以外になかったためだ。人格も感情もあの男からコピーした。最初は大場のような振る舞いしかできなかったが……やっと、私自身の意識として言葉を話せるようになってきたところだよ」


 確かに、彼は大場のものとは思えない柔らかな笑みを見せていた。しかし……


「一体いつ、入れ替わったのです」


 ゲームを中断し、僕は問いかけた。


「二年前にはもう、大場は殺していたよ」

「……なるほどね。そしてあなた自身の意識がようやく出て来れたというのも」

「ああ。予想通り、私が君に、コレクションを売ると言った時だ」


 僕が今まで交流し続けていた旧知の先輩は既に死んでおり、ずっと偽物と会話をしていた……というわけだ。


「さっき私は、怪異たちを被害者であるように語った。そして私たちを最も加害したのは、大場廉之助自身だ。彼は君と同じく怪異の研究をするために、人工的に怪異を産み出そうとした」

「人工的に……? そんな、まさか」

「事実だ。現に、この美術館で活動し、君の助手たちを襲っている怪異も全て、大場によって作られてしまった怪異なのだ」


 ……なるほど。蒐集していたのではなく、作った者であれば。

 存在していた怪異の種類が関連性も見いだせないほどにバラバラであったのも頷ける。

 大場は、怪異のコピーを作ろうとしていたのだろう。


「私はいわば……被検体一号。大場は卑劣な男だった。何度も何度も私を痛めつけて従わせようとしたのだ」

「差し支えなければ……あなたは、どのような怪異なのですか?」


 僕の問いに対し、彼は指を差した。

 それは、たった今ゲームが中断されている、オセロの盤だった。


「リバーシ。それも世界最古の。それが私の正体だ」

「……道理で」


 鳰下町ミュージアムに施された仕掛け……各部屋の白と黒を切り替えるというルールはここから来ていたというわけか。


「私の能力は、反転させることだ。つまり実在定義を与えられなかった怪異を反転させることで、その存在を強固なものとする。そうして私たちは、外に出る。それが兼ねてからの私たちの共通認識……鳥籠に閉じ込められた私たちが羽ばたくための願いなのだ。故に……


 私たちは総称として、……リバーシ・ウォッチングであると名付けた」


 これが全ての真相。今回の事件の犯人、か。


「怪異でありながら人の身でもある君たちの助手……まず、大場の肉体をコピーできた三人の怪異が捕え、その構造を学習する。続いて他の、雛鳥たる怪異に共有し、同様に人間の肉体を用意させる。これをもって私たちは外へと出るのだ」


 すると怪異は、オセロ盤の上に肘をつき、僕にかけあった。


「君にとって蒐集できる怪異が増えるのは利点のはずだ。協力してほしい」


 ……確かに僕は怪異を蒐集する者だ。できることなら、この世の全ての面白おかしい物語を集められたらいいと思っている。しかし。

 その要求は、受け入れられない。


「人工の怪異は、この世にあってはならない」

「……なぜだ」

「怪異とは人と世の裏返し。あくまでも世界は、僕たち生きる人間のものだ。そこに裏返しでもなんでもない君たちが放流されてしまえば、由来のない怪異が氾濫し、世界が揺らいでしまう。怪異を取り扱うものとして、これは容認できない……先輩が残した悪趣味な仕掛けなら、猶更ね」


 すると……カレはため息をついた。


「そうだ……君は強情な所があるのだったな。だが無駄だよ。君が否定したところで結末は変わらない。どうせ君も見ているのだろう? 君の助手と私たちの戦いを。確かに手こずってはいるが……一人。一人さえ奪えればいいんだ。あの三人の中で唯一、まだ覚醒しきっていない者……そう、近衛槙を捕えさえすれば、私たちは勝利する!」


 笑う。大場本人を思い出させる、尊大な笑い。

 近衛槙は弱い。それもたった一人では勝ちようがない。僕は息を呑み、ミュージアムに這わせた怪異を通して状況を見続けていた。

 そこで、妙なことに気づいた。


「……なに? どうなっている」


 オセロの大場も気づいたらしい。彼はこめかみに指を当て、考え込む素振りを見せている。


「近衛槙のいた部屋には、肉体を得た怪異がいたはずだ。剣女ならまだしも、彼如きに手こずるはずもない。それなのになぜ……部屋が突破されている?」


 僕も、想定していない事態だった。

 近衛槙が、……?

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