反転する鳥籠-9 白/黒

 お話屋こと僕、瀬古逸嘉は無事に鳰下町ミュージアムへ到着した。建物の外観からは目立つような異変は感じられなかったが、中で何が起こっているかはわかっている。

 大場廉之助が僕の助手三人を出汁に挑発を行っている。

 僕は足を止めることなく中へと入っていった。

 南側の入り口から入っていく。当然ながらいつもの受付に人は立っていなかった。

特に何かが襲ってくるような様子は見えない。先に這わせた怪異からの情報によれば、今立っている「足の部屋」は既にエイダが攻略している。その奥の部屋、「手の部屋」もまた同様である。

 部屋を進むのに戦闘を行う必要がないというのは幸運なことである。


 僕の目的地はこの美術館の心臓部にして大場廉之助個人が保有している、「胸の部屋」だ。恐らく、本物の大場はそこで僕が来るのを待っているはずだ。

 歩を進める。なんの妨害もなしにそのまま行けるはず———


「む!?」


 身体全体に夥しい数の重圧がのしかかった。この気配、間違いなく怪異———!


 頭上を見上げると巨大な獣の足が今にも踏み潰さんと大きな陰を作っていた。僕は咄嗟に手帳を取り出し、「彼女」を呼び出した。


「おいで! お菊!」


 顕現まで一秒もかからない。落とされた蹄を巨大な細い腕が受け止めた。


 ——————あ、あ、あ、……。


 赤いワンピースの怪女……「皿屋敷の数え唄」出典の怪異、「皿数えの菊」が僕の身を守る。


「馬の足……紛れもなく怪異だな。以前来たときにこのような存在は確認できなかったが」


 しかしそれだけではない。前を見ると他にも、「足」を由来とした妖怪たちが多く出現していた。国産、外來、出所不明———まさに化け物の宝庫だ。


「一本だたら、からかさ———中国の独脚鬼までいるのか。なるほど、これがあなたのコレクションというわけか」


 大場が集めていたのはただの金品財宝だけではない。確かに怪異自体も蒐集していたようだった。しかしなぜ今までこれらの存在に気づけなかった? これほどの数、溢れ出る妖気を、なぜ何度も足を運んでいたはずの僕が知るに至らなかった?


「お菊一人では足りないな。おいでやおいで、紙芝居の時間だよ」


 手帳を開き、もう一人の怪女を召喚する。


『お題目 戸隠山とがくれやま鬼女おにおんな


 すると頁に張り付いていた一枚の枯れ紅葉が剥がれ、前方へと吹きゆく。それはゆっくりと地面に落ち、大きく爆発した。


「おいで。更科姫さらしなのひめ


 現れるは豪烈たる鬼の戦士。彼女もまた僕の保有する怪異の一つ。山に迷いし者を誘い喰らう鬼の姫———紅葉こと、更科姫である。


 彼女は轟音の叫びをあげ、荒れ狂うように群がる妖怪たちを切裂いていった。

 淑女? まさか。彼女は鬼である。確かに普段ならば見た目麗しい貴婦人たろうとするが、戦闘時にはこの通りの破壊の化身となる。


「お菊。紅葉もみじ。今日も僕を守ってくれ」


 二人は無言を返し大人しく全ての怪異の攻撃を払いのけた。そして互いが持っている怪力で暴虐の限りをつくし———その部屋にいたはずの妖怪全てを狩りつくした。


「先に次の部屋に向かって道を拓いてくれ」


 命じると彼女らは足早に「手の部屋」へと飛び込んでいった。

 その間に僕は美術館全体の様子を察知する。


「……これは」


 どうやら、天ちゃんたちは大場と戦いを続けているらしい。しかし苦戦している。エイダは動かないでいるがきっと様子見だろう。懸命な判断だが、剣女がやられる前に手くらいは貸してほしいものだな。


 しかしこれだけでは大場の目的と正体が掴めない。僕の観測する限り、今彼女たちと戦っている大場は端末のような存在であるだろう。きっと本体は中央部屋で偉そうに鎮座しつづけているはずだ。

 僕は次の部屋に歩を進めた。


 既に片がついていたようだった。お菊と紅葉はまた待っていた妖怪全てを倒して僕を待っていたようである。

 二人にお疲れ様と伝えると手帳の中に戻って行った。

 そして続く「胸の部屋」の扉に僕は手をかけ、迷うことなく開いたのだった。


「———待っていたよ。瀬古君」


 予想通り。金色の目に痛い部屋の中央のソファに、大場廉之助が座っていた。足を組んで腕を背もたれに回して、如何にもな様子でリラックスしている。


「御無沙汰しております。大場さん」


 こちらも敬意を示すように挨拶を告げた。すると大場は満足そうな顔で僕を招いた。


「座りたまえ」

「……ええ」


 彼の言葉を素直に聞くのは不本意だが、この状況は本人の口から聞かねばなるまい。僕は大人しく彼の向かい側の席に座り次の言葉を待った。


「よく来てくれた。私の友よ」

「僕の愛しい助手たちが随分とお世話になっているようで」

「ああ。彼らは中々やるな。骨が折れるよ」

「……包み隠すつもりはないのですね」

「隠すも何も! 君にわかるように説明してあげたじゃないか!」


 大場は「何を馬鹿な」と手を叩いて笑うのだった。その様子を僕は笑顔を崩さぬまま眺め続ける。


「ここに来るまでいくつかの怪異と遭遇しました。あれほどの数、昨日今日で用意したものではありませんね? 一体いつから集めていたのです」

「……最初からさ。この美術館を継いだときから、私はひっそりと作っていたのだよ。自分だけの工房をね」

「僕はこれでも怪異探しのエキスパートだと自認していたんですがねえ……気づきませんでしたよ。どんな手法を?」

「言わないさ」


 ……調子に乗らせて口を滑らせようとしたが引っかからない。

 大場は視線を僕に合わせて語り続けた。


「少なくとも、君が最も嫌いそうな方法をとったのは確かだ」

「……と、いうと?」

「私は怪異が、人の手によって使われることを大きく嫌う。それだけの話だよ」

「……いや意外ですね。あなたがそのような並々ならぬ思いを抱いていたとは」

「言うはずが無いだろう。なぜなら君を出し抜くために考えていたことでもあるからね」


 彼は冷たく言った。僕は「ほう」と返す。


「以前私は言ったね。自分のコレクションが外に出ることが真の喜びであると。しかし矛盾するだろう? ここまで多くを集めておいて放出することを望むとは、私の性格からはとても想像つかないと思っただろう?」

「それはそうです。あなたは欲深い人だったので」

「……昔はそうだったろうな。だが今は違う。私がただ自分の趣味趣向のために怪異たちを集めていたわけではないことを、君に理解してもらいたい。私はね、人間の世界からあぶれた怪異を一斉に放つことで新たな歴史を作りたいと考えているのだよ」

「新たな歴史とは?」

「……怪異が隠れることなく生きることができる世界だ。その実現のために、何も知らない人間を狩りつくす」


 ……中々大きく出たものだ。内心ずっと溜息をついているが僕は耳を傾ける。


「ああ、わかっているとも。こんなことをしても何にもならない。しかし私がこの荒唐無稽な計画を進め続けたのは一重に、君の求める野望よりも遥かに大きい物を自分の手で成し遂げるためなんだ。瀬古君。私はずっと君のことが嫌いだったからね」

「……それで、見せしめに彼らを連れ去ったと」

「それだけではないさ。彼らは、怪異でありながらも人間である。怪異としての本質を持っていながら、当たり前に世界を闊歩している。だがここにいる怪異はみな、人間社会を歩くことが出来ないのだ。彼らはみな迫害され、居場所を剥離された存在だ。一歩でも外に踏み出そうものならすぐに消失してしまう。瀬古君。怪異が自然に消える条件を君も知っているだろう?」

「……元となった人間の欲望が、現代では既に存在しないと証明されてしまったとき」


 怪異とはいわば、人間の闇が作り出す存在。自然発生するものであるとしても、その発生源は人間にある。原因不明の事態には、正体不明の存在を想像することで責任を擦り付ける。不条理があるとすればその要因を押し付けられるような身代わりを考える。その積み重ねが怪異を産むのだ。

 怪異と人間は表裏一体。逆に、人間側の持っていた問題が解消されたとき怪異は意味を無くす。人間の陰を背負う必要が無くなった怪異は途端に梯子を外されて消滅するのだ。


 それが怪異の儚い点であり、僕が興味深いと思えてしまった部分である。


「考えてもみたまえ。怪異たちは、自分の苗床となった闇が無くなったと知ることはできないのだ。だから彼らを消させないためにここに集めた。人間社会の状況を一切伝えさせないように封じたのだ」


 大場は己の目的を強迫観念に駆られるように語った。その額は汗で濡れ、息切れをも起こしている。


「流天の剣女らには、私の所有する怪異の苗床となってもらう」

「……なんだって?」

「人間世界に溶け込んでもなお自分の存在を保っていられる彼らの肉体に乗り移ることで彼らはようやく外へ旅立てる。そしてしかるときに呪縛から解き放たれ……今ある世界に反旗を翻す」

「……随分と大きな野望だ。何があなたをそこまで駆り立てる? そこまでしてあなたに何が残る? あなた自身の願いは本当に僕への敵意だけなのか?」


 すると大場は立ち上がり、部屋の隅の引き出しに手をかけた。

 そこから、一つの古い盤のようなものが取り出された。


「瀬古君。今から———オセロをしよう」

「は?」

「リバーシだよ、リバーシ」

「いや何を言って……」

「昔暇なときはよくやっただろ」


 大場は座り、石をばらまいた。


「手持無沙汰な時にはよくやったろう。どうせ君がどう抗議したところで結果は変わらない。せめて時間くらいは潰そうじゃないか」

「……大場。貴様は」

「怪異を使おうとしても無駄だぞ。この部屋で一度でもその素振りを見せたら、瞬時に心臓を潰せるように仕込んである。僕も含めてね」


 平等に石を配り終え、大場は笑みを戻した。

 大場の言う通りらしい。今僕の心臓が鎖のようなものに巻きつかれた。これは大人しくゲームに興じなければ刈られてしまいそうだ。


「なに、不安に思うことはない。このゲームの勝敗で命が取られたりすることはない。ただの暇つぶし。適当な会話をしながら楽しもうじゃないか」


 盤の中央に石が置かれる。

 つまり、僕と大場の、ようやくの遊戯が幕を開ける。

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