鳰下町ミュージアム-12 楽/自由

———一基礎の部屋。カフェにて。


「エイダ……そんなに食べてお腹くちくならないの?」

「全部別腹だから大丈夫だよー」


 机の上には何回目のおかわりかもわからないほどに空のグラスが並べられている。スプーンを運ぶ動作は速度を緩めず、エイダはもぐもぐと頬を膨らませている。何度注意しても口元に生クリームをつけてしまうのでその度に拭ってあげていた。


「お姉ちゃんこそ、もう食べないの?」

「わたしは元々たくさん食べられないから」


 もったいなーいとエイダはイチゴを口に放り込んだ。蕩けたようなその顔をぼんやり眺めていると、エイダが突然思い出したかのように身を乗り出した。


「お姉ちゃん、マキとはいい感じなの?」

「いいって……なに?」

「またまたー」


 誰もいない店内をわざと見回すフリをして、小さな声で囁きかけてくる。


「好き、なんでしょ?」


 にまにまと期待を寄せた目を向けてくるエイダ。

 その一方で、わたしにはなんのことだかわかっていなかった。


「え、天ちゃん、もしかして脈なし?」

「……それ冗談のつもりで言ってる?」

「言ってないよー! マキのことどう思ってるのかなーって!」


 そんな、驚くような目で見られても困る。


「近衛くんは……友達だよ」

「んえー! トモダチ!? フレンド!? ワタシがいない間ずーっと二人っきりで過ごしてたって聞いてるよ!?」

「ずっとってほどでもない。まあ……それなりに、仲良くはなったけど」


 手持無沙汰だった。スプーンで空のグラスの中をなんとなくかき混ぜていると、エイダはふーん、と頬杖をついた。


「まだそこまでは行ってないってコト」

「……その顔、なに」

「べっつに何も―?」


 つまらなそうに返され、若干癪に障る。エイダはそんなわたしを気にも留めずに食事を再開した。

 こくっと飲み込むと、切り替えるように声の調子を一つ上げた。


「ワタシはこれでも、この時代じゃ天ちゃんの先輩だしね? 当世の男女の関係にはそれなりに詳しくてございますワヨ?」

「変な喋り方」

「へへー。ねーねっ、天ちゃん。こっちに来てから、楽しい事あった?」


 ……楽しい事。


「天ちゃんってばぽーかーふぇいすなんだから。楽しいのか楽しくないのか、わかんないんだもん。だからちょっと、お姉ちゃんのワタシは心配してたのよ?」

「心配されるも何も、わたしのことはエイダには何の関係も———」

「そんな悲しいこと言わないでよー」


 エイダはダラリと、上半身を机の上に預ける。そしてただただ純粋な目でわたしを見上げていた。いや……純朴な子供のそれ以上に。わたし自信を透通すような、宝石のような視線だった。


「生きてて、楽しい?」

「———」


 数刻の沈黙。わたしは、恐る恐る頷いた。

 エイダにとっては満足な返事だったらしい。そっか、と起き上がり、パフェの容器がいつのまにか空になっていたことに気づくのだった。


(……楽しい、か)


 わからない感情の一つ。

 実感することも、存在することさえも知らなかった情動。この世界に来てから初めて、そんなものがあると理解できたくらいだ。


 ……自信も無く頷いたのは、自分の中の楽しいと思う気持ちを疑っていたから。

 これがそうなのだろうか。ただ無為に、死に場所を探すだけの生とは違う。明確な「したいこと」のために生きる、生の在り方。それに気づけたのは最近のことでちっとも実践できているとは思えないけれど。


 でも。それでも今までの生き方と比べてみたら断然違っていた。

 周りに、わたしを嫌わない人たちがいる。帰れる場所がある。あたたかくて、美味しい食べ物もある。知らないことが、たくさんある。


 少なくとも、そんなものに心揺さぶられているこの毎日はきっと。ただ歩き疲れるだけの日々よりはキレイなもののはずだった。


「初めて会った時よりも、やっぱり雰囲気変わったよ。天ちゃん」

「……そう?」

「うん。柔らかくてカワイイ感じ。きっとマキのおかげだね! ねーねー、ホントにマキとはトモダチってだけなの? それ以上の関係になる予定はないのー?」

「そんなこと言われても……人の関係のこととか、まだよくわからないし……」

「うーん、まーいっか! それはこれからの楽しみってことで! そろそろ行こ! マキも一人じゃ寂しいでしょーし!」


 やっと満足したらしい。エイダはおなかをぽんぽんと叩いてカウンターに声をかけた。


「……あれ?」


 疑問符を浮かべたエイダにつられ、店員がいるはずのところを見てみる。そこには誰もいなかった。そして知らないうちに流れていたはずの音楽も鳴りやんでいた。


「どこいったんだろー……おーい店員さーん」


 きょろきょろするエイダと一緒にわたしも周囲を見回していた。



『———————————————————————————————————————————————————————————————————————————————』


「———あ———れ」


 瞬間。

 脳を、一本の細い糸が通り過ぎっていった気がした。


「———エイダ!」


 飛び上がってエイダに駆け寄る。エイダも「違和感」に気づいたらしく、顔色を変えてわたしの方を見た。


「天ちゃん!」


 互いに互いの名を呼ぶ。手を伸ばし、掴もうとした。


 でも。


 間に合わなかった。

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