鳰下町ミュージアム-8 遊びに/行こう
「———なんだって?」
夕方。事務所に戻ってきた瀬古さんに事の詳細を伝えると引きつるような困り顔を見せた。
「もう一回言ってくれないかい?」
「だから、美術館のチケットが当たったって」
横で天がチケットを三枚ひらひらさせている。瀬古さんは困ったように手のひらを額に置いた。
「よりにもよって、“鳰下町ミュージアム”か」
「なんだ、知ってたんですね。一枚余ってますけどどうですか」
肩を落としてデスクに戻った瀬古さんはいらない、と返した。同時にエイダが頭を肩に乗せながらチケットを覗き込んだ。
「なんで余ってるのー」
「銀が……友達がいらないって」
「どうしてこう……君は無駄に巡りあわせがいいんだい」
なんのことだろうと思っているとエイダがチケットを一枚抜き取り、ソファに倒れ込んだ。
「キューマに運でも見てもらおっか? マキ」
「いやいいよ……鳰下町って、陶器とかで有名な地域でしたよね。でもこの美術館は伝統工芸と全然関係ない展示物しか無いって聞いたことがあります」
「君も知ってたのか」
「そりゃあ、噂程度には」
「そうかい。ちなみに行くのはあまりオススメしないよ」
「どうしてですか?」
「館長が良い趣味してるから」
ああ、なるほど。瀬古さんとその美術館の関係がなんとなく理解できた。
「ええーっ、いこーよ。面白そう」
エイダが顔を上げ、見て見てとスマホの画面を突き出した。
「これ、美味しそうでしょ?」
「……」
「……」
「……」
館内にあるカフェのページが映し出されていた。見るも愛らしいパフェとケーキの写真である。
「確かに。これはすごく、“罪”かもしれない」
天までもが乗り出してスイーツにくぎ付けになってしまった。目を輝かせて、行かない理由ありますかと言わんばかりの期待がこもった顔を見せている。
「……ホントにね。行かない方がいいから」
バツが悪そうに呟く声。ふと見ると瀬古さんは珍しく書類整理に着手していた。
「瀬古さんがそんな風に言うなんて、珍しいですね」
「そういうこともあるさ」
それだけ返して瀬古さんは机の上の仕事に向き直した。まるで何かを忘れるために作業に集中しているような。そんな印象を覚えたのだった。
「天ちゃん天ちゃーん! パフェ、食べたことないでしょー? ほらほらこれとかぁ……クリームの上にフルーツがいーっぱい乗ってて、すっごく美味しそうでしょー?」
「ぐっ……スゥー……」
一方で女性陣二人は姉妹よろしくじゃれあっている。(といっても天は心底嫌そうだが)
エイダに煽られているのが癪に触ったのか天は何度も距離を離そうとしている。しかし執拗にエイダが天をとっつかまえてくるので永遠に逃げることができないのだった。
「素直になりなよぉ……」
「ぐうぅ……! スゥー……」
エイダはスマホを顔に押し付けて天の困り顔を楽しんでいた。無邪気な妹の言葉に素直に頷けない姉。しかしどうしても目線は画面上の見た目麗しいスイーツに滑ってしまい、喉の奥から小動物のような唸り声を鳴らしているのだった。
その夜。自室で鳰下町ミュージアムについて調べていた。
「大場 廉之助……」
都内の大学で文学部を出で、院進、学芸員を経て、若くしてミュージアムの館長となった人物。
そもそもこの美術館自体が世襲制で運営されているというおかしな作りになっている。鳰下町自体は伝統工芸品でそこそこ名のある地域ではあるが、その文化と当館の展示には一切の関連性が無く、貴族が気まぐれで建てたコレクションルームのような印象を覚えた。事実、展示されているのは海外から取り寄せた、珍しく高値であるというだけの嗜好品の数々。
地域性との紐づけが無いため地元民からも良い印象を持たれていないという、不思議な施設なのだった。
(……佐々木迷宮みたいだな)
ふと、脳裏に不気味な清廉さを持っていたあの家屋が過ぎった。同時に瀬古さんとあの館にはなんらかの関係があることに確信を持てたのだった。
翌日。
着信音に起こされてスマホを耳に傾けると、
「マキ! 今から駅集合ね!」
と、朝から元気な子供の声が入ってきたのだった。エイダはそれだけ伝えるとこちらの返答も待たずに電話を切った。
「……このお嬢様。ホンット元気だな……」
一回起こされてはもう睡魔は帰ってこない。二度寝が出来ないタチだった俺は足から跳ね上がるように寝具を降りた。
駅まで行くと案の定エイダと天が待っていた。
「……寒くないの?」
まだ二月だと言うのに二人は軽装だった。エイダはドレスで天はいつものパーカー。コートにマフラーまで着込んでいる自分が馬鹿みたいだ。
「子どもは大人よりもあったかいからだいじょぶなのよー」
「そんなこと言ってたら風邪引くよー? 天も、ちゃんと寒さ対策してる?」
「元々肌の感覚薄いから、大丈夫」
「……」
そんな、グッジョブしながら言われても。
「早く電車乗ろ!」
俺と天の手を取ってエイダが駆けていく。
いつにもまして人の少ない電車に揺られ、早朝の鳰下町へと足を踏み入れたのだった。
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