鳰下町ミュージアム-6 反/転
「……今、何と?」
何かの聞き間違いか。そうでないなら気でも触れたか。訝しんで大場 廉之助を見つめる。
「私のコレクションを買い取るつもりは無いかね」
やはり、その言葉に間違いは無い。
僕の見立てだと大場という男はこれでもかというくらいには強欲な男だ。そして同時に執心深い。目を付けた美術品は必ず競り勝ち、獲った物は決して手放したりはしない。
そう、思っていたのだが。
「意外そうな顔をしているな?」
「……ええ、そりゃあまあ。理由をお聞きしても?」
「なに、ただの在庫処理だよ」
「なるほど。とてもあなたの口から出たとは思えない突飛な提案ですね」
じっ、と彼の顔を見やる。この提案に何の裏があるのか見極め切れるかと思ったが、この肉眼では無理があった。
「例えばそうだな。これはどうだ?」
彼の背後にある何者かの肖像画を差される。さして興味もない美術品だったが企みを探るために一旦笑顔を作ってみる。
「そちらは、いくらでお譲りいただけると?」
「そうだな、五万ほどでどうだ」
「は?」
呆気に取られつい顔を崩すと大場は待っていたと言わんばかりの顔を見せた。
「……どう見ても万で収まるようなシロモノには見えないのですが」
「それはそうだ。これを買い取ったときは確か……億は超えていたよ」
わけがわからない。この絵画に対して興味を失ったとでも言うのか?
考えているうちにも大場は話を続ける。
「ちなみにこれは例え話だ。君の後ろにある彫刻でも良い。君の決めた額で売ってもいいが」
「一体どういうつもりです。今までの相談とは全く逆のことをおっしゃっているが」
「ほんの気まぐれだよ。断捨離というやつだ」
裏を読めない。彼の変化を察することすらできない。あたかも自分は最初から変わっていないのだとでも言うように、彼は悠々と戻ってくる。
「どうかな。館内にあるものはなんでも君に渡すつもりでいるのだが」
「何の見返りをご所望で? これでは商談にすらならない。仮に僕が取引に応じたとして、そちらには何のメリットがあるのです」
残った紅茶を啜り、大場はゆるりと語った。
「私のコレクションが、この館の外に出る。それこそが最大のメリットだよ」
このやり取りの中に定量的な話は無かった。彼は常に、「心」の話をしている。今までもそうであったように、この男は自分が満足できるかどうかというただ一点のみで会話をしている。
お話にならない。
「君は物語を扱うんだろう? どうだ、ここには昔話を記録した古来の巻物もある。それから隣国から取り寄せた———」
「館長。この話は無しにしていただきたい」
立ち上がり帰宅の準備を始める。
「おや。気に入らなかったのかな?」
「気に入るも何も……僕が求めているのは純然たる「お話」だけだ。華奢な芸術でも、ただ歴史的価値のある巻物でもない。単なる物体では、僕の心は動きません。曰く付きの呪物であるなら話は別ですが」
「曰く付き、か。君の物好きも変わらんな」
背を向けて部屋を後にしようとする。今回は特に実にならない雑談だった。同学のよしみで度々顔を見せていたが、それもここまでだろう。
二度と会うことのない男を顧みることなく、まっすぐに扉の前へ進んでいった。
「そういえば瀬古君。天君とエイダ君は元気かね」
歩を止める。
「……なぜ、わざわざ二人のことを?」
「君の可愛い助手のことだ。私とて気にはするとも。それも孫のようにね」
慈しむような笑い声を背中に浴び、
「そうですか。ええ、元気にやっていますよ」
と、これで満足かなと思いながら返した。
クク———と、大場の笑いは引きつったものに変わった。
ああ、そういえば嫌いだったな。その癖のある高音があまりにも特徴的すぎて、結果僕にも移ってしまったのだ。それほどまでに大場という男は自己主張が強く、その気質はウィルスのように学生たちに伝播していったものだった。
「では、これで失礼させていただきます」
そう言ってドアを半分ほど押し開けた時、
「近衛槙」
と、大場は彼の名前を突然口に出した。
「近衛家の末裔———だったかな。以前君は言っていたね。確か、今の代でかの者が生まれ変わるのだと。その器が、彼なのだと。どうかね、近衛槙とやらは。既に手中にしているんだろう? 君の壮大な企てがやっと形になる……楽しみだねえ」
「———ええ、そうですね。彼自身はとても優秀です。ただ……」
「ただ。何かね」
記憶にある近衛槙の姿。そして幼いころに見た、古小屋の絵巻に書かれていた人物の姿を重ね合わせた。
「今の少年の人格を削ぎ落すのには、些か時間がかかりそうです」
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