幕間

 このお話は無意味。キミが覗く必要は無い。


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 時刻は夜の九時ごろを回っていた。人気は少なく電柱もまばらな林道を一台の黒い高級車が走っている。

 前部座席には黒のスーツとサングラスをかけた体格の良い男性が二人。そして後部座席にはウトウトと目を閉じかけている主人の幼い一人娘、エイダ・ミラが座っていた。


「お嬢様、御帰宅後はすぐに眠らずに、入浴なさってくださいね」


 助手席側の男が振り向いて伝えるとエイダは溶けるような声で、

「眠いから、ぃや……」

とだけ答えた。


「いけませんよ。お召し物も汚してしまわれたようですし」

「……それは掃除のとき二人とも来なかったからでしょー」

「しかしお嬢様が自分でお掃除に取り組もうとは。きっと御父上もお喜びになられますよ」

「へへぇ、そっかなー」


 二人の会話を静かに聞き流していた運転中の男は、

「戻ったら、ご褒美にお菓子でもいただきましょうか」

と伝えた。そしてエイダは「本当!?」と一人歓声をあげているのだった。


 ———そして。この車内での会話を、外から聞いている者が一人。


「……ん」

「どうかしたか」

「今、何か聞こえなかったか」


 助手席側の男が違和感を覚える。車内では道を駆けるタイヤの音しか響いていない。


「……気のせいか」


 取るに足らない些事。ただの聞き間違いだと脳の奥隅に追いやろうとしたその瞬間。


『停まれよ、そこの車』


 聞こえるはずのない何者かの声が脳内で木霊した。


「———!?」


 自動車は急ブレーキをかけられ、タイヤを引きずりながら速度を落とす。


「お嬢様!」「うう、無事―!」


 シートベルトのおかげで頭を打たずに済んだエイダ。しかし脳の中では未だに、

『偉い偉い。安全の確認は怠らずにな』

と、聞き覚えのない男性の声が響いていた。


 そして突然、ボンネットの上を一本の足が踏みつけた。その音に応じて全員が前方を見る。そこには灰色のジャケットを着た男が一人———


『わりぃな、急に止めちまってよ。後ろの嬢ちゃんに用があんだ』


 彼は音叉を耳に当てながら口を開いていた。



「誰だ!」


 黒服の二人がドアを開ける直前に彼はボンネットに乗り上がる。そして音叉をマイクのように持ち、

『出る必要は無いぜ。オレは聞きたいことがあるだけなんだ……あー、こっちの声は届いてるよな? そっちの声は聞こえちゃいるんだが』


 それでも出ようとする二人をエイダは「待って」と命令した。彼らはエイダを見る。先ほどまで眠たそうな顔をしていた少女は瞬時に表情を切り替え、気品のある眼差しを目前の何物かへ向けていた。


「話なら聞いてあげる。それよりもあなた、耳が良いのね?」


 その質問ににやりとした彼は、


『おうその通り。お前たちの会話も丸聞こえだったぜ』

と返した。そしてエイダと彼の問答は続く。


「どういった仕組みなの?」

『言うかよ』

「どこでワタシを知った?」

『聞こえただけだぜ? 特にアンタが詳しそうだったんでな』

「いつ?」

『ついさっき。いや? 部下の調べも含めりゃ、一月前にはもう、アンタらのことは把握していた』

「そう」


 エイダは静かに外にいる男を凝視する。車のライトが逆光と化し、その顔を拝むことはできない。しかし表情が視えずとも、少女の中の怪異たちは警鐘を鳴らしていた。


 ———コレは、同類だ。


「なにが聞きたいのかしら?」


 少女の呑んだ固唾の音を、男は確かに聞き届けて口を開いた。


『この車、どこから走らせてきた?』

「……」


 少女の鼓動が一拍高くなるのを聞いた。男は続ける。


『オレは音を聞くだけで街一つ分の構造を把握できる。しかしこの道の奥にあるエリアだけは聞きとれない。どうにも、オレらのような部外者には認識できない結界が張られているみたいだ。なあ嬢ちゃん。一体ここから先には、何がある?』


 少女は呆れ、溜めに溜めた息を吐く。諦めるように。しかし鋭利な目つきで再度男に向き直す。そして断言した。


「そこまで調べがついてるなら、わざわざ正体を隠す必要もないでしょう? 

『———御明察。いやはや、聞くまでも無かったな』


 男は飛び降りた。そして一歩ずつゆっくりと後退する。


『白い着物の女はそこにいる。違うか?』

「さあ? 教えるわけないでしょう?」

『だよな』


 男は止まる。そして顔を手で覆い隠し、くく、と笑う。


『ならば、こじ開ける』


 空気が変わる。空気が震える。空気が、歌い始める。


「ッ羽立うだち砂近さこん!」


 少女は前席で臨戦態勢を取っていた二人の名を叫んだ。男たちは同時に車外へ飛び出し、


「猿の剛腕!」「小袖の拳!」


 それぞれ、体内に眠る怪異を解放させた。運転席に座っていた男は羽立。その右腕は巨大な猿の腕へ変化する。一方助手席に座っていたのは砂近。その左腕から枝分かれするように数本の青白い細腕が生えだした。

 一斉に灰色の男へ殴りかかる。ニヤニヤと薄く笑うままの男は音叉を弾き、二人の腕を瞬時に切り刻んだ。


 羽立と左近はその場で倒れる。二人を見下げて男は、

「こっちはガチの殺し屋だぜ? 語りもねえ怪談話なんぞに後れをとるわけがねえだろ」

と一蹴した。そして血まみれになった一方の腕を転がして挑発する。


「降りて来いよ、ガキ。その鼓膜、弾き割ってやる」


 しかし車内からは何の音も返ってこない。男は疑問に思う。自分の耳にかかればあらゆる微音も決して聞き漏らさない———だが、そこには何の音も存在していなかった。

 じっと観察していると後部座席のドアが開いた。なんだ、いるじゃねえかと耳の孔をほじくりまわしながらも男は、

「あ———?」

と声を漏らしたのだった。


 電柱と自動車の明かりだけが頼りの暗がりの中、降りてきたモノの正体をすぐ看破することは難しい。しかし確実に明言できることが一つある。

 今降りてきた女は、さっきまでの少女とは全く別の存在———。

 二回りも小さいと考えていた女の背丈が、己と同じほどにまで伸びている。

 この突然の変化に男は興奮するように声をあげた。


「変身型の怪異か! おもしれえ」


 呼応するように「エイダ」だったはずの長身の女性は細い目を向け、小さく冷笑する。

 美女が前進するとその全貌も明らかになった。彼女は今にも踊りだしそうなヒールを掃き、夜風に揺られる空色のドレスを身に纏っていた。


「アンタ、【名前】は?」


 男から疑問を投げかけられた彼女は、

「こういうの、殿方からお伝えするのがマナーではなくて?」

と脳を透き通すような美声で返した。


「それもそうだ。じゃ、名乗らせてもらうぜ」


 男は音叉を弾く。瞬間、エンジンと夜風の音が遮断され、無音の世界が訪れた。その中で男は己の声を響き渡らせる。


かなで 教次きょうじ。防人ではあるが、雇われの身だ。しかも本隊のな。つまり、強さはお墨付きだ」


 手の上で音叉を回転させ、奏は挑発する。


「アンタは?」


 彼女はスカートの裾を持ち上げ、

「鏡の国のシンデレラ」

とだけ答えた。


奏はふーん、と鼻を鳴らし、

「じゃ、踊り明かすか」

地面を音叉で叩きつけた。


 大地が揺らぐ。オーケストラのごとき音の大波が「エイダ」の足元を攫いに来る。

 ———一歩、軽くステップを踏む。

 瞬間彼女は空高く飛び上がり、夜空の月兎と化す。

 奏は一、二、三と連続して音波を突き上げ、空気に揺らぎを与える。それは耳を貫く嬌声となり天上の彼女を覆った。

 その見えない壁の隙間を縫いながら彼女は落下する。時に、その透明な流れに飛び乗りながら。

 ———二歩、相手に合わせて、小さく。

 気づけば「エイダ」は奏のすぐ眼前に迫っていた。「やべ」と呟く暇も与えず彼女は男の両肩に足を降ろした。そして、踏み飛ばす。


「ぐおおおおおっ!?」


 バランスを崩しながら転がっていく男を「エイダ」はあらあら、と眺める。そして、

 ———三歩、歩幅を大きく。

 立て直す時間は決して与えない。瞬間的に懐にもぐりこんだ踊り手は回し蹴りを叩きつける。

 瞬時に防御の姿勢をとった奏はその足を震える腕で受け止めている。


「ホントに、同一人物かぁ……?」

「そういうあなたこそ。さっきまでの威勢はどうしたのかしら」


 余裕綽々、理路当然。挑発には挑発を。しかしそこで「言ってくれるねえ」と溢した奏は指で弾いた音叉で「エイダ」の頭を殴りつけた。


「———!」


 脚の力が弱まったところを見計らい、奏は距離を取った。


「やれやれ、結構な武闘派だな、アンタ」


 耳を抑えて脳の揺らぎを止めている「エイダ」はぎっ、と奏を見つめる。


「反対にそっちは大したことないわね。音を使うと聞いて良い舞ができると期待したのだけれど」

「わりぃな、オレは耳を潰すくらいしか能が無いのさ。だが手練のダンサーなら、どんな音にもノッてみせるもんだろう?」

「冗談。相性というモノをご存じ? アナタの奏でる音楽は聴くに堪えない。ただ闇雲にウルサイ音だけをかき鳴らすだけ……小鳥のさえずりの方がよっぽど可憐よ」


 すると奏は地面を力強く踏みつけた。そしてじりじりと石ころを踏みにじっている。


「……オレは鳥がつぶれる音の方が好みだぜ」


 彼は両手を広げ、マエストロのように構える。


「舐めんなよ。オレは音という怪異を司る伝承者。音を操るということ即ち、空気そのものを味方につけているに他ならない」


 周囲に流れているはずの、見えない波。額に怒りの線を走らせた仮初の指揮者は、最初に呪言を吐いた。


『私が立つ限り、ここは荘厳たる舞台なのだ。前に座る悉くは我が意向に従い、後方にて待つ観劇者の全てが私の前に平伏す。そう、ここは最期の演奏。我が生涯における、最後の、嗚呼……』


 その口がもたらす物語は、一体誰の人生であるのか。その真実は、奏 教次自身にもわかりはしない。


何故、私の脳裏に届かないDie letzte Vorstellung endete


 瞬間、「音」という概念が世界から消え去る。足音も、呼吸も、胸を突き上げる心臓の音でさえ、無音と化す。


【自慢の舞も踊れまい。耳を封じられたダンサーなど無価値】


 聞こえるはずのない言葉を残しつつ、耳のない指揮者は歩く。一方の「エイダ」は目を閉じている。聞こえない音をそれでも探るように。静かに、待ちわびていた。


【耳を澄ませたところで意味は無いぞ】


 後ろに回り音叉を回した。瞬間音叉は刃を跳び上がらせ、ナイフの形となった。

 ゆっくりと物言わぬ彼女の背中へと近づいていく。そして先端の切っ先を、その細い体に突き立てようとした———。


 しかしナイフが届く前に、彼女は踊り始めた。

 ワルツ———跫音も響かないはずの舞台の上で、彼女は円を描く。

 一人で、足を組み替え、見えない何者かと手を取るように、しかし孤独に、求めるように歩く。

 なんて情熱的な円舞だろう———「音楽」の語り手ではない奏であっても、その目には確かに物語が映っていた。


 言葉のない表現が、そこにあった。


【……しまっ———!?】


 そして、気づいたときにはもう遅い。

 奏は既に、「エイダ」の手を取っていた。

 そして、全ての幕は閉じられる。


『———片割れの円舞曲』


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 全ての音が帰ってきた世界。彼女は言葉で語る。


「この踊りは永遠に完成しない。未完成であることが完全の踊り。これに魅入られ加わろうものなら、この曲はあなたに牙を向く」


 それを聞いた退場者は笑う。


「……オレたち怪異使いは、口での詠唱を以てして怪異の本能を突き動かす。さっきの技はそれら全てを遮断する裏技だったが、なるほど。踊りとはな。舞踊もまた物語を表現する手段ってことか」

「ええ。生憎とリズムは体に染みついていたの。いくら無音の世界を作り上げようと、肉体の表現は、「見る音楽」を作り出す」


 奏 教次は起き上がった。


「撤退だ。てめえ、覚えとけよ」


 そう一言捨てると、奏は空気の揺らぎの中へ消えていった。


「その口、治した方がいいわよ?」


「エイダ」は消えた男に向かって、ただそれだけを伝えたのだった。

 

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