鳰下町ミュージアム-4 再会/再開

 食後。窓を見ると空が薄暗い青に染まっていた。そろそろ帰宅をと荷物を持つと天に肩を叩かれた。


「なに?」

「ちょっと、待ってあげて」


 待ってあげて、とは。一体何事だろうと考えていると天が目線でエイダを示した。


「待っててねー、まだ気持ちの準備できてないってー」


 そう笑顔で答えては奥の部屋に消えていった。引っかかる言い方だった。「できてないってー」。まるで第三者のような語尾。瀬古さんはソファに座ったままぐうすかと寝ているし、まるで俺たち以外にもう一人誰かがいるような口ぶりだった。


「……何があるの?」


 天に聞く。しかし、

「さあね」

とだけ返して瀬古さんの頭を真上から叩いた。それはもう剛速球で。


「瀬古さん、起きて。自分の部屋に戻って」

「……まだ、八時間くらい……」


 あれだけの攻撃を受けても瀬古さんはなお寝ぼけている。


「はあ、仕方ない」


 天は背中の麻袋を取り出して瀬古さんの頭をだんだん、とぶつけだした。


「あっ、いっ、ちょっと、わかった、わかったから。行くから。今部屋戻るから」

「ほら立って。早くして」


 やむなしと立ち上がる瀬古さんの重い腰を天はずっと蹴っている。そのまま二人は姿を消し、この部屋には俺一人が残った。一方、エイダが入っていった部屋からは微かに話し声が聞こえている。


「(いつまで照れてんのー? マキ帰っちゃうよー)」

「(ワタシも、眠くなってきちゃった……)」

「(ねえ早く早くー)」


 自分の中の怪異と話しているのだろうか。聞き耳を立てているとどうにも俺に用があるらしい。

 いや、俺に用がある怪異ってなんだ。そんな知り合いみたいな怪異とかいないぞ。

 いない、はず。

 なぜだろう、自分の考えを断定できない。何か、忘れているような。

 それも忘れてはいけないような。

 何だったかを思い出そうと唸っていると、部屋の扉が開いた。そこには顔を下に向けたエイダがいた。さっきまでの元気っぷりから一転。やけにたどたどしく歩いている。そして一メートルほどの距離になったとき、目だけを動かして俺を見上げた。


 少女の顔を見た。仄かに紅い柔肌。寂しいようで、怯えているようで、しかし嬉しそうでもあるような目が自分を映している。


 ———見覚えがあった。


 この子は、知っている。俺はこの少女と会った気がする。


 目を擦る。そして改めて彼女を見た。そこにいたのは金色の髪が綺麗なイギリス生まれの少女ではなく。

 長く、ツヤのある黒髪を降ろした、和服姿の女の子だった。


「———久し、ぶり。お兄ちゃん」


 その声を聞いた瞬間俺は口を押えた。信じられない。こんなことがあるのか。だって、この子は。


「———瑠璃、ちゃん?」


 佐々木瑠璃。前の事件で出会った幽霊の女の子だったからだ。


—————————————————————————————————————


「うん……うん!」


 ウサギのように小刻みに跳び上がりながら和服の少女は自分の手を掴んできた。温もりのある、確かに血の通った手。しかし今すぐにこの状況を呑み込むことができない。


「本当に、瑠璃ちゃんなのか」


 疑念を捨てきれずに聞く。そして目前の少女は、

「そうだよ———ねえ、生きてる、でしょ? 私」

と震える声で返したのだった。


 以前の事件で遭遇した時、佐々木瑠璃はズタボロの衣装を着ていた。そして迷宮へ入り込んだ人々を取り込み仮初の「家族」として閉じ込めていた。逃げる者は数多の「腕」で捕らえて幽閉する。俺も天もかなり苦戦した彼女だったが、本来は心優しい女の子だった。

 満たされない愛の欲求。生者と死者のすれ違い。姉と弟の思い。様々な要因が重なり合い、佐々木瑠璃は自身の呪いに振り回され続けた。


 しかし今ここにいる彼女は、そんな過去を彷彿とさせないほどに「生きた」笑顔を見せてくれていた。


「うん、でもどうして? 何か、背も伸びてる気がするし……」

「それは……」「ワタシが説明しまーす!」


 突如瑠璃ちゃんの口からエイダの声が漏れだした。彼女は身体をひらりと一回転させると瞬く間にエイダに戻ったのだった。


「ワタシが実家に帰ってるときにツカから電話が来てね? ルリぴょんと友達になってほしいって頼まれたの! そしたら日本からメモが送られてきて、それ読んだらルリぴょんがワタシの中に入ってきたってワケ!」

「……はあ、なるほど」


 全くわからない。


「つまりルリぴょんもワタシの中に住んでるお友達の一人ってコト!」

「……さっきのキューマ、ってやつと同じってこと?」


 そ!と返すとエイダの姿は再び瑠璃ちゃんへと変わっていった。


「……最初はなにがなんだかわからなくて困ってたんだけど。みんな優しかったから」

「みんなって、他の怪異?」

「うん。ちょっとクセが強い子が多いし、いつの間にかみんなのお母さんみたいになっちゃってるけど……毎日すごく楽しいよ!」


 とても嬉しそうに話す瑠璃ちゃんは以前の何倍も大人びているように見えた。背が伸びているように見えるのもそのせいかもしれない。


「あ、あと少しだけ背も伸びてきたの」

「……マジで?」


 気のせいじゃ、なかった。


「私死んでるから伸びないって思ってたんだけど……変だよね」


 幽霊が身体的に成長するなんてあり得るのか? いやまあ、今の瑠璃ちゃんが霊的な存在だなんて到底思えないんだけれども。


「はいはいエイダでーす! ルリぴょんは他の子と違って人間みたいに成長できる怪異なので、ワタシの身体を使ってる限り背もおっきくなりまーす!」

「……なんで?」

「ツカが調べてるって!」


 そう言い残し再び瑠璃ちゃんへ。


「……ということ、らしいです」

「なんだか楽しそうだね。いっぱい入れ替わったりで」

「そうかな……?」


 困ったように笑う瑠璃ちゃん。入れ替わりで会話をする二人はまるで姉妹のようだ。瑠璃ちゃんの方がお姉ちゃんで。

 こうして話しているだけでもわかる。本当に、瑠璃ちゃんは大きくなった。


「———うん、楽しい。生きてるってすっごく楽しい。きっとあの家にいたままだったら気づけなかった。外の世界は、こんなにも明るいんだって」


 彼女の言葉を余すことなく記憶する。生きていても、死んだあとでもやり直しは効く。心が、思いが繋がっている限り人は何度でも再生できる。あの事件を通して学んだことだった。


「だからね……その、ありがとう。お兄ちゃん。あのとき、私のために怒ってくれて」

「やめてよ。こっちが恥ずかしいって」


 ふふ、と小さく笑う瑠璃ちゃん。そして再度手を掴み、その小さな力で何度も何度も確かめるように握り返した。

 俺は目線の位置を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「今度、どっかに遊びに行こうか」


 そう伝えると瑠璃ちゃんは屈託のない笑顔を見せ、


「うん……! 私、学校に行って」

「エイダは日本の遊園地に行きたいなー! あのお化け屋敷が怖いとこ!」


 突如エイダに戻ったのだった。


 その後エイダと瑠璃ちゃんは何度も入れ替わり、瀬古さんと天が見に来るまでの間ちょっとした一人演劇のような光景を見る事になったのだった。

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