海の玉並べ-6 珊瑚/命
海に「死」あり。
海の底に「ソレ」はいる。
ずっと深淵に居続けるソレは、住処に面しているこの町をずっと見上げている。
ある日、ソレの住処に、よくないものの足が侵(つ)いたんだとさ。
「天! 足冷たくないのか!?」
ずっと冬の水面に裸足で踏み入れている彼女に呼びかける。天は振り向くこともなく、ずっと地平線を眺めていた。
(……まあ、確かに壮観ではあるけど)
天に習って自分もその線を眺めることにした。
少しすると天はふと足元を見た。そして腕の袖を捲って海面に手を入れた。どうやら何かを拾ったらしく、それを持ったままこっちに戻ってきたのだった。
「どうした?」
「これ」
彼女の手には白い棒のようなものが。
「……あー、珊瑚かな。この辺にもあるのか」
「珊瑚?」
「海の深いところにいる岩みたいな生き物だよ。本当はもっとピンクとかの色をしてるんだけど、白い奴はもうほとんど死んでしまったやつだな。もっと南の海だと、海岸にこんな感じのやつがたくさん落ちてるんだ」
「海の中にあったのに?」
「流れてきたんだよ」
静かに手のひらの上に欠片を置く。
「本当は海が故郷だったのに、死んだら知らないところに流されるなんて。きっと帰りたいだろうに。ずっと海の底にいたなら、そこに帰りたいはずなのに」
そう言って珊瑚を海に返そうとする天を呼び止めた。
「無駄だよ、天」
「……なぜ?」
「海に還したところで、結局また流されてここに戻ってくる。確かに珊瑚は生き物だけど、その白いものはただの物体だ」
天がきっ、とした目線で振り向いた。
「さっき、死んでしまったもの、って言った、よね」
「……そう、だけど」
天の声には僅かに怒気が孕んでいた。帽子の鍔から見える目は、許しがたいものがあるという意思を示していた。
「じゃあどうして、ただの物だと言ったの?」
天の口から出てくる言葉に底知れぬ冷たさを感じた。背中に嫌な、冷たい線が流れていく。きっと冬の露なんかではない。
「ごめん。謝らせてくれ」
すぐに、謝罪しないと。そうしなければ、多分俺は彼女に———。
どうして、どうしてそんな風に思うんだろう。
「謝るんじゃなくて、理由を言って」
彼女の背には今日もあの刀が提げられている。下手なことを言ったらすぐに切られる。天の殺気がじわじわと湧きあがってきていた。
「……天は、その白い珊瑚をちゃんと生き物として見ているんだよな」
「近衛さんが、そう言ったんでしょ?」
「そうだけど……天に聞きたいことがある」
「なに?」
「天は、人間と珊瑚を同じ生き物として見ているのか?」
「……は?」
前々から気になっていたことを聞いた。天の持っている価値観。それをはっきりさせないことには、俺は何も言い返せない。
「そんなこと……」
天は息を溜める。
「そんなこと、当たり前でしょ」
「——————」
「生きていたなら、人間もこの子も同じ。死んだらただの物体だなんて。そうかもしれないけど、そんな酷いことは言わないで」
「その剣も、そうなのか?」
「そう」
天は間髪入れずに言った。やっぱり天は、俺とは違う。俺どころか、沢山の人間とも価値観が異なる。
「天。確かに俺は、珊瑚を生き物だと思ってる。でも」
嘘を言ったら痛い目を見る。自分の素直な価値観を晒すしかなかった。
「俺は人と珊瑚を、同等の存在だと思ったことはない」
「……近衛さんも、そうなの?」
「俺もって?」
「ここに来てから、たくさんの人を見てきた。瀬古さんから、たくさんのことを聞いた。そのたびにわたしは、こことは違うところで生きてきたんだってことを突きつけられた」
天は視線を落とす。鍔に隠れて表情は見えない。
「近衛さんには見えないの?」
「……何が?」
「この世界のものの命が。人の命しか見えていないの?」
ふと、雪が降り始めていたことに気づいた。肌に沁みる冷たさに今気づいた。そして波の音が急に大きくなった。
さっきまで自然の音や肌の感覚を認識できなかったのは、身体の不調のためだろうか。
「何も言わないのはそういうこと、か」
天は珊瑚を海に還した。またここに戻ってくるとわかっていても、そうせざるを得なかった。俺の預かっていた靴を引っ張るように取り上げ、背中を向けながら履いた。そしてさっきまで歩いていた海沿いの道を戻って行った。
それをしばらく眺める。また波の音が耳に入ってきた瞬間に、現実に引き戻された。
「天、待って!」
気がつくと五十メートルほど離れていた。すぐに追いかけ、彼女の後ろにつく。天は足早に進んでいた。
「この世界は、おかしい。この土も、あの水の流れも、風も。みんなに命はある。そのはずなのに、わたし以外の人は、ないものとして見てる。それが、わたしにはわからない」
あらゆる自然的なものに命を見る。それをとても古めかしい価値観だと思ってしまった。彼女は自分の物の見方と周囲との違いを受け入れることができないらしかった。学校に通っている様子も見られないのも、それが原因?
どうやら三時間近くそこにいたらしい。陽も落ちて暗くなってきていた。宿に戻るまで、結局俺たちは話さなかった。天の足に着いていくので必死だった。
砂浜から道に出たとき、海の方を見返した。天が、命が見えると言ったその風景を、もう一度見直す。そこに命がある、いや、それそのものが生きている。その目線で見てみようと思ったが、見れば見るほど気が遠くなり、頭がぼうっとしてきてやめてしまった。
俺はいつもの取材のように螟ゥを知ろうと思っていたが、蠖シ螂ウと話せば話すほど遠ざかっていくような、そんな諢溯ヲを隕壹∴縺のだった。
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