海の玉並べ-4 冬/小旅行

 当たり前のことだが真冬の早朝はあまりにも寒い。夜の冷気以上の冷たさを感じるのは、きっと外の世界が眩いほどの白で染められてしまっているからだろう。昨日の夜は大層雪が降ったらしく、窓から見える街には珍しく、雪で舗装された道ができあがっているのだった。

 大雪の後の晴れはとても冷たいイメージ。夏の太陽よりも輝いて見える。白で埋め尽くされた大地が陽光を反射し、その輝きが痛いほどに目に突き刺さってくる。これがまた部屋の冷気と合わさって尚更辛く感じるのだった。


 して。

 嫌でも俺はこんな早朝に起きたかったわけではない。


「槙―、降りてきなさーい」


 ……何時だと思ってるんだ?

 時計を見ると午前7時。少なくとも休日に起きる時間ではないとも。


「早くご飯食べちゃいなさーい」

「……え、今日何曜日?」


 慌てて枕の横に置いたままだった手帳を確認する。最新の記録は金曜日。なら今日は土曜日のはずだ。

 じゃあ一体なんでこんな時間に起こされなければいけないんだ。そんなことを疑問に思いながらのそのそとベッドから降りていく。雪寄せでもやらされるのかと若干気だるくなる。


 一階の玄関に出ると大きめなバッグが用意されていた。


「……何これ?」

「さあ槙、ご飯食べて二日分の活力ためときなさい!」


 にっこり笑顔でフライパンとお玉を鳴らして母さんが顔を出してきた。


「……二日?」


 一体何のことやらとぼーっとしていると、母さんが俺の背中を押して食卓まで持っていった。


「炊き立てだからね! 三杯くらいは食べときなさい!」

「え、なに? 今日なんかあるの? どこか行くの?」

「ああー! その前に顔洗って着替えとかなきゃ! ほら急いで!」

「いやなになに何か予定入れてたっけ!?」


 いつにまして騒がしい母親である。急かされて顔を洗い適当な服を居間の干し竿から降ろして着ていく。


「あ、ご飯済ませたらトイレ行っときなさいよ! 長旅になるらしいから!」

「長旅!? 本当に今日どこか行くっけ!?」


 何か予定があったっけと焦りながらも卓の前に座り、妙に豪華な気がする朝食に手を付ける。いつもなら朝食はご飯目玉焼きみそ汁の三品と質素なものになるのだが、変にサラダとか唐揚げとかが追加されたりしている。

 いや、唐揚げを朝から頂くのはちょっと……。

 しかし身に覚えのない焦燥感に駆られ、全品平らげてしまった。ちゃんと美味しかったです。


「食べた!? じゃあトイレに行ってらっしゃい!」

「そんなすぐ出ないって……」


 しかし強引に押し込まれて、出そうになかったものをなんとかして捻りだす。


「さあさあこれを持って!」


 玄関に連れていかれると見覚えのあるバッグを渡される。


「……これ修学旅行のときのやつじゃん」

「そうです」

「じゃあやっぱどこか行くのか……あれ」


 よく見ると母さんは何の用意もしていない。エプロンを着たままだ。まるで見送りをするつもりでいるような。


「母さんは行かないの?」

「……あ! 来た来た!」


 外から車の音が。母さんが真っ先にドアを開けると冷風が玄関に入りこんできた。


「うわさっむ」


とつい声に出したのも束の間、俺はとても嫌なものを見てしまった。


「ぐっもーにん槙くうううううううううん!!!」


 オンボロ中古車の窓を開けて、

 あの瀬古逸嘉さんが、満面の笑顔を持って俺を呼び掛けていた。


「ちょーっと待ってくれー、母さん? これはどういう?」

「サプライズ旅行に決まってるでしょ槙! 最近忙しそうにしてたし、たまには息抜きしてらっしゃい! 瀬古くんのことだからきっといい所に連れてってくれるから!」


 瀬古さんがいい所に連れて行ってくれた覚えはないのだが?


「さああああ槙くん行こうかあああ!!!」


 ずかずかと玄関に入り込んで瀬古さんは俺の手を掴む。そのまま引っ張られていく。


「嘘だ嘘だ俺は行かない! 俺は行きたくないいい!!!」


 後部座席に放り込まれてすぐに車は発進した。手を振る母親の姿はまるで独り暮らしをする子どもを応援するみたいだった。即ホームシックに陥ってしまったのは、俺がまだまだ子どもだからだろうか……。



 運転席の瀬古さんはいつの時代かわからないロックを聞きながら車を走らせている。後部座席には未だ状況を呑み込めていない自分と、いつも通りにじっとしている天が隣に座っていた。

 メンテしていないのか親の車よりガタガタと揺れている気がする。少し気持ち悪い。朝飯摂りすぎた。


「……これどこ向かってるんですか?」

「あれ、この間言った気がするけど」

「誘拐されること自体言われた覚えないですね」

「んえー! 旅行しようって言ったじゃん!」


 一体いつの話だろうか……。


「ほら、この間言ったばかりだよ? 海水浴行こうって」

「……海いくんですか!? こんな時期に!?」


 あははと笑い飛ばしてエンジンも飛ばしていく。この人の行動が全く読めない。昨夜は大降り、今は晴れているが午後から少し降ってくるという予報。そんな中で海に行ったら凍え死んでしまう。


「オーストラリアだとサンタは水着を着ているらしいよ」

「……そりゃ季節が逆だからでしょ」

「じゃあこの時期に海行っても何の問題も無いね」

「ここ日本ですよ」


 瀬古さんのアクセルを踏む足は緩まない。とって付けたようなカーナビは県の海岸部へのルートを示している。二時間はかかるらしい。

 正直瀬古さんと話していても埒が明かない。お気楽男の笑い声を無視して隣の方を見る。


 天は今日もあの刀を持ってきていた。本当に手放さないんだなと観察していると、うつらうつらと頭を揺らしていた。帽子から見え隠れしている瞳は閉じている。寝ているらしい。

 咄嗟に窓の方を見た。同年代の女子の寝顔がすぐ真横にあるのは落ち着かない。どうせすることもなし、これを機に瀬古さんに色々聞く……手もあったが、当の本人は旅行にうきうきでまともな話も聞けそうにない。予定より早く起こされたので、その分車内では寝て過ごそうと目を閉じたのだった。


 しかし結局眠ることはできず、目に見える風景などを手帳に記録するなどして時間を潰したのだった。

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