海の玉並べ-3 天/会話
「海行こうよ海」
「瀬古さん、カレンダー八月からめくってないんですか?」
事務所に入って早々そんなことを抜かす瀬古さんに呆れながら部屋を見渡す。そもそもこの部屋にカレンダーなんてなかった。
「槙くん冬休みでしょ? なら海行くしかないよねえ」
「はあ?」
ソファにバッグを置いて座る。何回も何回もこの事務所に出入りしていたせいで、もはや家のような安心感を覚えてしまっていた。
「……冗談言う前にやるべきことあるんじゃないですか?」
「なんだよーつれないなー」
天からレジ袋を受け取った瀬古さんはいそいそと冷蔵庫に食品を詰めている。天は一本のアイスを受け取ると向かいのソファに腰を落とした。
「お給料は、今日もないよ」
「はー……」
「あーその知ってましたよーって感じの溜息! いやだなー僕それ嫌いだなー!」
まるで駄々をこねる子ども。こねたいのはむしろこっちの方なのだが。
「だからさ、海水浴に行くってことでチャラにしてくんない?」
「ダメです。というかそんなに稼げてないんですか? 瀬古さん結構忙しそうにしてますけど」
口を塞ぐ瀬古さん。そこに天がアイスの棒を咥えながら一言差し加えた。
「忙しそうなフリをしてるだけ」
「……仕事ないってことですか?」
「違う!あるにはあるよ!?」
「この人、仕事選り好みするから」
「ええ……本当に大丈夫なんですかそれ」
「でかい仕事を回してるだけだって!」
あわあわと漫画みたいな手の振り方をしている。
「じゃあ、それが終わったら給料貰えるんですか?」
「……」
「なんで何も言わないんです……?」
「瀬古さん、この間来た封筒は?」
「……」
「わかりました」
「え、どういうこと?」
そんなこんなで今日もうやむやにされて引き延ばされたのだった。
瀬古さんは仕事だと言って(どうせ嘘)外出した。事務所には俺と天の二人しかいない。俺は持参しているパソコンを開き原稿を書いて時間を潰している。一方の天は、今日何本目かわからないアイスを食べている。
「天って本当アイス好きだな」
「……」
「バリバリくん……唐揚げ味?」
バリバリくんといえばソーダ味が定番だが、一体どんな思惑があるのか時折ゲテモノ味の商品を出すことがある。半年に一回の頻度で、この間は秋刀魚の塩焼き味だったはず。流石に挑戦する気も起きなかった。
「それ……美味い?」
天は上目遣いで俺を見てきた。そのまま何も言わずにアイスを食べ続けている。
「わかりやすい」
「わかりやすい……何が?」
「味が」
「……なるほど」
時折天の言葉遣いにも感心するときがある。独特の感性があるというか。初めてこの世界を見た宇宙人の反応、というか。
「天ってどこ出身なの?」
「出身……って」
「自分の生まれたところ」
天は少しだけ首を傾かせた。視線も下の方に向く。
「……わからない」
「わからないって、どういう」
「わからないから、わからない。生まれたところって覚えてるものなの?」
一瞬理解に戸惑った質問だった。少しだけ文化の違いを感じた。
「そりゃあ、覚えてるでしょ。俺は自分の町でずっと生きてきたし。もし引っ越したとしてもその場所は忘れないよ」
「どうして?」
「どうして……って」
「自分の生まれた場所も、大切なもの?」
天は、転勤族の家系に生まれたのだろうか。
「人による……んじゃないの?」
「みんな同じじゃないの?」
「みんな同じってことはないでしょ。生まれも違うし生き方も違うし。天みたいに、自分の故郷に執着がない人だって普通にいるさ」
「そうなんだ……」
何となく思って言ったことを天は素直に受け取った。
そしてまた会話が途切れる。しかし天のことを知るいい機会なので、部の取材の時と同じように話を広げてみることにした。
「天は色んな場所に行ってるんだな」
「どうしてわかるの」
驚きながら聞き返す天。
「……そうじゃないのか? 自分の故郷に思い入れがないってことは、ずっと違う場所を転々としてたんだろ? それこそ今はここに住んでるけど、瀬古さんは預かってるだけって言ってたし」
そんな自分の所感を述べていると天は若干引くような顔を見せていた。しまった、と思った。相手がまだ話していないことを推測しすぎてそのまま口にしてしまうとこんな反応をされることがある。なるべく気を付けようと意識しているがたまに忘れてしまう。
「近衛さんって、ちょっと……」
「ああいやごめん! 悪い癖だよ忘れてくれ」
なんだかさっきもしたような気がする手ぶりを見せる。天は訝し気にそれを見たままだった。
「別に、間違ってはない。わたしはいっぱい、歩いてきた」
咥えたアイスの棒を机に置き、天は口を開いた。
「場所は、一々覚えてられないけど。でもずっと歩いてた」
「歩いてた……なんだか旅人みたいだ」
天は首を横に振って俺の言葉を否定した。
「旅をしてた感覚はないの。どこまで行っても見えるものは同じだったから。歩いて疲れたら眠って、お腹がすいたら食べ物を探す。そんな毎日」
「……そんな、まるで」
飢餓を生き抜いてきた、みたいな言い方。天の言葉だけでなく、そのどこか虚ろな目の形が、現実味のない環境に確かに身を置いていたことを示しているようだった。
「だからこっちに来た時、すごく安心した。ゆっくり眠れる場所があるなんて思ってもみなかったから」
「天の言っていた場所はどこにあるんだ」
「もう無いと思う」
そういって天はまた帽子を深く被り直した。
「あの毎日は苦しかったけど、でも悲しくはなかった」
刀を大事そうに抱く。
「わたしは、一人じゃなかったから」
天にとってその刀は護身のためのもの以上に、心の支えであるみたいだった。
「前々から気になってたんだけど、その刀ってなんなんだ? 使ったら性格変わるし」
すると天は「えっ」というような顔をすると、刀を膝の上に置いてそっぽを向いてしまった。
……また何か変なことを聞いてしまったらしい。
それ以降また会話は途切れてしまった。
陽が落ちる前に家に帰ってきた。
今日もまた給料を回収できずに終わってしまった。明日は土曜日だし、折角の休日をわざわざ事務所に行って潰すのは気が乗らない。
明日はこの間部長が提案した新記事のために取材にでも行こうと決めた。自分で言うのもあれだが、重度な仕事人間だなと思う。
夕食を済ませ、風呂に入り、自室で普段のように本を読むなどして過ごし、今日一日に区切りをつけて眠りにおちるのだった。
目が醒めると、車に乗せられていた。
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