佐々木迷宮-エピローグ 記録/傲慢

 時間は十七時の放課後。色んなものの決着をつけようと「お話屋」の事務所にやってきた。この部屋には空調が効いていない。そもそもこの建物自体空き家のためか、備え付けられていた機具のほとんどが機能していない。唯一電気が通っているのは現在進行形で生活感を醸し出している冷蔵庫と電子レンジだけだった。


 瀬古さんのデスクを借りて今回の事件?のレポートを書いている。床下に漂う冷気に身体を震わせる。後ろのルーバー型のシャッターを開けているおかげでようやく日光の温かさを確保できていた。もちろん背中だけ。

 こんな環境でよく仕事できるなと内心不満を漏らす。でもこの微妙によろしくない環境が、返って目の前の仕事に集中させてくれている気がした。寒さばかりを考えていたら作業ができない。だから強迫的に仕事のことだけを考えることで寒さを紛らわそうとしているのだった。


 ふと机の先の光景を見る。

 向かい合う形で並んでいるソファ。前の方には瀬古さんがこっちに背中を向けて座っていて、複数枚の資料をぱらぱらと流し読みしている。興味の湧いた案件の資料は前の小さな机に置いて、つまらなかったらしい紙はぐしゃぐしゃにしてぽい、と床に投げ捨てている。掃除をする時のこともちゃんと考えてほしい。

 その奥のソファには天が横臥している。寝息は立てず、置物になったかのように眠っている。少しでも近づけばすぐに、抱くように持っている布から刀が飛んでくる……ような気もする。思えば、天には何度も助けられたし何度も頼りにしてもらった。意味不明な現象を真っ当に立ち向かえる意味不明な少女……だったが、もはや慣れてしまった。今でもあれは一体どういうことなんだろうという疑問は尽きないが、とりあえず今は、天はそういう存在なのだと適当に納得する理由をつけることにした。


 三日……そう、三日。

 三日連続で俺たちはあの家に行き、そこにあったモノと相対した。特に天はずっと戦ってばかりだから、疲れが溜まっていて当然だろう。というか、よくもまあいい結果に持って行けたな……と、我が事ながらも未だに信じられない気持ちでいた。


 あの日。俺と天が数十分待った後に部屋から出てきたのは、和俊さんただ一人だった。部屋の中には瑠璃ちゃんの姿は視認できなかった。


「瑠璃ちゃんは、どうしたんですか」

「……」


 苦虫を噛み潰したような顔をする和俊さん。


「姉は、笑ってくれた。そして私のために、泣いてくれた」


 膝から崩れ落ちて、両手を顔に当てる。


「私が、もっと強い人であったなら!  絶望なんてしなければ、ちゃんと話せる人だったら! こんな……」


 瑠璃ちゃんは、いなくなったのだろう。


 嗚咽する彼に何か話しかけようとしたが、大した言葉が浮かんでこなかった。

 ただ広いスーツの背中に手を乗せる。そういった動作しかできない自分に、嫌気が差した。

 天はその様子を眺めていただけで何も発することはなかった。彼女はこの姉弟について、どう思っていたんだろう。


「成仏はしてません」

「えっ」

「えっ」


 家から出れば肌に痛すぎる寒風が吹きつけてくる真夜中。太陽なんかとっくに沈んで、硬い電灯がこの周辺を照らしていた。見えない星空を見上げて、瑠璃ちゃんは天国に行ったんだなと独り言ちた。そうしたらこれだ。天はさも当然のようにきっぱりとそれは無いと即答してきた。


「まだ確認はしてませんけど、成仏はしてないと、思います。成仏はその手の人にしか導けないものだから。普通の人間がなんとかできることではないです」

「いやだって、あの二階の廊下も元に戻って」

「幽霊の決まった動きから、解放されたからかも」

「……?」


 流石スペシャリスト。俺には全然わからない。


 すると天はおもむろに携帯電話を取り出して数字を押し、耳に当てた。


「瀬古さん、終わりました。近衛さんの案通りに」


 電話から瀬古さんらしき大声が聞こえてきた。どうにもハナから解決できる見込みはないと思っていたらしい。


「それでどうしますか、あの霊は」


 事務的に瀬古さんからの指令を受けている天。しばらくかかりそうなので一息つく。横を見ると和俊さんが家の二階を見上げていた。


「……自首します」

「……」


 ぼそりと呟かれた言葉に面食らった。しかしそれだけ。


「それが、いいですね」


 否定の意思は示さない。それが一番妥当だから。それが一番の罪滅ぼしになると和俊さんが思ったのなら、俺はそれ以上何かを言うつもりはなかった。



 事務所にて。


「あの子ねえ、多分新しい未練ができてるねえ」


 一人で鍋料理をつついている瀬古さんはそう言った。瀬古さん以外の三人は鍋に一切目をやらない。そんなことより瑠璃ちゃんだ。

 ……鍋祭りに参加したい気持ちはあるが!


「一般ピーポーに絆されたくらいじゃ幽霊は消えてくれないよ。お坊さん辺りのありがたいお言葉がなきゃ満足に逝けないさ」


 そう言いながら器用に豆腐を箸でつまみ上げている。


「まあそもそもの話。生者に諭されて気持ちを変える死者なんてなかなかいないものさ」


 自分の取り皿に恐る恐る豆腐を降ろしながらも続ける。


「結論、お坊さんを呼べば簡単に成仏させてあげられるよ。それでこの件はお終い。お終いなんだが……」


 顔を曇らせる瀬古さん。ほんの少し息を呑む。


「んで新しい未練は、推測だが、この世界を改めて生きてみたいといったところだろう」

「……どうしてわかるんですか?」

「推測だ推測。だって羨ましがってたんだろう? 生きている君を見てさ」

「……それは、確かに」


 すると瀬古さんはにやりとした。


「せっかく新しい生き方を知れたのにそのまま成仏とか嫌だろう?僕だったら必死に抵抗するね。それくらいなら、誰かの守護霊にでもなって一緒に人生を歩んでやりたいよ」

「……誰かに憑くって……!」

「対象はもちろん年端の行かない子どもだ。一緒に生きるなら同じ年代の方がいいだろう?」


 つまり瀬古さんは、どこかの誰かに瑠璃ちゃんを憑かせるつもりなのだ。


「でも瀬古さん、それは」


 天が口を挟めてくる。


「その憑かれた子に、なにか良くないことが起こるんじゃ……」


 天は慎重だった。その話し方から、まだ瑠璃ちゃんがよくないものに戻ってしまうことを心配している。


「それは大丈夫。僕が保証するよ。憑かれてもらうのは、僕の身内だ。悪いことがあったらすぐに対処できるとも。ま、元々その子が特殊すぎるからね。話せば喜んで身体を差し出してくれるだろうし、仲よくやっていけるさ」


 瀬古さんの不適な笑みが止まらない。内心、


『生きた人に心変わりさせられた幽霊なんて貴重だ!簡単に逃がしてたまるものか!』

とでも思っていそうだ。


「和俊さん、大丈夫ですか? この人こう言ってますけど……」


 和俊さんは難しい顔をしている。

 当然だ。なにせ相手は、一度は手にかけようとした悪徳業者。このあくどい顔を見て信用できるはずがない。


「……その、さっき言った子は、どんな子なんですか?」

「その手のモノに興味関心が尽きない、好奇心旺盛な子だよ。既にその類のモノと幾つか仲良しでね。基本来るもの拒まず。悪いようにすることは絶対にない。友達は大切にする子だからね」

「……そうですか。私が戻ってくる頃には、姉はどうなっているのでしょうね」

「———」


 穏やかな表情だった。俺と天は少し驚いて顔を見合わせる。


「瀬古さんは信用ならないんじゃ……」


 恐る恐る聞いてみると和俊さんはまっすぐと俺の顔を見据えた。


「君がいるからね。ちゃんと間違ったことを糾弾してくれるから。責任を負わせるようなことを頼んでしまうが……どうか、姉さんのことをよろしくお願いします」


 頭を下げられて狼狽える。俺がそんな大役を背負っていいのだろうか。


「まあ僕の言うことをちゃんと聞いてくれる子なんで! そう悪いことはありませんよ!」


 瀬古さんには任せてられない。それだけで俺個人に頼まれた仕事を引き受ける理由になった。


「俺でいいなら」

「ありがとう……本当にありがとう……!」


 咄嗟に承諾すると和俊さんは強く俺の手を握った。謝るように、祈るように、託すかのように何度も握り返したのだった。



 この三日間であったことの顛末を今は数枚の報告書にして書き上げている。苦ではなかった。まるで冒険物語を綴っているようで、楽しい気持ちが勝っていた。


「槙クーン、給料は上げとくから、これからもうちで」

「それは、勘弁ですかね」

「えー、瑠璃ちゃんとうちの子の世話はどうするのさ」

「その子旅行中なんでしょ? 帰ってきたときに連絡ください。定期的に見に行くんで」

「そ、そんな……」


 酷く驚愕した顔で瀬古さんは振り向いている。そんな典型みたいな顔あるかと思いながら、最後の一文を書き上げた。


「———こうして、『佐々木迷宮』に関する事案の報告は以上とする」


 ペンを握っていた腕を伸ばしたり、肩を回したりする。やっぱり書くのは好きだ。文字を書くたびにそのときの情景をありありと思い出せるから。


「じゃあ、書き終わったし、ホッチキスで止めて……終わりっと……ちゃんと給料くださいね?」

「わかってるよ。まあ期待しててよ」


とか言って受け取るに行くのは来週。何かと理由をつけられて先延ばしにされる予感しかないが……。


 全ての用事が終わって、事務所を立ち去ろうと扉の前へ。ふと後ろを向くと、ばいばーいと手を振る瀬古さんと、相変わらず寝たきりの天。

 奇妙な人たちに奇妙な世界。未知の体験を胸に秘め、「お話屋」事務所を後にした。



 時刻は三時。周囲は寝静まり、息を潜める物音さえ聞こえてこない。そんな中一人、天は目を醒ました。連日の疲れが祟り、早めの睡眠をとっていたため早めの起床は当然の反応だ。

 周囲は暗いがすぐに目が慣れる。いつもの部屋。自分はそのまま小汚いソファの上で眠りについていたらしい。他の人間はその場にはいなかった。瀬古は寝室で……いや、気配は事務所から消え失せている。どうせまた出先だろう。

 

 天はむくりと起き上がると歩き始めた。彼女は寝起きはいい方で、二度寝をすることはほとんどない。些細な事で起こされてもすぐに立ち上がるため、瀬古からは、まるで機械のようだと評をもらっている。

 天の足の行く先は、ごー、と音を立てている冷蔵庫だった。おもむろに扉を開けると天用のアイスの袋が積み重なっている。天はその中の一つに手を……のばしかけたが、しばらく思いとどまりそのまま扉を閉めた。さすがにこの時間にいただくのは忍びないと思ったのだろう。

 天の足は真逆に向く。どうせすることもないので、彼女は外の空気を浴びに行った。


 事務所の外に出ると季節相応の寒風が天の頬を撫でて吹き抜けていった。しかしこれといって寒がるような反応はない。むしろ眠気覚ましにはちょうどいいほどだ。


「はあー」


 季節は冬に近づきつつある……いや、もう到来しているのだろうか。天の吐いた白い息は空へと攫われていった。


 天は霧散していく自分の息を見上げる。白の靄が晴れると見えるのは夜空。月は一際黄色く輝くだけで、無数の星々は見えてこない。天には不思議だった。虫のように散らばって見えていた星の輝きがこの世界にはないなんて。それはただないのでなく、地上の光があまりにも強すぎて、星の光が掠れてしまっているのだ、と瀬古が言っていたのを思い出す。この辺り一帯は栄えているわけではないが、それでも街灯が連なっているため深夜であっても暗いと言えなかった。


 それに、星が見えないのは、いいことだ。

 日常的に見えていたものが無くなることは彼女にとっての平穏がついに訪れたことの証明になる。


 すぐ目の前には、誰が植えたか分からない稲が犇めく水田。げこげこがらがらと四方八方から耳に入ってくる蛙の鳴き声。

 かつての天では見ることができなかった景色だ。


 天の目に焼き付いた世界はいつも同じだった。浸みて濡れた木の家屋。乾いて砕け落ちた瓦。襲い来る何人もの男たち。

 天にできることはそんな世界を必死に駆け巡り、せめて穏やかに死を迎えられるようにと生を全うすることだけだった。

 例え彼女の存在が、あらゆる呪いを産み出すとしても、剣女はそうすることしかできなかったのだ。


「……広い」


 独り言つ天。その声もまた空の方へと。なんの遮蔽物もない目の前の景色を見るのが天は好きなのだろう。


「……うん。でも、わからないことも多い」


 そのように言った天は今回の迷宮を巡る物語の一部始終を思い返していた。事件そのものは取るに足らない些細な流れ。剣女が生きるには必要ないつもの出来事。

 しかしその中に一つ、例外的な部分が妙に天の印象に残っていた。


 近衛槙。ただ巻き込まれた普通の人。自分の身を守る力を持たない現代人。


「あの人は、なんで巻き込まれたがったんだろう」


 この世界に対する天の認識はまだ薄明だ。しかしそれでも理解していることはある。


「この世界の人は、強くない。別に強くなくてもいい。強くなくても、生きていけるから。逃げてもいいっていうコトを選べるから……幸せ者」


 自身を嘲るような言い方だった。彼らの生活に羨望の眼差しを向け続けたかのような。


「でもあの人は……やっぱりおかしい人」


 巻き込まれたのは仕方ない。でも、そこから関わる必要はなかったはず。ましてや彼にとっての非現実……自身と同類のものが跋扈していた現実に背を向けていれば、それでよかったはずだ。彼は命の危機に瀕することはなかった。わざわざ剣女が助けなければならない状況を作る必要はなかった。

 正直に言えば、二度手間。邪魔。彼がいなければもっと早急にコトは終わっていたと確信を持って言える。剣女はいつものように怪異を討って報酬を得る。それで終わりだったはずなのに。


「……助けたいと思った? わたしが?」


 あり得ない。彼の言う、放っておけないとかいう感情と剣女の助けなければならなかったという理由の合理性は、決して釣り合わない。前提から違う。天と近衛槙が同じ感情を抱くはずがない。個人の性質は周りの環境、他者との関係性によって形作られるものだ。その点において天は近衛槙と……ましてやこの世界で生きる全ての人と分かり合うことはない。


「わけが、わからない。死ぬかもしれないのに、力もないのに、わからない」


 だから、こうして思い悩む必要もなかったのだ。


「……それでも助けたいなんて。誰かのために泣くなんて。本当に、傲慢な人」


 苛立ちを込めた小言は音にも成らなかった。天は一人、空に青みがかかって陽が昇るのを待ち続けた。


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