4-1

「……人丸ひとまるや、まこと明石あかしの浦ならば、我にも見せよ、人丸ひとまるつか

流れるように口ずさむと、陽向ひなたは、笹の葉で圭斗けいとのマブタをスッとひとナデして、枕元を離れた。


たちまち圭斗けいとはハッと目を覚ますなり、バネ仕掛けの人形のように上体を跳ね起こすと、

大上おおかみ先生だ! 大上おおかみ先生がウサギ小屋で……ウサギの首を……っ!」

と、いきなり絶叫して、彼の寝顔をのぞきこんで心配していた犬丸警部の首に、ブラ下がるように両手でしがみついた。

警部の精悍せいかんな肩にうるんだ瞳を突っ伏せば、洗いざらしの清潔なシャツをしめらせる。


犬丸警部は、板の間にアグラをかいた格好のまま困惑しきりで、華奢きゃしゃな少年の背中をヨシヨシとあやしながら、ドスのきいた低い声をせいいっぱい和らげて聞いた。

大上おおかみ先生とは、キミの通う高校の教師かい?」


わんわん泣きじゃくり続ける圭斗けいとのかわりに、千影ちかげが、甘ったるく乾いた声を寝起きの気だるさでさらにカスレさせながら、

「そう。音楽のセンセだよ、大上おおかみって。背が高くてヒョウヒョウとした雰囲気のアラサー男。たしか、迎賓館げいひんかん取り壊しの反対運動とかしてたなぁ。やたら熱心に」

と、こちらは布団の上でモソモソと呑気に上半身を起こしながら、ハデなアクビまじりに言った。


迎賓館げいひんかん? ……ああ、圭斗けいとくんの学校の敷地にある、あの古い西洋館か」


「そうそう。老朽化して危険だからって、アッチコッチから建物の解体をせまられてたんだけど。あのセンセ、必死に署名を集めて、有名なピアニスト仲間のコネまで使って取り壊しを中止させてたよ」


「有名なピアニストのコネなんてあるのか? 一介の高校教師が」


シャープなコワモテをケゲンそうにしかめる犬丸警部の目の前で、千影ちかげは、ほっそりした白い人さし指を振りながら「チッチッチッ」と舌を鳴らすと、

「むしろ、一介の高校教師なんかしてるのが不思議すぎるって、他のセンセや理事たちも言ってたよ。子供の頃から神童って呼ばれてて、教師になるまでは、世界的なピアノコンクールなんかをカタッパシから総ナメにしてたらしい」


「ほう?」


「まあ、大上おおかみセンセ本人いわく、学生時代から、あの迎賓館げいひんかんのピアノに夢中で、他のピアノを弾くことが考えられなくなっちゃったんだって。だから、一流のピアニストになって名声を得るよりも、母校の音楽教師になる道を選んだそうだよ。……やっぱ、ちょっと変わってんね、ゲージュツカって」

千影ちかげは、そう言うと、また思う存分に口を開けて大きなアクビをもらした。


「…………」

犬丸警部は、暗灰色の怜悧れいりな三白眼を鋭く光らせ、ジッと考え込みながら、腕の中でふるえつづける圭斗けいとのフワフワした柔らかい髪を、無意識にクシャクシャとナデまわしていた。

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