3-6

もともと圭斗けいとは、小柄で華奢きゃしゃだし。

そもそも夢の世界のことなので、抱きかかえていたものが小ウサギから少年の姿に変わっても、千影ちかげの腕は、質量の変化をまるで感じることはなかった。


とはいえ、いつの間にか同じ年齢の少年に『お姫様ダッコ』をされていた圭斗けいとのほうは、顔を真っ赤にしてウロたえながら、千影ちかげの腕の中からアタフタと飛び降りた。


その間も、オオカミ男の抒情的なショパンのピアノは、ずっと絶え間なくつづいていた。


曲は、舞踏曲とするには抒情的すぎる第7番から、その名のとおりの「華麗なる大円舞曲グランド・ワルツ」第1番へと変わっていたが。

舞踏会の晴れやかなプロローグをホウフツとさせるはずのメロディーが、なぜか、凄惨せいさんなフィナーレばかりを、3人の少年たちに予感させずにいられなかった。


不吉な予感を証明するかのように、突然、ピアノの内部から大量の赤い水が垂直にほとばしり、水柱がピアノの屋根を天井に向かって吹き飛ばす。


赤く濡れそぼった燕尾服えんびふくの少年は、カラダじゅうにピアノ線を巻きつけたままで上体を持ち上げると、その頑強な金属の糸に身を切り刻まれるのもおかまいなしに、鍵盤けんばんのほうに向かって四つんばいで進みだした。


「な、なんなの、あれ……!?」

圭斗けいとは、小ウサギだったときとたいして変わらず全身をブルブルふるえさせながら、千影ちかげの腕に両手でシガミついた。


オオカミ男は、赤い燕尾服の少年に真っすぐに顔を向けながら、そのフシくれだった美しい長い指は、よどみなくワルツをかなで続ける。


「あっ、……このオオカミ男! もしかして……」

圭斗けいとは、茶褐色の大きな目をいっそう見開くと、

大上おおかみ先生……?」

ハッとした声でつぶやいた。


その瞬間、ピアノの楽譜台のスミに置いてあった銀色の懐中時計が、一直線に圭斗けいとに向かって飛んできた。


「……っ!?」

叫ぶスキすら与えられず、時計に付いた細いくさりが、圭斗けいとの白い首をひとりでにグルリと一周してグイグイしめあげた。


圭斗けいとは、千影ちかげの腕をスベリ落ちるように、ヒザからズルズル崩れた。

「く……っふ……っ!」

ノド元に食いこむ鎖に両手をかけて引きはがそうとするけれど、ビクともしない。

息苦しさにモウロウとして、アオムケに倒れながら、靴のカカトで何度も床をけずる。


圭斗けいとっ!? しっかりしろ!」

千影ちかげは、あわててしゃがみ込み、懐中時計をつかんだ。

「タダの夢だぞ、これは! 現実だと信じちゃダメだ、絶対に!」


「ぐ……ぅ……っ」


「マズい。マズいよ、これ。早く夢から起こさなきゃ!」

と、千影ちかげは、サラサラした自分の黒髪をカキむしった。

ケゲンに見下ろす陽向ひなたに向かって、

「この状況が、圭斗けいとの現実の記憶とリンクしすぎてるんだ。まるっきり、トラウマの追体験だ」


圭斗けいとくんの心が、壊れてしまいかねない?」


「それどころじゃないって! きっと、圭斗けいとは現実に、これと同じ懐中時計の鎖で殺されかけてたんだ。その記憶をトートツにムリヤリ再現させられてしまったから……」


圭斗けいとくんにとって"今"の状況は、その"現実の悪夢"の続きとしか、認識できないってことか」


「たかが夢、されど夢……ってね。夢の中で"本当に"死んだら、夢を見ている本人も、現実に死を迎えてしまうんだ」

千影ちかげは、ハデに舌打ちをもらしてから、うらめしげに双子の弟をニラミあげて、

陽向ひなたが"あっち"に残ってれば、すぐに圭斗けいとを目覚めさせられたのに!」


「…………」

陽向ひなたは、なにかしら言いたそうに、少し口を開きかけた。

でも、もっと雄弁ゆうべんな呼び鈴の音が、上空からせわしなく「ちり、ちり、ちり、ちりん……」と鳴りそそいで、優雅なピアノのメロディーを打ち消すと、すぐに少年たちを夢の世界から連れ戻した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る