3-4

ゴクリと息をのんで立ちすくむ千影ちかげの前で、背の高いピアニストは、おもむろにマントを脱ぎ捨てた。

すると、銀色のマントの内側から真っ白い小ウサギが1匹飛び出すと、千影ちかげの足元に転げるように跳ねてきた。


スマートなダークスーツと洒脱しゃだつな柄のネクタイ姿になったオオカミ男は、ふたたび鍵盤けんばんの前の椅子に座った。

ふと思い出したように胸のポケットを探ると、銀色の懐中時計かいちゅうどけいを取り出して、楽譜台のスミに置く。


千影ちかげは、その光景にハッと既視感きしかんを覚えた。

―――このオオカミ男は、オレの知ってる"誰か"にまちがいない……

でも、それが誰だったか思い出せず、しきりに首をひねった。


白い小ウサギは、千影ちかげの足の後ろに身を隠しながら、長い耳と目だけをピョコンと横につきだして、おそるおそるピアノのほうを見つめている。


ショパンの抒情的なワルツの演奏が、また初めから美しく再開される。

途中で止まっていたピアノの屋根も、またジワジワと開きはじめた。


赤い粘液は、さっきよりも大量にドロドロとあふれ出てくる。


漆黒のピアノのほとんどが赤く塗りかえられてしまい、ピアノの下の床板には、ネットリとした赤い水たまりが広がっていた。


「タス……ケテ……」

少年の声が、ヤケにくぐもって響いてきた。


千影ちかげは、ギョッとして周囲に目をくばる。


「タ……スケ……テ……」

語尾には、ゴポゴポゴポッ……と、水の中をおぼれているような音が混じった。


ピアノの屋根の下に隠されていた内部から、赤い粘液にまみれた片手がニョッキリと突き出て、ピアノの側面をつかんだ。

つづいて、もう片方の手が同じ動きをくりかえすと、少年のアタマがピアノの内部からヒョイッとのぞいた。

ウサギの仮面ははずれていたが、赤く濡れそぼった目と鼻は、のっぺらぼうのように陰影がアイマイだった。


「け、圭斗けいと!?」

千影ちかげは、ポカンと口を開けた。


真っ赤な粘液にまみれた燕尾服えんびふく姿の少年は、ピアノの側面にカラダを引っかける格好でズルズルと上半身を外に這いださせた。

このままだと、頭部から床に落下してしまう。


「動いちゃダメだ、圭斗けいと!」

千影ちかげは、あわてて駆け寄りながら、少年に向かって片手を伸ばした。


その瞬間、もう片方の手を後ろから強く引っぱられ、反動で背後に引っくり返りそうになった。

「おわ……っ!?」


「おっと。ごめん」

陽向ひなたは、つかんでいた千影ちかげの手を離しざま、すかさず両腕で背中を抱き止めた。


陽向ひなた!? なんでオレのジャマをすんだよ!」

千影ちかげは、陽向ひなたの腕の中から逃れようともがきながら、ピアノの中の少年を見つめた。

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