3-3

ホールの中央には、漆黒しっこくに光る美しいグランドピアノが置かれていた。


千影ちかげは、その近くにアオムケの状態で落下しながら、「パチン」と指を鳴らした。

落下地点にはキングサイズのベッドが出現して、羽毛のタップリつまったフカフカの寝具が千影ちかげを受け止め、フンワリと優しくはじき返すと、ひとりでに床の上に真っすぐ立たせてくれた。


千影ちかげは、グランドピアノに近づいた。

年代物のスタインウェイのピアノで、実際にくだんの迎賓館げいひんかんのホールの中央に置かれていたものと同じだ。


エンジ色のビロードをはった演奏用の長椅子には、大きな銀色のマントに全身をくるんだ背の高い男が腰かけていた。


ウサギの仮面の少年たちとは違い、フルフェイスのマスクをアタマから首元までスッポリかぶっている。

しかも、リアルなオオカミの頭部を模したマスクだ。


全体が銀灰色の毛に覆われ、口には鋭利にとがった白いキバが並ぶ。

大きく吊り上がった金色の眼球に浮かぶ瞳は、ゾッとするほど暗い闇の色をたたえていた。


野性的なオオカミマスクの男は、意外にも貴族的な造形を見せる白い手を鍵盤けんばんに乗せた。

フシくれだった長い五指が愛撫するように叩くと、ハチャトゥリアンの壮麗な舞踏曲とはまるでオモムキの違う、すこし哀切で、とびっきり優美なワルツが典雅てんがにつむぎだされはじめた。


ショパンのワルツ、第7番。


千影ちかげは、呆然と立ち止まった。


よどみなく流麗なピアノの演奏に心を打たれたからじゃない。

閉じていたグランドピアノの屋根が、内側からジリジリと押し開かれはじめて、そのスキ間から、真っ赤な液体がヌラリとこぼれだしたからだ。


どうやらピアノの内部には、ドロドロした真紅の粘液がつまっているようだ。


もちろん、現実のピアノなら、そんな状態で音を出すことは不可能だが、ここは夢の世界だ。

夢の世界のあるじがイメージすることなら、どんなことだって叶えられる。


逆をいえば、今この世界にあるものは全部、圭斗けいとの深層心理にあるイメージなわけだ。


圭斗けいとって、わりと悪趣味……」

千影ちかげは思わずボヤいた。


そのとたん、

「た、助けて……っ!」

と、少年の悲痛な叫び声がした。


千影ちかげは、キョロキョロと周囲を見わたした。

圭斗けいと! どこだ!?」


「ここだよ……助けて、千影ちかげ!」

しかし、山ビコのように反響してホールの中を何重にも響きわたり、どこから声が発せられているのか見当もつかない。


雑音にイラだったオオカミマスクのピアニストは、両手を鍵盤けんばんに叩きつけると、イキオイよく立ち上がった。

荒々しい不協和音が、優美なワルツを断ち切った。

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