第21話 深い眠りに。(前半ニール公爵視点)

こんなに安らかに眠れるのはいつぶりだろう。

寝具の擦れが心地よい。


セレンを海に沈めてやった。



当然、ドレスで海に沈めば助かるはずはない。

どんどん水を含んで、もがく姿をいつまでも見ていたかったが、暗くて次第に見えにくくなった。

何より、夜とはいえいつまでも現場に留まっているのは危険だと思い、すぐさま滞在先の宿泊所に引き返した。



初めに眠れなくなったのは、月花の君に初めて会った時。心臓の音と、いつまでも整わない呼吸が苦しくて、目を瞑ればあの美しい微笑みに何度も囚われた。

それから、醜い姿をしたセレンと婚約することになり、月花の君がセレンだと知り…ロイドに唆されてセレンを襲って謹慎処分になった。

その間ずっと、不眠に悩まされた。


(なんだ、眠れなかったのはセレンのせいじゃないか)


だが、それも今日で終わり。

突き落とした掌の感触を確かに感じながら、ニール公爵は久しぶりに深い眠りの底に落ちることができた。



翌朝、あまりにスッキリと目覚め、長年の頭痛や倦怠感も嘘のように消えていた。


朝食に胃がもたれない。

紅茶の香りが爽やかに感じられ、朝食後の散歩では街のざわつきに心地よささえ感じる。


潮風を目一杯吸い込んで恍惚の表情を浮かべた。


(なんだ、早くこうしておけば良かった)


セレンを攫った海の潮風。

堪らなくいい香りだ。


セレンの遺体が上がるまで、この街に滞在していたいが、そうもいかないだろう。



翌日も変わりなく目が覚める。

朝食を食べ、散歩をした。


その翌日も、また翌日も。

街は変わらない。


この街で過ごす最後の夜、いつものようにベッドを撫でた。

掌の感触を確かめて眠りにつく。

深い、深い眠りだ。


そこは深海で、暗く静かだ。


暗闇が伸びて私の腕に絡みつく。

足に、首に絡みつく。

良く見ればそれはーー


髪だ。


セレン


セレンの、黒い髪だ。





はっと目が覚める。

不意に汗を拭おうと手を動かそうとしたが、身体が動かない。


足も動かない。

起き上がれない。


「なんだ…これは」


ひた。


足元が冷たい。


ひた。   ひた。


  ひた。



手だ。


濡れた手が登ってきた。



髪が…セレンの黒い髪だ。



私の上に這い上がってくる。



『ニール こうしゃく』


手が首にかかる。



「うわあああああああ!!!!」




月夜に絶叫が響いた。




「あらあら、随分怖がりさんなのね」

「お嬢様、公爵、失神してますよ」

「おや、失禁もしとりますなぁホッホッ」

「思ったより大声だったわ。誰か来る前に、早く」





翌朝、悪夢にうなされて目覚め、消えたはずの頭痛や倦怠感が再び私を襲った。


ざわざわ

「母ちゃん、この人おしっこしてる」

「まあ、酔っ払いかしら?」

「貴族みたいだな」

「こんな所で邪魔だなァ、おい」

ざわざわ


「はっ!」

なぜか波止場で目が覚めた。

集まった人々の視線に、絶叫を上げる。


「なんだこれは!なんだこれは!」

確かに滞在先の宿泊所で眠ったはずだ。

それから、セレンが出てきて…


見ると、手にはびっしりと髪の毛が絡みついていた。

そして、枯れた花が散らばっていた。


私は再び絶叫して、その場で気を失った。






木陰からその様子を見る人影が二つ。

「なかなかいい薬になったようですが…あれで許していいのですか?」

遠征先で一日だけ休日を貰ったカイエンが会いに来てくれた。


「もう私に近づかなければ良いわ。あんな夜に不意に海に突き落とされても、証拠がないのですから。ニール公爵を糾弾して逆恨みされるより、恐怖を植え付けた方が手出しされないと思いまして」

「僕は何度殺してもニール公爵を許せそうにありませんが」

「頼もしいわ」


カイエンと腕を組んで、別邸に続く坂道を登った。

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