第20話 あなたは誰?

雨の日にシトロンタルトを食べた。

ミルクレープを食べた日は、虹が出ていた。

暑い日にはジュレを食べた。

あれもこれも、カイエンと一緒に食べたいものばかりだ。


そして南の領地に来てから、一ヶ月が経った。

カイエンとは結局、会えていない。


(それはそうよ。期待はしていないもの)


それでもカイエンからの手紙は三日おきに届いた。


クッキーを食べながら考える手紙の返事。

十通を超えると、なかなか書くこともなくなってくるものだ。

結局相手の身体を思いやるような文面に傾く。それが十通。


だから、偶には思い切り違うことを書くことにした。

さらさらと思うままに書いてレーラに渡した。


「手が空いている時でいいから」

と言ったが、心なしか軽い足取りで、すぐに持って行った。


頬杖をついて開け放たれた窓の外を見る。

潮風の香りと、午後の日差しに心なしか微睡み、蕩けそうになる。


少しだけ瞼を閉じた、その時、俄に慌ただしい足音が聞こえた。

「お嬢様!今日もお手紙が届いています!」

レーラが息も切れ切れに手紙を届けてくれた。


(ここに来てから、いつも三日おきなのに。昨日届いて一日と空けずに届くなんて…)

少しだけ胸がざわつく。

何かあったのだろうか?


手紙を開いてみる。

そこには滲んだ文字で

『今日の夜、波止場まで来て欲しい。毎日君を思って枕を濡らしている。愛しい君。』

と書いてある。


「………」

「どうされました?」

「…なんでもないわ、いつもの手紙よ」


レーラはにこにこしながら紅茶のおかわりを注いだ。


私はレーラに見えないように、手紙を書いた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





夜、私は別邸をこっそりと抜け出し、波止場へと出向いた。


「なにかしら?」

よく見ると、花束が置いてある。

近づいて拾い上げると、その花束は枯れていた。


「薔薇?」


突然、後ろから声がする。

「やっぱり来たか。お嬢様は警戒心がないんだなあ」


私は振り向き、声の主を見る。


「あの手紙は、彼が書いたものではないことくらい、すぐに分かりましたわよ」

「騙された負け惜しみかな?」

「いいえ?カイエン様はあんなダサい言葉を選ばないからよ」


花束を投げつける。


「これはあの時、私に差し出した花束でしょう!?わざわざ取っておいたなんて、いい趣味だわ。ニール公爵」


黒いローブを被ったニール公爵は、数日間の謹慎が解かれたばかりのはずだ。

「君がここにいると風の噂で聞いてね」

「だからと言って後をつけてくるなんて、気味が悪いことをされるのですね」


私は僅かに後退りした。


「お嬢様が護衛もつけずに来るなんて、父君は泣いてしまうだろうなあ」


(むしろ、誰も連れてこないで良かったわよ…別邸にはご老体ばかりだもの…)

護衛をつけたのは行き帰りだけだ。


ニール公爵の手が伸びる。

「よくも俺を騙したな」

「騙す?なんのことかしら?」

「あんな不気味な身体、知ってたら二度も求婚なんてするか!」

ギリっと歯軋りの音が聞こえる。

「お前のせいで謹慎処分も食らった!父は早いところ甥っ子に家督を譲れとまで言い出した」

「それをなんと言うか知っていまして?」


私はニール公爵を見据えた。

「自業自得というのですよ」


「くそがあああああ!」


ニール公爵は私の肩を掴み、物凄い力で私を海に突き飛ばした。

伸ばした手は空を掴み、波は飛沫を上げた。


重みを増して沈んでいくドレス。




月が水面を揺らしている。



夜の暗闇を集めた海の中は、恐ろしいほどに



静かだった。

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