第22話 貴方と生きていく

「ウィークエンドだわ」

この街の特産品、レモンをふんだんに使ったケーキ。

カイエンの久しぶりの休みに、ウィークエンドを出してくれたシェフに心から感謝する。

紅茶との相性も抜群だ。


「美味しいです。母を思い出しました」

「お母様を?」

カイエンの母親は、カイエンが7つの時に亡くなったと聞いた。


「週末になると良く作ってくれたのですよ。それを兄と取り合うように食べて」

「まあ…」

「あ!すみません!気を使わせてしまって…母のことはもう、良い思い出ですから…」


甘酸っぱいウィークエンドは私も大好きだ。

カイエンの瞳は懐かしさというより悲しさが宿っているように感じたが、何も気づかないふりをした。


「ところで、もうあまり危険なことはしないで下さいますか」

カイエンは咳払いをして言った。

色素の薄い、茶色い髪が窓から差す光に溶けている。

それはキラキラと光って、とても美しい光景だった。

ぽわんと見惚れていると、

「セレン様、聞いていますか?」

カイエンの顔が近づく。


「え?あ、ごめんなさい。何ですか?」

「何で今度は聞こえちゃうんですか…聞こえてなかったら、くちづけようと思ったのに」

「え…?」


冗談なのか良くわからないうちに、ふんわりと抱きしめられる。


「危険なことはしないと誓ってください」

「誓います!誓いますから!」

とにかくすぐに離れてくれないと心臓が壊れてしまいそうだった。

心底残念そうにカイエンは離れて席に着いた。


「うー…」

胸に手を当てて鼓動が収まるのを待つ。

その様子を、頬杖をついて見ていたカイエンは

「そういうの、他の男の前でやらないでくださいね」

と言ったが、どう言う意味か分からなかった。


「全く、あの手紙が届いた時、僕は生きた心地がしなかったのですから…」

「それは…申し訳ありませんでした。しかし、カイエン様は危ないことと言いますが、ニール公爵の手足を使用人たちが四人がかりで押さえつけてましたのよ」


ニール公爵が私を海に突き落とす気なのは、波止場で待ち合わせしていたことから、想定していたことだ。

だから、わざとドレスの紐を緩めて行った。

それだけではなく、ドレスが容易に脱げるよう、わざとオーバーサイズの物を選び、切り込みを入れるなど細工しておいた。

案の定突き落とされたので、水中でドレスを脱ぎ、木陰に隠したローブを纏って屋敷に戻った。


それからが大変だった。

ニール公爵の居場所を突き止めるのに三日も時間を要したのだ。

そして、なんとか昨夜幽霊作戦を実行するに至った。

わざわざ髪や体を濡らして。

想像以上の反応に驚きつつも、気絶したニール公爵をみんなで担いで波止場に移動させたのだ。

公爵の情けない姿は、思い出すだけでも滑稽だ。


万が一にとカイエンに宛た手紙には、恐らくニール公爵と思われる人物に呼び出された旨を書いて出した。


カイエンはため息をつく。


「ここに来てから、私ったら、ため息ばかりつかせてしまってますわね。申し訳ありません」


カイエンは慌ててパッと口元を押さえた。

その拍子にカップを倒してしまい、紅茶が溢れた。

「まあ!大変!火傷はされてませんか!?」

「申し訳ありません。僕はだいじょう…」

カイエンの服にかかった紅茶をハンカチで拭う。


「かかったのは上着だけみたいですね。染み抜きしますから、脱いでいただけますか?」

「貴方は時々、本当に大胆なことをされる…」

片手のひらで顔を覆っている。

「え?」

見るとカイエンの顔が間近にあった。

「〜〜〜〜!!!」

反射的に離れようとしたが、手を掴まれる。

「なぜ離れるんです?」

カイエンはわざと顔を近づけて言った。


「なぜって…」

カイエンは掴んだ手の甲にくちづけした。

ヘーゼルの瞳が私を見る。

長い指が髪を撫でた。

おでこに唇が触れる。

私は訳がわからなくて

(喉仏…)

などと思った。

瞼に優しく触れる唇。

頬を包む大きな手。

首筋に鼻が触れる。

わざと小声で言う言葉に、息がかかる。

「…もう一度見せてください。貴方のあの文字を」


そう言って私を椅子に座らせると、カイエンは跪いて私の左足を両手で包んだ。

闇よりも深い憎悪でしたためられた文字を繊細に指で撫でると、その醜い文字にくちづけした。


「僕は貴方と生きていく」

そうして、カイエンは昔語りを始めた。

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