第13話 あなた自身のために

カイエンはまじまじと私を見た。


「もしかして、この身体中の文字を見られるのが嫌で、僕を突き放す様なことを言ったのですか?」

私は俯いた。

「見ていて気持ちのいいものではないでしょう?…屋敷の中には『嫁いだ先の伽で萎えさせてしまうだろう』と陰口を言っていた侍女もいたくらいですから。その様な侍女は今はもういませんが…」


「そうですか…うーん、僕はもっと精進しなければなりませんね。貴方が何も不安なく過ごせるように」

「……なぜカイエン様が精進するのです?」

「ん、何かおかしかったですか?」

「ぷっ…」

くつくつと笑うと、カイエンはおろおろした。


「カイエン様って本当に面白い方ですわ」


レーラと御者は大事を取って医者に診てもらうことになり、護衛が御者の代わりを務め、カイエンが屋敷まで着いてきてくれた。


揺れる馬車の中、まろやかに溶ける月光はカイエンの輪郭を酷く曖昧にする。

もしかしたら、私が泣いているからなのかも知れなかった。


「僕は無理には聞きません。でも貴方のことが知れたら嬉しい。話してくれる時を待っています」

私はこの身体中の文字を見られただけで、もう人生を投げ出したい気持ちになってしまった。

ニール公爵は捕われたが、問題はロイド…もし顔を合わせることがあれば、きっと化け物を見るような目で見られるのだろう。

何より気になるのは、ニール公爵が去り際放った言葉。

私が真実を知ったところで、できることなど何もないけれど。


月の光がカイエンの髪をきらきらと輝かせる。

私はその姿をいつまでも見ていた。





✳︎ ✳︎ ✳︎






翌朝、小鳥の囀りで覚醒する。

目を開けると、細く朝日が線を引いていた。

なんとなく視線で辿るとお気に入りのドレッサーまで光が伸びていた。


もぞっと布団をかぶる。


(あれ?私、昨日…)


思って急激に恥ずかしくなり、ぎゅうと身体を丸めた。


(やだやだ!私ったら…好きって…好きって言ったわ!?確かに言ったわよ!?)


暫く考える。

昨日あったことを一つ一つ取り出して考える。

満月の夜早くに着いた。

そこにニールが現れて私たちに乱暴な振る舞いをして、それからロイドとカイエンが現れて、私の肌を見られた。

ニールとロイドはお化けを見た様に驚いて、(本当に最低だわ)でもカイエンは……それから、私は彼に好きだと言った。


(どうしましょう!!!?)


被っていた布団を剥いだ。

枕をぎゅっと抱え込んで、ポコスカと叩く。


(これは…交際しているということになるのかしら!?どうなのかしら!?)


ガバッと起き上がる。

早朝からなぜこんなに息を切らしているのだろう…


(お水が飲みたいわね…)


水差しを取ろうとベッドから降りる。

ふと、自分の脛が覗いた。

カイエンは全く気にしていない様だった、"カンジ"

すっと撫で上げてみる。


東洋の文字だという、この黒い文字はいつだって私の心を暗くする。

10歳の幼い私の体に突如として現れた。みるみるうちに広がる"それ"に、恐ろしさから苦しくなって、そして倒れたことを思い出す。


(彼が気にしないとはいえ、こんなものない方が良いに決まっている…)


カイエンだって、身体中に文字が書いてある私と、そんなものはない普通の肌の私がいたら、確実に普通の肌を選ぶだろう。


以前、この"カンジ"の名前を教えてくれた侍女が東洋の呪い師を紹介しようか提案してきたことがあった。

あの時は頑なに断ってしまったけれど、一度話を聞いてみるのも良いかもしれない。

私はカイエンのおかげでほんの少しだけ、この文字と向き合える気持ちが芽生えたのかもしれない。


私はゴブレットに水を三分の一くらい入れて口に運んだ。





✳︎ ✳︎ ✳︎





「呪い師、ですか?」

「ええ。恐らくあの文字は呪いの類だろうと東洋の文化に詳しい侍女のツテで一度話を聞いてみようかと思うんです」


約束していたイチゴのケーキは思ったよりもボリューム感があって、飾り付けも大変洒落ていた。

イチゴとクリームの衝撃を柔らかいスポンジが包む…至極の一品だ。


なにやらカイエンがにこにこしている。

「いつも冷静で聡明な貴方が、甘味を食べる時の幸せそうな顔は僕だけが知っている可愛いギャップですね」

と言われて血液が顔に集中したのかと思った。


「よしてください…もう」

「可愛い人を可愛いと言ってはいけませんか?」


だめだ、心臓がもちそうにない。

カイエンはフォークを皿に置く。


「…"それ"は、呪いの類なのですね?」

「はい、恐らく。10歳のころ、突如浮かび上がってきたのですわ。一文字一文字誰かが書く様にすらすらと…」

私は人差し指で空に文字を書く様な真似をした。


「もしかして、呪い師に相談しようと思ったのは僕のせいですか?」

「せい、とかではなく、私が気になるんです」

「"僕が見ることによって"セレン様が気になるのでしょう?」


カイエンの瞳に見つめられて俯いた。


「気になるのなら、セレン様がやりたい様にすれば良いと思います。それで心の負担が軽くなるのなら。でも、僕は今のセレン様に恋をしたのですから、文字があろうとなかろうと、そんな事は僕にとって愛する対象が変わる様なことではないんです」

ただ、と言って少し考えた後言葉を続ける。

「呪いの類だと言うのであれば、セレン様が心配です。もし身体中の文字以外にも何か弊害があったらと思うと居ても立っても居られない…とっても不安です。僕も付いて行っていいですか?」

「それは、構いませんが…」


カイエンはそっと私の手を包んだ。

微笑み、温かい目を向けられる。

私は恥ずかしくて、つい目を逸らした。


「どうか、忘れないでください。僕のためにではなく"あなた自身のために"診てもらってください」


私はハッとして顔を上げる。

そのヘーゼルの瞳に吸い込まれそうになった。

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