第8話 僕の気持ち(カイエン視点)
それから何通か手紙を書いたが、返事は届かなかった。
(もしかして、なにかマズイことをしたのだろうか…)
やっぱり、一切れずつ蜂蜜をかけて食べるのが良くなかったのだろうか、いやいや美味しそうに食べていたじゃないかともんもんと考える。
考えれば考えるほどに分からない。
仲良くなれたと思ったら、そう思っているのは自分だけで、距離が近づいたと思ったら、いつの間にかその分距離が離れている。
「タルトも会いたいよなあ」
わしゃ、と茶色い毛玉の様なタルトを包み込む。
ふわふわの茶色い毛はちょっとだけ自分の髪の毛の色に似ている。
時々思い出す。
助けを求める僕を、侍女が押しのけようとした時、セレン様は慌てずに冷静だったこと。
僕を何者か決めつけず、状況確認につとめたあの聡明さ。
胸の高鳴りは走り回ったせいだと何度も自分に言い聞かせた、あの日。
気持ちが浮ついているのは、歩幅が心なしかいつもより広くて、少しだけ浮いているだけだと言い聞かせた、あの日。
僕は臆病だ。
毅然と振る舞う、何ものも恐れない彼女とは決して釣り合わないだろう。
「誰よりもかっこいいんだよなぁ」
きゅん、とタルトは喉を鳴らす。
「よし、今日はあと五百…!」
想いを断ち切る様に剣の素振りをする毎日。
マメだらけの手では彼女に触れることすら許されない気がするからーー
タルトはいつの間にか眠っていた様で、素振りを終えて芝生に倒れ込んだ僕に、びっくりして起きたようだ。
欠伸をひとつして自分の体をくんくんと嗅ぐと、思い切り伸びをして、それから水を舐めていた。
そして、黄色い布でできたボールをどこからか探してくると、僕の前にぽとりと落とす。
はっはっと期待のこもった熱い吐息が頬にかかる。
身体が火照っているのに、遠慮してほしいものだ。
「すまない、タルト。もうあまり腕を使う遊びはしたくないんだ…」
分かっているのかいないのか、タルトは小首を傾げて尻尾を振った。
「よしよし、遊んでほしいか。そうだ散歩にでも行こう!ちょっと汗臭いから水浴びしてくるんで、待ってるんだぞ」
汗で重たくなったシャツを脱いだ。
✳︎ ✳︎ ✳︎
それにしても、すっかり遅くなってしまった。
タルトは待ちくたびれたと言う様子でご飯を要求するので食べさせていたら、更に遅くなった。
(もう夜じゃないか)
この熱を帯びた体を引きずって夜風に当たるのも悪くないなと思い直し、タルトと共に歩き出した。
月の光が導くままに、星の煌めきを追うかのように百合の花咲く見晴らし台へとたどり着く。
(そういえば、ここはセレン様の父君が整備されたのだった)
タルトがきゃんと一つ鳴き、駆け出していく。
「まあ、タルト奇遇だわ」
「あ…」
「あら、カイエン様、ごきげんよう」
月の光に照らされた彼女はこの世のものとは思えないほど美しかった。
「また、会えました」
「…手紙のお返事を出せず、申し訳ありません。書きたいことがまとまらなくて、そうしているうちにまた次の手紙が届くので、手元に書き損じばかりが溜まってしまいましたわ」
にっこり笑う彼女は月にも負けない強さを感じる。
なんという存在感。
月も星も全てセレンの為に輝いているようにさえ感じる。
タルトを抱き上げて撫でる指は細い。
「そうだ、これを。気に入ってくれるかしら?」
隠しポケットから出された、赤いリボンを渡された。
「タルトの首輪ですね。これはセレン様が刺繍を?」
よく見ると所々歪んでいて、セレンの指をみると傷だらけだった。
「うふふ、下手でしょう?でも、もし迷子になったら困るし、そんなにまじまじ見るものでもないでしょうから」
おかしそうに笑って言う。
「ええ、とても下手です。でも、僕はこのリボンが愛おしくてたまりません。一刺し一刺し思いがこもっていて…」
思わず、傷だらけのセレンの指に手を伸ばした。
伸ばして空中で静止している僕の手に視線が注がれる。
「カイエン様…マメだらけね…」
「セレン様こそ傷だらけです」
「それにとっても正直でいらっしゃるのね。貴方のそういうところ面白くて素敵ですわ」
ふふふと上品に笑っているけれど、今にもお腹を抱えて笑い出しそうだった。
その姿があまりにも自然体で、たまらなく欲しくなってしまう。
そう思ったらもう、口からぼろぼろと言葉が紡がれていってしまう。
「僕は貴方のことが好きです。貴方の強さが眩しい。聡明さが、たわいもない話をしている貴方の可愛さが、どうしようもなく僕の心を揺さぶるのです」
セレンは目を瞑る。
「私は、誰かと添い遂げることはありません」
「ええ、そう聞きました。それでも貴方を想っている僕の心を知ってほしい。無理に貴方の心を紐解くことはしません、だから…どうか…貴方のそばに居たいと願うことは許していただけませんか」
「ごめんなさい」
「貴方を想うことすら許していただけないのですか?」
「こんなに頑なな女を想っていては、貴方を不幸にしてしまいますから」
「不幸?僕は充分幸せですよ。貴方が好きですから。貴方が好きで、僕は幸せなのです」
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