Ep51. The road to go back

 フェリオとの話を終えたパブロは、ほどなくして蓮池たちの馬車に乗り、サンレオーネを立ち去った。入れ違いに顔を出したのはシリウスである。ちなみに、ほかの地区兵団員たちは徒歩での帰還となるため、一足先に行かせたという。

 ベージャが待ってるぜ、とシリウスはフェリオに声をかけた。

「俺は、ルカの愛馬を借りるから──先に閣府へ戻ってくれ」

「なにする気だ?」

「や。さんざ俺の人生を狂わせてくれたこのサンレオーネだが、わるい思い出ばっかじゃないのでね。もうそうそう来ることもねえだろうし、挨拶でもしていこうかと」

「ああ──そういうことならお供するよ。ここはフィンが、……おれの親父が三百年も暮らしていたところらしいからな」

「…………嗚呼、そうだな」

 シリウスは力なくわらった。


 とはいえ、地下に下るわけではない。

 フィンが死んだゆえか、あるいはフェリオの『無効化』の力によるものか、森のなかにあった石階段への入口は跡形もなく消え去っていたからである。

 かつて石階段の入口があった場所を探っていると、背後で草を揺する音がした。振り返る。

 草陰から現れたのは、ネコ科の獣──ヴィンスだった。

「あっ。よう、ヴィンス」

「グルルルルル」

 雄々しい風体に似合わず、喉をならしてすり寄ってくる。フェリオにフィンの匂いでも感じ取っているのか──フェリオはにこにこ笑って、ヴィンスを撫でくりまわしてやる。

 コイツ、とシリウスは浮かない顔でつぶやいた。

「これからもここで生きるつもりなんだろうか。サンレオーネから力が消えたいま、治癒の力もねえだろうし、なにより……フィンもいねえってのに」

「この森じゃ、生きられねえのか?」

「いや。そんなことはないだろう、フィンから聞いたかぎりじゃ俺たち人間が踏み込む前から、獣たちはこの森に生息していたらしいから」

「なら大丈夫だろう。まあ、フィンはいなくなっちまったが……シリウスがまた会いに来てやりゃいいじゃねえか。ご先祖さんとおなじ名前なことだし」

「いや、それは……フィンがあまりに、四代目に懐いていやがったらしくて、だな」

「光栄なことじゃねえか。よっぽど、恩に着ていたんだろうなぁ」

 フェリオの腕のなかで、ヴィンスはクルルルと喉をならしながら目を閉じる。

「きっとアスラ様だって、あのようすじゃあまた会いてえって言い出すだろうよ。その時はまた、クロムウェルとして付き人になってやってくれよ、な?」

「…………」

 わずかな沈黙ののち、シリウスは肩をすくめた。仕方ないと言わんばかりの仕草だが、その顔はすこし綻んでいる。

「レオナの子孫に言われちゃ逆らえねえ」

「あっこら、もうやめろってんだろうが。おれはレオナを継ぐ気は──」

「分かってる。ただ……フィンの子孫に変わりはねえだろ」

「────」

「クロムウェルは、ある種……フィンに生涯を捧げてきたようなもんだった。それは使命でもあったが、おそらくは、生き甲斐でもあったのかもしれない」

 シリウスは遠い目をした。

 その気持ちを、否定するのも憚られ、フェリオは「そうか」とうなずき、わらう。

「なら、しばらくは許してやるよ」

「恩に着る」

 それじゃあ、とフェリオは立ち上がった。

 うとうとと寝入りはじめていたヴィンスがあわてて身ぶるいする。

「外で待っているから。お別れとやらが済んだら、戻ってこい。いっしょに馬に乗って帰ろうぜ」

「嗚呼──いや、もう帰ろう。別れは済んだ」

「なんだ。ずいぶんアッサリしてるな」

「いいんだ。よく考えりゃ……おなじ島のなかにいるんだ。恋しくなったらまた来ればいい」

「ああ、その通り」

 フェリオはニッカとわらってシリウスの背を叩く。シリウスもまた、珍しく屈託なくわらった。


 ※

 さて。

 徒歩を強要された地区兵団員たちは、各々文句を飛ばしながら、喧嘩しながら……道々を往く。

 もうやだ、と汐夏が癇癪を起こす。

「もう疲れたッ。やっぱロザリオ置いてくんじゃなかったネ!」

「しょうがねえだろ、シリウスが残るっていうんだから。あの人怪我してたみたいだし。な、ロード」

「ええ。うちの地区長が恐れ入ります」

「それはもう、お互い様──あ」

 言いかけた虞淵がふいにノアを見た。

 唐突な熱視線に、ノアがたじろぐ。

 すると虞淵は、無遠慮に彼女の首もとにぐいと顔を近づけた。

「!」

「ああ……やっぱりすこし傷になってる。わるかったな、ノア」

「…………」

「いやでもあれは不可抗力だと、言いたいがしかし、なんだ、その。とはいえ刃を突きつけたのは早計だった。……」

 めずらしく殊勝に頭を下げる虞淵に、ノアだけでなくほか地区の者たちも一様に驚愕の表情を浮かべる。同地区である汐夏などは、目玉がこぼれ落ちんばかりにひん剥かれている。

 ノアはそっと自身の首もとに手を当てて、ちいさくわらった。

「……あのときは、ああなることも覚悟の上だった。グエンだけが悪いわけじゃない」

 これまた意外な。

 ノアが、ノトシス──とくに虞淵──に対して温情をかけることばを言った。同地区のロードは、にまにまとだらしない笑みが隠しきれていない。

 が、ラウルや汐夏はここぞとばかりに虞淵を責め立てはじめた。

「ホントホント、危うくノアの細首を斬り落とすところだったよッ。もうこれだから脳筋は困っちゃうんだよねぇ」

「ひゃっぺん地面にデコこすり付けて謝罪しろヨ。ふつうに考えてノアが理由もなく裏切るわけないネ、やっぱバカなんだナ」

「て、てめえら……人が下手に出てりゃ──っていうか別にてめえらには下手にも出ちゃいねえんだよ便乗すんなッ。おいリベリオ、ロードッ。てめえらも士長ならこの生意気な副官風情をなんとかしろ!」

「やー、デュシスは自主性を尊重してるんで」

「おやおや。彼女の教育は君のお役目ですよグエン。うちの副官はノアですから~」

「チッ……まともな副官が比榮しかいやがらねえとは!」

「へっ」

 と、唐突に話を振られる比榮。

 彼は由太夫を亡くした悲しみから、必死に立ち直らんとしているところだった。虞淵は無遠慮に比榮の肩へ腕をまわす。

「士長が由太夫だったんだ。そりゃあ副官も優秀になるわな」

「今後、アナトリアの士長はどうなるのでしょうね。比榮が繰り上げで士長になるのか、……私はそれでも遜色ないとはおもいますが」

 と、ロードも眼鏡をいじる。

 とんでもない、と比榮は首を振った。

「僕なんてまだまだ……地区兵団については、これから帰ったら蒼月地区長と相談してみるつもりです」

「そうかー。ま、なんにせよ。おまえが生きてて良かったよ比榮」

 といって、リベリオも眠たそうな顔をわずかに綻ばせる。そのことばを皮切りに、汐夏もラウルも、ノアでさえしみじみとうなずくものだから、比榮は必死に堪えていた涙を溢した。

「堪えなくっていいんだよ」

 虞淵は前を見たままぶっきらぼうにつぶやく。


「何度も泣いて涙出し尽くして、心んなか軽くしてから、初めて乗り越えられる壁もある」


 比榮はしゃくりあげながら頷いた。

 さすが地区兵団一の腕を持つ男の言うことは違いますね、なんていうロードのからかいで、場はふたたび和んだ。

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